「サルコペニア」 整形外科の視点①
1. サルコペニアとは
サルコペニアという言葉をご存知でしょうか。サルコペニアは、
加齢や疾患により握力や下肢・体幹など全身の筋力低下を認め、歩行速度が遅くなり杖や手すりが必要になる状態
をいいます。ギリシャ語で筋肉を表す「sarx (sarco:サルコ)」と喪失を表す「penia(ぺニア)」を合わせた造語で、1989年にIrwin Rosenberg 氏によりアメリカの学術雑誌(The American Journal of Clinical Nutrition)で初めて提唱された言葉です。サルコペニアは2016年に国際疾病分類(ICD-10)に登録され、世界的に「疾患」として注目が集まりました。本邦では2017年に「サルコペニア診療ガイドライン2017年版」が初めて発行されました。
サルコペニアの原因は多岐に渡り、いわゆる加齢性変化、幼少期における発育・発達の影響、不適切な食習慣,寝たきりや活動性の低い生活スタイル、慢性疾患や特定の薬物療法などが挙げられます。
2. サルコペニアと整形外科
さて運動器系を担当する整形外医の視点から見たサルコペニアについて、私が最近オンラインで講演致しましたスライド資料をもとにお話しさせて頂きます。
人間は誰でも不動により四肢・体幹機能の障害が起こり易くなり、加齢に伴いバランス力や持久力・瞬発力・筋力は低下し、体を上手く動かす調整力も低下します。
これは整形外科医が担当する分野において前提となる基礎的な事実であります。従ってどなたでも罹患している疾患の根底には筋力や身体機能が低下するサルコペニアが潜んでいる可能性があるのです。
3. サルコペニアと骨粗鬆症
例えば、骨粗鬆症の方は日本に1300万人いるといわれていますが、骨粗鬆症とサルコペニアの疫学は非常に似ており両者を合併しているケースが非常に多いのです。サルコペニアになった女性は骨粗鬆症のリスクが約13倍高くなるという研究報告もあります。
両者を合併すると歩行障害やバランス力の喪失が起こり、転倒するリスクがおよそ2倍高まります。一度転倒して骨折を起こすと活動性が低下します。筋力・身体機能がさらに低下しまた転倒・骨折を繰り返してしまう。このようにサルコペニアの悪循環に陥ってしまうケースが非常に多いのです。
4. サルコペニアと痛み
宇宙飛行士は地上帰還後に腰痛と全身の筋萎縮を認めたり、腰椎椎間板ヘルニアを1年以内に起こすリスクが4.3倍高まるという報告があります。無重力が体に及ぼす影響の考察は、サルコペニアの治療・予防を考える上で非常に参考になるもだと思います(この点から見ると将来の宇宙旅行の大きな課題となりそうですね😮)。
この事実を裏付けるものとして、健常者を60日間臥位に保つと抗重力筋(多裂筋・大腰筋・脊柱起立筋)は体幹屈曲筋よりも著しく萎縮し、腰背部痛を訴えたという研究報告があります。
抗重力筋は寝たきりになると低下し易く、抗重力筋と体幹屈曲筋とのアンバランスが腰背部の痛みにつながる可能性が示唆されます。これは無重力状態にいた宇宙飛行士が痛みを訴える機序の説明になりそうです。
サルコペニアはうつ病のリスクも高いことが知られています。我々の脳には元来痛みを抑制するブレーキ役を担う機能が備わっており、普段自覚する痛みは実際に生じた痛みの強さからブレーキがかかった分を差し引いた強さなのです。このブレーキを「下行性疼痛抑制系機能」と呼びます。
うつ病になるとこの機能が低下してしまい、痛みを強く感じたり長引いてしまうことがあります。従ってサルコペニアはうつ病を介して痛みと関連していると言えるでしょう。
骨粗鬆症自体も痛みを引き起こすという報告があります。骨粗鬆症は骨を作る細胞(骨芽細胞)と壊す細胞(破骨細胞)のバランスが崩れ、破骨細胞が増え骨芽細胞が減るという状態にあります。
この増えた破骨細胞が産生する酸が、骨に存在する酸の受容体 (TRPV1) や 酸感受性イオンチャンネル (ASIC)を介して骨に分布する神経を興奮させ痛みを引き起こすと考えられています。
5. サルコペニアと慢性炎症
サルコペニアにより筋肉が萎縮すると筋肉から炎症性サイトカイン(IL-1、IL-6、TNF-α 等)という炎症を引き起こす物質が産生されます。そしてこれらは慢性炎症を惹起します。
慢性炎症は「万病の源」といわれ、様々な疾患の要因であるといわれています。100歳を超えると1世紀(センチュリー)を生きた人という意味でセンテナリアンと呼ばれますが、センテナリアン全員に共通する特徴として、
体内に慢性炎症が少ない 。テロメアの短縮が少ない。
という事実が分かっています。(テロメアは「命のろうそく」などと呼ばれますが、サルコペニアではテロメアの短縮が起こっているようです)。
整形外科疾患では変形性関節症を始め関節リウマチや椎間板性腰痛等に慢性炎症が関与している可能性があると考えられています。
骨粗鬆症や転倒による骨折、全身の痛みはそれぞれサルコペニアが関係している事が分かると思います。従って骨粗鬆症・骨折・痛みに対する個々の治療は勿論重要ですが、その根底にあるサルコペニアの治療(予防も含めて)も併せて行う必要があります。
6. サルコペニアと運動療法(前半)
サルコペニアの治療と予防において運動療法は一つの大きな基盤となるものです。運動はサルコペニアだけではなく内科的疾患や脳へも良い影響があることが分かってきています。
"Exercise is medicine"
とは米国のアメリカスポーツ医学会(ACSM)が提唱した言葉で、2007年からスポーツ・運動療法普及プロジェクトとして展開され、世界40か国以上が参加しています。サルコペニアの運動療法については次の記事に投稿いたします😊
<参考文献>
Waters D et al. Osteoporosis and gait and balance disturbances in older sarcopenic obese New Zealanders. Osteoporos Int 2010
Sjöblom S et al. Relationship between postmenopausal osteoporosis and the components of clinical sarcopenia. Maturitas 2013
Yamada M et al. Prevalence of sarcopenia in community-dwelling Japanese older adults. J Am Med Dir Assoc 2013
Eguchi Y et al. Associations between sarcopenia and degenerative lumbar scoliosis in older women. Spinal Disord 2017
St-Pierre J et al. Suppression of reactive oxygen species and neurodegeneration by the PGC-1 transcriptional coactivators. Cell 2006
Chang K et al. Is sarcopenia associated with depression? A systematic review and meta-analysis of observational studies. Age Ageing 2017
Nagae M et al. Osteoclasts play a part in pain due to the inflammation adjacent to bone. Bone 2006
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