「永久的な価値」「物事の本質」「やっぱアイスはうんめ〜」

本日はこの3本でお送りします。


友達が更新したnoteに「永久的な価値」「物事の本質」という言葉が出てきた。


私の脳内の“自己啓発オタクくん”が呼び起こされる。この類の話は嫌いではない。

(何せ“オタクくん”なので話すと他の話の要素まで巻き込んで長くなってしまいそうだから、今回は至って端的に。)


まず私の思う永久的な価値、それは「自分で選択する/できること」。

昔からそう。

習い事も、受験する学校も、仕事を辞める時も。

誰かから、こうしたら?ああしたら?と言われると急にやる気がなくなる天邪鬼な性格も相まって、今に至る人生のうち、大きい選択肢の決定権を自らの手に握って頑なに離さない。それが私である。漢字二文字で言うなら頑固。


だって、自分で選ぶことに最大の価値を感じているから。


もしその道で大失敗をしたとして、その責任は全て自分にあって自分だけを責めれば良い。

もし誰かに導かれた道で間違っていたな、やらかしたなと思ったら、その誰かを責めてしまいたくなる。

これは逆も然り。誰かに選ばれた道で、ある一定の成功を収めたとして、それを本当に価値ある成功として手放しに喜べるだろうか。私の場合はNoだ。


つまり「全ては自分の責任である」。


数年前に、あのキングオブ自己啓発本とも言われる『7つの習慣』を読んで教わったことだ。そしてこれこそが「物事の本質」であると思う。


例えば、自分が誰かに悪口を言われたとして。

自分がその言葉に対して、どう反応するかも自分の責任であるというのだ。


『反応』は英語で“reaction”であり、“re”は『もう一度』、“action”は『行動する』と言う意味となる。

つまり“reaction”は主体性を持った言葉であるのだ。決して受け身の言葉ではない。


悪口を言われて悲しむのか、気にしないのか、はたまた「私のこと何も知らないのね〜可哀想に子猫ちゃん^_−☆」と余裕をかますのか、その反応はいつだって自分自身で選べるし、決定権は己自身にある。


人から悪口を言われたという事実は変えられなくとも、己自身の感情のコントロールはいくらだって出来る。悲しむのも傷つくのも全て自分の責任なのだ。



さあ、長く真面目な話をしてしまいましたが、ここで本日の第3のタイトル「やっぱアイスはうんめ〜」に戻るわけであります。当の本人はお気に入りの金のワッフルコーンアイスをぺろぺろしながら片手でぽちぽちとこの文章を書いております。哲学的な話を語るにはあまりにもナメた体勢ですね〜、アイスだけに。🍦


皆さんも何かに悩んだり固くなりすぎた頭には是非糖分を与えてあげて「やっぱアイスはうんめ〜」と一言呟きながら凝り固まった脳みそを溶かしてあげましょうネ。


そしてセブンイレブンのアイスが好きだ!という同士がいましたら、どうぞコメント欄で金のワッフルコーンはミルク派か抹茶派か、熱い…いや冷たい(?)死闘を繰り広げましょう。



p.s. 久しぶりのnote執筆をやる気にさせてくれた私の親友chimに感謝を込めてこのnoteを捧ぐ(オチが雑すぎるのは許してニャン🐾)

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