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self service

 昨日は雨が降っていたような気がする。昨日だったような気もすれば一昨日だったような気もしてくる。それとも今日なのかもしれない。底の見えない深い沼のような濃い緑色の遮光カーテンに閉じられて外の様子はわからない。あのカーテンを開ければ済むことだけれどそのためだけに腰は持ち上がらない。検索してサッと調べればすぐにわかることなのに別にそこまで知りたいわけでもないから、天気予報とは別に今日は誰がどんなことを言っていて何に不満を投げかけているのかを手持ちの液晶で眺めていた。

 聞こえもしない雑音を排除しようと目を閉じると周りの音が良く聞こえてきた。窓に打ち付ける雨音はしない。晴れか曇りなんだろうな。朝起きたとき、当たり前のことを口に出そうとしたけれど、たしか声にはならなかった。たしか、なんてわざわざいうのは少し前のことを思い出して書いているからだ。

 今日と書いている今日がわたしにとっては今日であることは間違いない。でもそれがいつなのかは朝のニュース番組の占いぐらいには大事なことではなくなっている。明日はどんな予定があるか、明後日はどこに行くのか、見えていたはずのものはマスクを当てられて隠されてしまった。誰かが家に訪ねてくるわけでもなければ、誰かの家に訪ねにいくこともない。連絡が来るのは企業からのニュースぐらいで、どこも同じような情報を送ってくる。最初の頃は家族や友人からの連絡もあったけれど、いつもとは違う非日常感がそうさせていただけで、慣れてくるとそれもプツリと止まった。

 こんな毎日で積み重なっていくのは、土色の机の上に雑草みたいに生えた白と薄茶色のビニール袋。割り箸の添えられた食べ終わりの弁当容器とビールの空き缶は道端に捨てられたようにむき出しで置かれていた。自分のことしか考えない食事は、ただお腹だけが満たせればよかった。寝て起きて食べ、寝て起きて。

 下手なテトリスのようだなとわたしは思う。無限に降りかかる様々な形のブロックを綺麗に並べることもなく降ってきたままに溜めていく。惰性で。怠惰に。食事も睡眠も、誰かとの日々があったからわたしは整えることができた。今は欲という空白を雑に埋めていくだけで、自らブロックを動かすことも回転させることもやめていた。煩雑に並べられたブロックを綺麗に一列ずつ消していくのが難しいように、一度狂い出した生活はなかなか元には戻らない。降ってこない形のブロックがあることにも気づいていた。日々の中から奪われてしまったそのピースが、これまでのわたしの生活を支えていたのかもしれない。三大欲求の一つだ、それは何かが狂ってもおかしくはない。だから毎晩、セルフサービスだった。けれど、それでは空白を綺麗に埋めることはできない。誰かと寝なければ、ずっとこんな調子なのか。思い出すほど、生活が整えられていた時は横に誰かの姿があったのかもしれない──


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 昨日は結局途中で寝てしまった。寝たというより、自分で書き込んだ欲求にそのまま流されるようにベッドに入り、液晶のメモを閉じて腕を下腹部に伸ばした。読まれることはないと思うけれど、いつ誰に読まれるかわからないから詳細は書かないでおく。良かったか悪かったでいえば悪かったと思う。いつも自分でやると最後はみじめになる。なんのためにやっていたのかがわからなくなる。誰からも必要とされず自分だけで完結する行為は、何かを埋めてくれるようで何かを奪っていく。じゃあ誰かに連絡を取ればいいじゃないかと思う自分もいるけれど、連絡したところで何も起きない。倫理が、社会が、ストップさせる。わたしだって並みの思考とモラルはある。それに、みんなきっと不安という不透明な箱の中に閉じ込められている。

 今日はアスファルトが濡れていた。街灯や通りを走る車のヘッドライトに照らされていくつもの色が反射している。今日のいつごろか雨が降ったらしい。唯一外にでるとはいえコンビニだけれど、パジャマやジャージで外を出歩く人への嫌悪感はどれだけ生活が乱れていても変わらないようで、毎日しっかりとした服装に着替えていた。わたしの気持ちには反して、外で見かけた数名の人は明らかに家着のようなスウェットやジャージ姿で出歩いていた。なぜだか彼らには余裕があるように見える。自身の内側を臆面もなくさらけ出すことができて、何も隠す必要がないみたいに堂々としていた。そんな彼らも、不安だけは隠すように白だったり黒だったりで顔を覆っている。覆っていない人もいる。でもそれは不安もない堂々とした態度でもなんでもなく、コンビニのがっぽり空いた棚をみればその理由は誰にでも理解できる。

 レジ前のカウンターには透明のビニールの仕切りが最近設置された。ビニール越しにやりとりする店員は、慣れた手つきでアルコール消毒のノズルをプッシュして手を擦り、商品に触れてスキャンする。こんな感じなのかな。見たこともない、隔離施設と検査のスキャニングを想像しようにも、わたしには実情は何もわからなかった。店員の男性は設置される前よりも眼を開いているように感じる。表情はマスクに遮られて見当がつかない。ビニールで仕切られたカウンターの横には2台ほど真新しい機械も設置されていた。張り紙を見ると、どうやらこのコンビニでは明日からセルフレジが導入されるらしい。またセルフか。声には出さず、温めてもらったパスタとロング缶のビールが一緒に入った薄茶色のビニールが傾かないように、慎重に持ち歩いて自動ドアをくぐり抜けた。

 コンビニを出るとアスファルトが乾いているはずもなく、相変わらず濡れていた。雨降って地固まるなんていうけれど、アスファルトは最初から固い。アスファルトが張りめぐらされたこの大都会の一角では、どれだけ雨が降ってもただ濡れるだけだった。

 この深夜帯の道端では、しばしば男女一組の姿を目にする。彼らはアスファルトには眼もくれず、お互いの顔や身体を確認しながら歩いていく。距離も空白も彼らには関係のないことだった。コンビニで買ったものまではわからないが、二人の夜の距離がどれだけ近くても粘膜の接触がないようゴムで覆い包んで隔てて欲しい。もちろん、そんなことわたしには全く関係ないことだった。

 机の上に埋められたゴミを小さいビニールの中に詰め込んで縛ってから隅の方に寄せてスペースを作る。男女のやりとりを観察しながら歩いていたからか、500円ぐらいのコンビニパスタは少しぬるい。本当は汁物の麺類が食べたかったが、深夜ともなると弁当類の選択肢はかなり少なかった。温めなおすのも面倒なのでそのまま固まった麺をほどいてソースに絡ませ一気に頬張る。カルボナーラの味濃いクリームと一緒にビールを流し込むと、喉を突き抜ける炭酸にまろやかなソースが絡み合い、悪くはなかった。

 今日も一日が終わる。そしてまた新たな一日が始まる。けれど、違いなんて天気と食べるコンビニ弁当の種類とたまにビールの銘柄ぐらいなのかもしれない。誰かがネット上で投げかける内容も不満も、日々微妙には違ってもそんなには変わらない。その微妙な違いがその人にとっては他とは全く違う、その人自身のものだということはわかっている。

 でも、今のわたしには同じような毎日だけが続いている。怠慢と倦怠が波のように押し寄せて、逃れようとしてもすぐに溺れてしまう。何も変わらない日常の海で一人不安で孤独に取り残されても、そこから抜け出す気力もきっかけもどこにも浮かんではいない。人は一人で勝手に助かるだけ。そんなアニメの台詞を思い出して、納得はしてしまう。一人で生きていかなきゃいけない。けれど、セルフサービスなこの生活にはもう疲れてしまった。

 灯りを消すと、濡れたアスファルトと男女の姿を思い出した。暗いねずみ色を彩るいくつもの光と、寄り添って身体を這わせる二人のイメージが頭の中で交差する。もう顔も思い出せない男女の顔は光でぶれて、想像がつくりあげた二人の肌にピントが当たる。浮き上がる鳥肌がじんわりと引いていくと汗が滲み出てくる。雨が降ったからなのか。どことなくわたしの身体に湿気を感じて、布団の中に潜り込んだ。

 ことを終えてからも濡れたアスファルトのことを考えていた。固く舗装された道はどこまでも続くようでどこもかしこも濡れている。染み込んだ雨はじわりと滲んで広がっていくような気がした。ずっとこのまま、街も世界も濡れてしまったままだろうか。ある人はこの悲しみが乾くのを待ち望んでいる。ある人は滲みを拭きとるように取り除こうとしている。ある人は陽のように照らす何かを探している。そんな毎日が、続いている。

 賢者なんて男はよく言ったな。襲ってくる虚無感を遮るために、わたしは何か別のことを考えこの日記を書いているのだと思う。自分のために、自分の手で。同じような毎日を少しでも整理して、雑に放られたブロックを消していくために。

 今日はカーテンを開けたままにしている。窓の外は青みがかり夜が次第に薄くなっていた。もうそろそろ日が昇る時間に近づいている。わたしの今日は終わるけれど、誰かの今日はもう始まる。


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 意識が覚めても瞼に糊でも貼りついたように重く閉ざされている日がある。今日は窓から差し込む光でいやでも目を開けられた。枕元の液晶に手を伸ばすとまだ朝の7時だった。仮眠程度だな。いつもならこのまま布団にくるまって光を遮りぬくぬくともう一度眠りにつくのに、今日は起き上がろうとなぜだか思えた。頭に鉛でも詰め込まれように重い。無理やり起き上がって腰をひねると筋の外れる子気味良い音がした。顔を洗って鏡を見つめるといつもと変わらず、いや寝起きだから少し間抜けなわたしだった。いつもは食べない朝ごはんを調達して、今日はちょっと散歩でもしようかと、あまりに普段と違う考え方に自分でも驚いた。天気みたいにコロコロ変わるもんだな。

 アスファルトはまだ少し湿っていた。日向は徐々に乾き始めているのは目に見えるようで、わたしも陽に当たると露出した部分の湿り気が取り除かれるような気がした。道にはスーツやフォーマルな出で立ちの人が駅に向かっていくのを見かけた。

 朝のコンビニは活気付いている。普段のそれと較べると少ないけれど。セルフレジは導入されているようだが、そこにいた数名の人たちは並んで利用するそぶりは見せていない。張り紙を見ると扱えない商品もあるようだった。わたしはたまごサンドイッチを手にとりセルフレジの前に立ったが、アイスカフェラテも飲みたくなったので列に並ぼうとしたら、ビニールの向こう側ではなくこちら側から女性の声が聞こえてきた。


「セルフレジのご利用は初めてですか」
 午前や昼間に出勤している顔の知っている店員だった。肩にかかるぐらいのムラのない綺麗な茶髪で、瞳が大きい。身体が当たりそうな距離感で彼女は尋ねてきた。他の場所でも使ったことがあるから勝手はわかる。それでも一応聞いておこうと思って、はい、と答えた。


「まずここのボタンを押して…商品のバーコードをここにかざして…全部かざし終えたらここのボタンを押して、支払い方法を選択してください!」
 彼女は丁寧に操作しながら画面とわたしの顔を交互に確認して説明した。説明するのがどこか楽しげだった。マスクの中の表情を見なくても、声色と目が教えてくれる。でも、アイスカフェラテはここでは買えないですよね。アイスカフェラテは店員が途中まで用意するフローがある場所のため、セルフレジではないと思っていた。彼女はもう一段階嬉しそうに、トーンを上げた。


「実はですね、この横に…カフェコーナーのカードがあるんです!商品名とバーコードがあるので、こちらをスキャンしてください…えっと…」
 説明しながら彼女は束になっている商品写真の載った黒いカードをめくっていた。なかなかアイスカフェラテのカードが見当たらない。それもそうで、ホットメニューと書かれた束を彼女はずっと探していた。わたしがセルフレジの周りを見渡しても、他に束は見当たらなかった。


「ここ。アイスは。」
 ビニール越しにいる黒髪を結えて切れ長の目をした女性店員が、セルフレジの機械の裏に隠れたアイスメニューの束を茶髪店員に渡した。


「よかった!ありましたぁ。ごめんなさいお待たせしました。アイスカフェラテはこちらのカードですね。スキャンして…カップと氷はこちらです。今度からご自分でコーヒーマシンのボタンを押していただく形になったんですよ。すみません」
 他のコンビニではそれが当たり前だったが、ここのコンビニは違った。ここもセルフサービスか、とは一切思わなかった。いえいえ、説明ありがとうございます。


「ありがとうございました!」
 彼女の声は日向みたいにはっきりしていた。わたしが軽く頭を下げると、きっとマスクの中で微笑んでから、商品陳列の持ち場に戻っていった。切れ長の黒髪店員もありがとうございましたと送りの言葉をかけて、またいらっしゃいませと声を張った。

 公園はコンビニから歩いてすぐのところにある。公園といっても街中の小さい公園ではなく、このシーズンは花見やピクニックで賑わうようなでかい公園だが、ランニングしている人の姿も家族連れの姿もわずかしかいなかった。桜の木にまだ少し花は咲いていたが、もうほとんどが葉桜になっていた。園内の舗装された道は、木々や葉の隙間から陽が射して模様のように光っている。葉と葉の距離は、触れ合うほどに近かった。

 ベンチは少し濡れていることだけが理由ではなく、日当たりの良い場所でも誰も座っていなかった。空気が澄み渡り、誰もいない。池の前に日当たりが良くて乾いたベンチがあったので、そこに座り朝食にした。

 池の奥に一本他とは離れた木がある。風で波紋を立てる水面に、揺れた一本の太い幹が反射している。池とベンチの間にも一本の木がある。揺れる水面が日差しを反射して木の幹にうつってまだらに光っている。どちらも桜の木だった。もう花はない。この木一つ一つは、自分で勝手に生きているんだと思った。花が咲いても散っても、木にとってはただ自らが生きている流れに沿っているだけだった。

 けれど、この全体の景色はその木だけでは成り立たなかった。日差しが、池が、水面の反射が、その二つの木の存在を肯定しているような気がした。この景色のために木々を配置し、ベンチを設置した人もいるのだろう。

 木は自身だけではやはり生きていけなかったと、ようやく気づいた。太陽も雨も土の栄養も。ちゃんとサービスをもらっていた。一人で生きていかなくちゃいけない。それは考え方の話でしかなかったのかもしれない。人は一人で勝手に助かる。そういえばこの台詞を吐くキャラクターは、人助けでサービスをしていた。

 目を閉じて、風に揺れる葉の擦れに耳をすます。一つじゃ聞こえない音。気づかない間にわたしは誰かの、何かに触れているのかもしれない。頭の中に並べられたブロックの一列が消えるイメージが浮かび上がる。

 目を開けてたまごサンドイッチに口をつけてからストローでゆっくりカフェラテを吸っていると、茶髪の女性店員の顔を思い出した。あのセルフレジを使うたびに、全くセルフじゃない今日のセルフレジを思い出すような気がする。

 一時間くらいいたのだろうか。入ったときとは異なる模様の木漏れ日の道を抜ける時、わたしから誰かに連絡してみようかと思い立った。誰でもいい、家族でも古い友人でも、関係を持った人とでも。

 大通りに出ると、アスファルトはすっかり乾いていた。

 

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