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名刺代わりの谷崎潤一郎10選

 先日、谷崎潤一郎の作品がテーマの読書会をしました。もともと敬愛する作家ですが、皆さんのお話を聞いて、ますます谷崎愛が深まった気がします。
 ということで、青空文庫で読める谷崎作品のうち、特にお勧めしたい10作を年代順に選んでみることにしました。
 

『刺青』 

 実質的な第一作です。この小説を永井荷風に認められた時の話が随筆『青春物語』にありますが、そりゃ、荷風も認めますよね。ここまで完成度の高い第一作って、そうはないのでは? 足フェチをはじめとする、谷崎文学を語る上で欠かせない特徴も網羅されています。ないのは母恋いぐらいでしょうか。コンパクトな短編ですので、谷崎未経験の方はまずこの小説を読んでみるのもありかなと思います。


『痴人の愛』

 小悪魔的魅力を持つ娘・ナオミに翻弄される男性の話です。男性は光源氏と若紫の関係に憧れを抱いたのかもしれませんが、ナオミは、美しさ以外は、紫の上とは真逆の女性に育つことになります。悪女に翻弄される男の話って、男があまりにもお莫迦に思えたり、逆に女が性悪に思えて興味をなくしたりすることが多いのですが、『痴人の愛』は楽しく読めました。男の方は、お莫迦はお莫迦なのですが、ユーモア交じりの描かれ方なので、哀れみ半分、おかしさ半分で憎めない。ナオミも、同性から見ても不快感のないカラッとした悪女です。



『蓼食う虫』

 この小説も大好きです。色々な意味で。
 前半の愛の冷めた夫婦を描いた部分は、家父長制のあった戦前の話とは思えません。舞台背景を変えれば、現代小説や海外の翻訳小説とさえ思えそうです。
 後半、淡路島の人形浄瑠璃についての部分もいい。谷崎の場合、日本の伝統文化について語っていると思うと、いつの間にか女性賛美の話に変わっていたりするのですが、伝統文化に疎い私には、そういう話の進め方がかえって入り込みやすいです。この小説を読んで以来、人形浄瑠璃を観たいと思っているのですがまだ果たせていません(基本的に関西の芸能なので)。
 また、谷崎の人生を知って読むと、「自分の都合の良いように話を作り変えて書くなあ」とおかしくなります。自分の醜さをさらす私小説って、如実に作者の人生を壊していくと思うんですね。太宰治のように。でも、谷崎は自分の人生をこうして作り変えてみせる。したたかな作家だと感心してしまいます。

『吉野葛』

 我が偏愛の作品です。この小説を好きなのは自分ぐらいかと思っていたら、SNSで老若男女から「私も好きですよ」と反応があり、驚きました。地味な作品なのですが…。
 一言で言えば、「書かれなかった歴史小説」。谷崎は吉野を舞台にした後南朝の皇子の小説を書こうと思い立つものの、現地の秘境ぶりを見て、「いくら何でも、皇子がこんな秘境まで来るわけないよ。あれは事実ではなく伝説だ」と考えて、執筆を中止するんですね。その代わり、義経や静御前ゆかりの話を聞いたり、現地の友人から若くして亡くなった母親の話を聞いたり。普通の作家が書けば「しみじみとした良い随筆・吉野旅行記」程度にはなりそうですが、谷崎にかかると、小説についての小説、つまりポストモダン小説のように感じられてしまう。作者自身も、書かれなかった歴史小説も、全てが小説の一部になる。
 谷崎は、とてもわかりやすい、中学生でも楽しめる小説を書いた作家ですが、あまりにも小説を書くことに長けていたために、期せずして『吉野葛』のようなメタフィクションを書けたのかもしれません。

『盲目物語』

 谷崎は、実在の人物が登場する歴史小説をいくつか書いていますが、特におすすめしたいのが『盲目物語』です。織田信長の妹、お市の方を盲目の按摩の視点で描いた作品なんですね。お市や戦国史について知らなくても大丈夫。むしろ、知らない方が「次はどうなるのだろう」と考えて楽しめそうです。織田家とお市の実家である浅井家の関係、信長や羽柴秀吉を始めとする武将たちの人となりなども物語を通じて、自然と頭に入ってくると思います。戦国史が好きな私にとってはよく知っている話なのですが、お市の方や娘の淀君と語り手である按摩の関係がいかにも谷崎らしい話なので、その部分だけでも十分満足できました。
 芥川龍之介&菊池寛の『俊寛』、太宰治の『右大臣実朝』などと共に、文豪傑作歴史小説の一つに入れたい作品です。

『春琴抄』

 Xの「名刺代わりの小説10選」「私の最愛日本文学10選」などに谷崎作品を入れる場合、私が見た感じでは多分この小説が一番多かったと思います(次点は『細雪』)。これもコンパクトにまとまった、谷崎の特徴がよく出た小説です。『盲目物語』『春琴抄』『聞書抄』と、谷崎は盲目の人物が登場する小説を同じ頃に執筆しているので、「盲目である者が愛する女性を語る」という設定に相当入れ込んでいたようです。見えないことが人を想うことにとって何ら足枷とならない、むしろ、愛を自分の中で固定させ、完結させるために、盲目であることを願う…といった、言葉だけ見れば歪んだようにも思える感情が美しく艶のある言葉で語られます。
 耽美という言葉が谷崎のためにあるように思えてくる作品です。


『猫と庄造と二人のをんな』

 女性二人と男性一人の三角関係に猫をからめた物語です。ストーリーも男女の微妙な機微を描く部分も、あざとさを感じてしまうほどにうますぎます。芥川龍之介が話の筋に重きを置きすぎる小説を批判したのに対して、谷崎が反論する論争がありました。芥川が念頭に置いたのは谷崎の『日本に於けるクリツプン事件』ですが(『猫と』の執筆は芥川の没後)、この小説を読むと、芥川が批判したくなるのがまあわかるなあと思ってしまいます。別に谷崎は意識して筋を重視したわけではないと思うのですが。もともとそういう書き方なんでしょうね。ディケンズやバルザックやトルストイがそうだったように。ただし、ディケンズたちがもっと広い社会を書いたのとは違い、谷崎はストーリーテリングの才能を、ほぼ男女の関係を書くことだけに向けました。その意味で、世界文学史上でも特別なポジションにいる作家だと思います。


『細雪』

 映像化回数も多い、谷崎の代表作の一つです。四姉妹の日常が淡々と描かれているだけなのに、何度読んでも面白い。1943年に連載が開始されますが、途中からは戦時中という時節に合わないということで、当局により出版を差し止められます。ですから、谷崎には「既に滅んだ世界を書く」という意識があったはずです。過去を惜しむ作品なのです。それなのに、谷崎は感傷に溺れず、作品世界と距離を置きながら、この小説を書き終えた。そこがすごいと思います。
 ただ、Xなどでは、戦前のアッパーミドル層(中流階級の上位層)の持つ差別意識や偏見にうんざりしたという意見もよく見かけます。私自身、読みながら「この気取りは何なのだ」「◯◯が可哀想すぎる」などと呆れる部分もあります。でも、そうした負の部分も含めて、戦前の関西の空気感を忠実に捉えた作品だと思いますし、その差別意識や偏見は、残念ながら、今も幾分かは残っているように感じます。

 
『鍵』

 日記文学の傑作ですが、「他人(自分の配偶者)が盗み読みすることを前提に書かれた日記」であるという特殊な事情があります。様々な特殊な愛欲を描いてきた谷崎の集大成とも言える作品ではないでしょうか。世界を見る目が変わってしまいそうです…。

『瘋癲老人日記』

 タイトルにあるように、要介護老人の日記で綴られる小説です。谷崎の性癖が余すことなく書かれていますが、特に好きなのは、日記に漂うユーモア感覚です。ついニヤニヤしながら読んでしまうので、かなり過激な内容なのに、不快感が全くありません。憎めないおじいちゃんだったのだろうな、谷崎は。

 以上、十作品を選んでみました。どれも青空文庫で手軽に読めます。

『卍』も入れたかったのですが、全編大阪弁(船場言葉)で書かれているので、大阪弁話者以外には読みにくいかも?と思って外しました(私は大阪出身なので、問題なかったですが)。方言で書かれた小説って、読みにくいですか? 意見をお聞かせ頂けると嬉しいです。

*また、『潤一郎訳源氏物語』は、青空文庫にないので外しました。原書で読める方は別として、それ以外では最高峰の源氏物語だと思います。



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