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『関係したい人口』からはじまるチャンネルIN萩

山口県萩市が『萩PR大使』というのを募集していたので応募してみました。

なにゆえいきなり萩なのかというと、最近流行りの『関係人口』もとい『関係したい人口』である私の心を、萩という街がもれなく掻っ攫ってしまったからでした。

愛知県出身の群馬育ち、全く山口の地を踏んだことのない私の萩との出会いは、今からかれこれ20年以上昔に遡ります。

実家の父は長く合気道の師範をしており、書棚には一切のかわいらしさのない本が立ち並ぶ武道一家で私は育ちました。
とはいえ、決して自分が武道をやっていたわけでもなかったのです。
どちらかというと母方寄りだった私は武道よりも音楽を選び、その一方で父や弟がのめり込む武道に強烈に惹かれていたこともまた事実でした。

そんな父の本は大体歴史小説か武道指南書しかなく、2択で言えばまあストーリー性のあるものの方が面白いだろうという一択で、『司馬遼太郎』『津本陽』『浅田次郎』『池波正太郎』といった父一押しの小説の世界へ、女子高生とは思えない感化のされ方をしながら徐々にのめり込んで行ったのでした。

その中でも特に、今日まで自分の考え方に深く影響を及ぼしたのが山口県の天才思想家、吉田松蔭先生でした。
あまり話の合わない高校へと進学した私にとって、かつての日本を動かした若者の多くが同じ指導者の元で育ったという事実は、退屈な毎日の中に火を灯してくれるものでした。


そんなわけで(だいぶはしょりますが)教育の業界に足を踏み入れ、10年間塾業界で仕事をし、この春から仕事と住む場所と会う人の全てを変えて1から新しいスタートを切ったわけですが(まただいぶはしょりますが笑)

たまたまご縁があって、山口に住む方と一緒に仕事をすることになったことから、いつか行ってみたいと思いつつ足を運んだことのなかった萩の地へついに訪れることになったのが2021年の4月だったのです。


『日本の志はここにある』そう刻まれたのぼりが何本もはためく小さな駅。資料からでることができないほどの熱量で、くる人に萩の歴史を説明してくださる地元の方。一つ一つの説明や資料から滲み出る、その土地を守り続けてきたことへの矜持。

丁寧に紡がれてきた地元の人の思いに触れて、本能的に『きっとこれからも、この街に関わるんだろうな』 そんなふうに思いました。

生まれ育った街から出て、新しい場所に拠点を変える。
その時移り住む街は、自分にとって何かしらの理由を持って選んでいるはず。
私の場合はそれが、10代からずっと私を支え続けてくれた自分の半身とも言える理念への共感でした。


そんなわけで、『関係したい人口』の群馬県人、萩PR大使をはじめます。

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