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一度は行きたいあの場所 海外篇 憧れの作家の面影を求めて 【旅行エッセイ】

 Google mapsに行ってみたい場所を十数件登録しています。関東近郊が多いです。その気になれば、次の休みにでも行けるような場所。どちらかというと、備忘録に近いかもしれません。何かの折に近くまで行った時、「そういえば、あそこに寄ってみよう」と思い出せるように。
 その中に一つだけ、そう簡単には行けない場所があります。ロサンゼルスにあるレストラン、ムッソ&フランク・グリルがその場所です。

 ムッソ&フランク・グリルは、ロスのハリウッド大通り沿いにあるステーキ・ハウスです。創業103年…日本なら、浅草にある神谷バーと創業時期が近いですね。店の名前は、マイクル・コナリーのミステリ小説で知りました。主人公のハリー・ボッシュ刑事が時々この店で食事をしているからです。

 ボッシュは、捜査にかかると寝食を忘れるタイプの刑事なので、作中で描かれる料理は手軽なものばかり。フードトラックのタコスや自分で作るシンプルなサンドイッチ、徹夜した翌朝に食べるシロップ漬けのパンケーキなど。そんなボッシュにとって、ムッソ&フランク・グリルは特別な時に利用する店ーー孤独を好むボッシュが稀に誰かに気を許す時、その誰かと食事をする場所としてこの店を選んでいる気がします。ボッシュが人に気を許すなんて、滅多にないのですが。とはいえ、コナリーはボッシュが登場する小説を二十数冊書いているので、ムッソ&フランク・グリルについての知識も増えました。

 高い天井と赤い革のクッション入りブースが目を引く店内、赤い制服を着た年老いたウエイター達。ロス一番のマティーニが飲める(ボッシュの評価によれば)。ランチは木曜日のチキンポットパイがおすすめ。

 チキンポットパイというのは、チキンを入れたクリームシチューにパイ生地をかぶせて焼いたものらしいです。Google mapsでは何人かで取り分けるほど大きいパイが紹介されています。美味しそう!

 それに、この店はハリウッドのレジェンド達に愛された店でもあるのだとか。チャップリン、ボギー、グレタ・ガルボ、マリリン・モンロー。チャップリンには、友人達とハリウッド大通りで馬乗り競争をし、敗者がこの店の支払いをしたという逸話も残っています。

 といっても、昔の俳優達のお気に入りの店というだけなら、「ロスに行く機会があったら、寄ってみよう」と頭の片隅に置いておく程度だったと思います(本物のボギーに会えるなら、それだけのためにロス旅行を計画するけれど)。

店の常連だったボギー

 ムッソ&フランク・グリルを「行ってみたい場所」リストに載せたのは、1930年代には作家達もこの店の常連だったからです。ハードボイルド作家のレイモンド・チャンドラーとダシール・ハメット。晩年をハリウッドで過ごしたフィッツジェラルドと無名時代のフォークナー(見出しの写真は、右からフィッツジェラルド、フォークナー、ハメットです)。

 私は乱読派の活字中毒なのですが、ハードボイルドと20世紀アメリカ文学はどちらもお気に入りのジャンルです。何時間語っても語り尽くせないほど大好きな作家達が、この店で集っている。その光景を想像するだけで、テンションが上がりました。そして、かつて彼らがいた空間に自分も身を置いてみたいと思ったのです。

レイモンド・チャンドラー


 旅の計画も既に出来上がっています。ーー木曜日の午前中にロスの空港に到着したら、ウーバーでムッソ&フランク・グリルへ行く。チキンポットパイとアイスティーを頼み、フォークナーの「響きと怒り」を読みながら、料理が出てくるのを待つ。
 ロスでの初日は、時差ボケの影響で少しぼんやりしているでしょう。「響きと怒り」を読むのにうってつけの日になりそうです。

フォークナーとフィリップ・K・ディックの小説は神経がある種のくたびれかたをしているときに読むと、とても上手く理解できる。僕はそういう時期がくるとかならずどちらかの小説を読むことにしている。

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」


 大好きな作家達が通った名店で、お気に入りの小説の新たな読み方を見つける。ーーそんな贅沢な経験ができそうな気がするから、私にとって、ムッソ&フランク・グリルは、一度は行きたい憧れの場所なのです。
 
 




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