見出し画像

没後百年、森鴎外 憂鬱な作家と思っていたが 【noteを始めた理由】

 今年が森鴎外の没後100年と知って、青空文庫で鴎外の作品を読むことにしました。夏目漱石の没後100年の年に(2016年。鴎外より後に生まれ、先に死んでしまった)、漱石の全小説を読んだので、鴎外も読まないと申し訳ないかなという後ろ向きの理由で。

 漱石の場合、小三で「坊ちゃん」を読んだのを皮切りに、学生時代や二十代の頃にかなりの作品を読み、Kindle端末を買った時にも、青空文庫でいくつか読みました。だから、没後100年の時には、読み直すという意味合いが強かったのです。

 鴎外は…。小学生の時、ポプラ社文庫で「山椒大夫」「高瀬舟」「最後の一句」「大塩平八郎」を読みました。正直、お世辞にも面白いとは言えませんでした。草履を残して入水自殺する少女、死に切れぬ弟を殺して島流しになる男、塩漬けの死体…。無残な話が続出して、憂鬱になりました。小学生でも理解できる漱石の面白さと比べて、良さのわからない作家でした。
 その次に鴎外を読んだのは確か高一の年、教科書に出ていた「舞姫」です。これで、鴎外に対する苦手意識が決定的になりました。一言で言えば「バッドエンディングのラブストーリー」なのだけど、現代国語の教材なのに擬古文なのも面倒だし、ヒロインのエリスが気の毒すぎました。主人公の豊太郎は、ただただゲス野郎。別に、意識してのゲスなら問題ないのですが(例、「赤と黒」のジュリアン・ソレル。出世を邪魔した元恋人を射殺しようとする)。因果応報の目に遭うゲスには、哀れみさえ覚えます(例、「アメリカの悲劇」のクライド。出世の邪魔になる恋人を殺すが、発覚して死刑になる)。でも、豊太郎は流されるまま、自分では何も決めず、受動的にゲスになります。そして、その状況を受け入れたくせに、流れを作った友達を恨んだりもして。逆ギレ大将、豊太郎。
 

 今思えば、小説であれだけの怒りを感じさせるのは、鴎外の筆力がすごい証なのだけど、次また何か読んでみようとはなりませんでした。…そして、月日は流れ、今回、半ば義務感から鴎外の小説を読むことになったのだけど。
 今は、はっきりと断言できます。森鴎外、面白い。夏目漱石に負けないです。勝っている部分も結構あります。もっと読まれていい作家だと強く主張したいです。
 ということで、没後百年の森鴎外の小説を読み解いてみたいなと考えています。


この記事が参加している募集

読んでくださってありがとうございます。コメントや感想をいただけると嬉しいです。