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犬が好き

犬が好きだ。細かく言うなら私が飼っている犬が好きだ。

彼女は私が小学校高学年の時に家にやって来た、念願の新しい家族だ。私の両親は共働きで平日の昼間は家を空けており、私も小学生だったので家にはいない。来たばかりの犬を一匹残すのは可哀想だという理由で夏休みや冬休みの長期休暇に迎える予定だったのだが、私の両親、特に母は物事を後回しにする癖があり、その子を迎え入れたのはシルバーウィークの秋休みだった。私は友人にたくさんアドバイスやアイデアを貰って、「ぽんず」と名付けた。当時鬼滅の刃にハマっていた私は候補に「しのぶ」や「かなを」があったのだが、それは友人に絶対やめた方がいいと念を押されたので渋々候補から外した。今考えるとあの忠告は正しかった思う。狐顔のポメラニアンの女の子で、真っ白いもふもふの毛並が本当に可愛いと思った。ペットショップの張り紙には毛色がクリームと書かれていて不思議に思ったのだが、成長と共に本当にクリーム色になっていって驚いた。

彼女は私の一番の理解者であり、一番の友人あり、大好きな妹だ。去年6月に3歳になった彼女は人間で言うと20代らしいので妹と呼ぶのが正しいのかどうかは分からないが。

彼女は私が両親に叱られている(もしくは喧嘩をしている)と、ソファに腰掛ける私の膝に乗って無言で親の方を見つめる。私を庇ってくれているようで心強くて、ピリピリした最悪な空気の中でも少し笑ってしまう。もしかしたら、彼女は自分がお姉さんだと思い込んでいて、私を守ろうとしているのかもしれない。

また彼女は私の手を舐め回すのが好きらしく、隙あらば手の平から手の甲、指の間を舐め回しては反対の手を舐め始める。爪を立てた足で必死に押さえてくる力の強さが私の手を舐めることに対しての本気度の現れだと思う。日頃食べている歯みがきガムのお陰か元々の体質なのか、彼女の口は臭くないので舐められても手が臭くなることはないが、ベトベトするしあまり良いこととは言えない。それでも満更ではない私はきっと重症だ。

私はすぐ悪い方向に妄想してしまう癖がある。それは彼女に対しても例外ではなく、彼女が私を置いて死んでしまうことをよく想像する。当然のことながら犬は人間より寿命が短い。いずれは私を置いていってしまう。私はそのとききっと一緒に死んでしまいたくなると思う。

先日2泊3日の旅行に行ったのだが、ペットホテルの引取りの時間が合わず旅行が終わった次の日まで彼女に会えなかった。旅行1日目から寂しくてトイレで少しだけ泣いた。2日目はペットホテルから写真が送られてきて、人が大好きな彼女はスタッフがたくさんいる場所が嬉しいのかにこにこ笑っていた。目元の目やにを拭ってあげたくなった。3日目は帰宅しても家に彼女はいなくて、疲労と寂しさを抱えながら寝た。次の日ようやく帰ってきた彼女に私は特段喜んだ、ということはなく、普段通りにわしゃわしゃ撫で回してトイレを片付けた。

言葉にするのは難しいが、私のすぐ近く彼女がいるというのは私にとって当たり前のことなのだと思う。だからそばにいないと寂しくて堪らないし、帰ってきても喜ばない。そんな私から彼女が永遠にいなくなったら、と考えると怖い。複雑な言葉を使うよりも「怖い」という2文字でしか表せないほどに怖い。

すぐこんな妄想をしてしまう私は、いつも最後にこの結論にたどり着く。「でも今はいるじゃん」。そう、いつかいなくなるけど、今、彼女はここにいるのだ。そして、小型犬の寿命は約14年。私は15歳。私が生きてきた時間とほぼ同じだけ彼女は生きられる。そして私はこの今までの15年を長いと感じている。つまり、割と長い時間を彼女と過ごせる。少し頭の悪い着地かもしれないが、これが私の結論である。

私の居場所。私の理解者。私の味方。私の親友。私の妹。最高の妹。
そんな彼女が大好きだ。


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