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夜とステーキ

母が胃癌の宣告を受けて帰ってきた。

私はそれを、離れた場所にいて電話口で聞いた。幸いなことに初期の初期で、癌になりきる前の赤ちゃんみたいなものだって、というのんきな声を、呆然としたようなほっとしたような、複雑な気持ちで聞いているしかなかった。

このタイミングで来ちゃうのかあ。その夜は眠れなかった。
転職のために母と離れて暮らす決断をして、車で2時間弱、離れた場所にひとり越してきてから、わずか、たったの2か月だったからだ。転職そのものは私が生きるためにはどうしても必要だったことだが、もしかしてタイミングを間違えてしまったんじゃないだろうか。
考えても仕方がないことだけど、―――仕方がないことなんだけれども、どうしても、その思いが頭にこびりついて離れない。

どうにもやりきれない思いのまま、次の週、母の住む町へ帰った。ところが母は思いのほか、けろっとした顔で迎えてくれた。

曰く、「いや、人は生まれてきた以上は死ぬんだし。順番さえ間違えなければ、別にどうってことないよ」。

その考え方は嫌いじゃないし、そんな母に私は育てられたのだから、その思いはすんなりと心の中に滑り込んだ。「そうだね。しゃーないね」二人でけらけら笑うと、少し気持ちが落ち着いた。

その夜は近所のスーパーで高めのお寿司を買ってきて食べたが、やはり母の食欲はないらしかった。

***

二人で食べようと思って買っておいたんだけど、どうにも食べたくないから、持って帰ってよ。

帰り際、そう言って持たせてくれたのは、ステーキ用の牛肉だった。オーストラリア産、300g、1280円。の上に、堂々とした『半額』シール。
『半額』の二文字に魅了されて勢い購入し、冷凍庫に入れておいたらしい。私はそれをありがたくいただくことにした。同じく買ったはいいが、飲む気をなくしてしまった安物のワインと一緒に。

もし癌が悪化しててもね、ぎりぎりまで美味しいもの食べてワインを飲んでいたいから、絶対に抗がん剤治療はしない。もう無理だって言われたら手術もしないからね。決めてるからね、絶対ね。

そう言い切った母の気持ちは、絶対に尊重しようと決めていた。だが、実際にこうして「胸やけがし」「食欲がない」姿を見てしまうと、果たしてその望みは叶うのだろうか、と不安になる。

***

それが先月のことである。

昨日、無事に手術が終わったと入院中の母から電話があった。全部取り切ったらしい。ついでに大腸の検査もしていく、と張り切っている。痛みも具合の悪さもないという。

なんかね、お腹すいてきちゃった。いま、ものすごくお寿司が食べたい、と言う。

なんだよそれ、と思いながら、私は今夜、半額のステーキを焼こうと決めていた。母が飲まなかったワインも飲んでしまおう。ふかふかに炊き立ての白米と、少しこだわったステーキソースなんかを作って。
ステーキ肉はゆっくりと解凍し、室温に戻す。たっぷりとローズマリーと胡椒を振りかけて、熱々に熱したフライパンに乗せて、じゅうじゅうと良い音をさせて焼く。油が飛び跳ねて掃除が大変なことなど、考えない。

脂の部分は食べないことに、―――しようとしたが、カリカリに焦げた姿があまりにも魅惑的で、とても我慢できそうにない。

いいのだ。

人は美味しいものを食べるために生きている。

脳天に響くほどの赤身の肉の美味しさを噛みしめながら、幸福というものの正体を考える。癌がどうこうというより、母の食欲が戻ってくれたことが素直に嬉しい。

今年の年末は、母と一緒にうんとおいしいものを食べよう。

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