あの日差しのべられた手を僕は忘れない

「なぜ来てしまったのだろう。」

むわっとした熱気が肌にまとわりつく。
加えてごった返した人の熱気もまとわりつく。
あまり綺麗とは言えない川の臭いが鼻をくすぐる、心地いいとは思えない。

周囲は花火の始まりを今か今かと待ちわびている中、河川敷の土手に座りながら僕は後悔の言葉を呟いた。

毎年近所で開かれている花火大会。
約2万発もの花火が上がるこの花火大会は、全国的にも有名だ。
だから人の数もかなりの多い。

人混みが苦手な僕は中学に上がってからというもの、毎年ベランダからその景色を眺め堪能していた。
それで満足だった。

けれど、今日は目の前に見える場所まで来ている。

ここまで足を運んだ理由がわからない。

受験勉強に身が入らなかったからなのか、勉強から現実逃避がしたかったからなのか、それとも夏を感じたかったからなのか..。
どれかは選べない、たぶん全部だ。いや、気づいていない思いもある気がする。

しかし、こうして来てみると期待していたほどワクワクするでもない、楽しいと思うでもない、きっと花火を見てもこれと言った感動はないかもしれない。
周囲はこの日を楽しみに生きてきたとでも言いたいばかりの熱気で溢れているのに、僕の心は冷めきっている。
まるで、世界から取り残されたみたいだ。

虚しさが込み上げる。
耐えきれなくなり、この場から立ち去りたいという衝動に任せて僕は立ち上が..。

「つまらなさそうな顔してるね。」

小さいけれど、そよ風のような優しい声が後ろから聞こえた。
一瞬僕にかけられたと思うも、この人数の多さだ。それに聞き覚えのないその声に、違う人へ声をかけたと判断してもう一度立ち上がる。
そのまま少女の横を通りすぎ、僕は帰路へ就く。

「今まさに帰ろうとしているあなたに声をかけたんですけど。」

声をかけられていたのは僕のようだった。
花柄の着物を着た見たこともない少女。顔立ちから同じくらいの年、一人でいるところから観光客ではなく別の中学校なのかと判断した。
ちなみに容姿は普通、可愛くも、綺麗でもない、本当にどこにでもいるような女の子。

「今、冴えない普通の顔だなって思ったでしょ、失礼ね。」

口に出していないのに言い当てられてしまった。誇張はあるけれど。

「顔に全部出てる。」

顔に出したつもりはないし、僕はいつでも無感動を絵に表したような顔のはず。
それでも彼女は不服そうな顔で僕を見透かしたようにそう言い放った。
その態度に、僕は自分の欠けているものも見つけてもらえる気がした。

「君が楽しめない理由を教えてあげる。ここじゃ邪魔だから移動するよ。」

彼女はそう微笑んで、僕の方へ手を差し出す。
思わずそのてを掴むと、彼女は僕を屋台通りへと連れ出した。


「夏祭りと言えばカキ氷だよね。」
「カキ氷を食べるのはいいんですけど、あなた誰なんですか?」
「まぁ、そんなことはどうでもいいからカキ氷買いに行こう。」

屋台通りに出てからずっとこんな調子だ。
どこの中学校なのか、何年生なのか、そもそも中学生なのか、名前ですら教えてもらえていない。

その割には、焼きそばや綿あめ、たこせんに焼きとうもろこし、彼女が買うもの全てを奢らされている。
今回のかき氷もきっと。
まだ幸いなのは全て半分僕にくれることと買う対象にテキ屋がないこと。

それにしても、ここまで払わされる一方なのに詳しい話は何も教えてもらえない状況が続くと、本当に「楽しめない理由」を教えてもらえるのか疑問に思えてくる。

一つ疑問が浮かぶと、そもそも彼女は家出少女なのではないか。とか、このまま一緒にいると補導されるのではないか。などポツポツと疑問が疑惑に変わっていく。補導なんてされて、彼女が「無理矢理私は連れ出されたんです。」なんて言われたらたまったもんではない。そんな考えも頭によぎった。
それでも、僕は彼女についていくのをやめなかった。どうしても、心にある靄が何なのかを知りたかったから。


「本当に僕が楽しめない理由教えてくれるんですか?」
思わず我慢が出来ずに聞いてしまった。
「へぇ、そんな顔できるんだ。今むすっとした顔してるよ。一番始めに見た無感情の顔じゃないね。声のトーンは相変わらずだけど。」
そう言って彼女は手鏡を僕に向けた。
そこに映る僕の表情はいかにも不機嫌です。といった表情。いつもの僕らしくない表情が映されていた。
「色々奢ってもらって楽しめたし、そろそろ話すよ。もう花火も終わりそうだし。」
彼女はそう言うと半分残ったかき氷をまた僕に渡し、空いた手で僕の手を掴むと花火が見える場所まで歩き出す。
気づけば花火が始まってから1時間も経っていた。

20分程歩いて人がまばらな場所で彼女は立ち止まる。ここから見える花火は少し斜めではあるけれど全体が見えるスポット。いわゆる穴場スポットだった。
残り10分の花火は終わりに向けて盛大に上がる。

それを眺めながら彼女は僕に語りかけ始めた。
「まず言うとね、君は見えない漠然としたものに期待しすぎ。人は何かの形で認識できるものに期待出来るから楽しく生きていけるんだよ。今日君は「楽しめない理由」っていう認識できる言葉に期待してついて来たわけでしょ?そうやって何かしらの形にしないと、何に期待してるかわからなくなるから迷うし、辛くなる。結果人生つまらないって顔になる。」
(そうか、なんとなく楽しくなるって勝手に何かに期待してここに来たもんな。)

「2つ目、君は色々知らなさすぎ。途中で手鏡見せたでしょ?その時の顔覚えてる?君はああいう表情ができるんだよ。何か出来事に出会った時、人は色んな感情が湧き上がる。それは表情という形で現れる。出来事に出会わなければ感情は湧き上がらない。何か衝撃が起こることから避け続けたら、楽しくなるものもならないよ。何かを知っていこうとすれば痛みを伴うかとしれないし、辛さも伴うかもしれない。けれど嬉しさや幸せも知っていこうしない限り伴わないものなんだよ。」
彼女の言葉にぐうの音も出なかった。

「まずは自分のことを知っていくこと。何が楽しいのか、何が悲しいのか。それを知って形にしていくこと。それと無愛想はよくないから微笑む程度でいいから笑顔は作っていこうね。そうしたらきっと、少しずつでもつまらなくはなくなっていくよ。」

最後の花火が上がる。音の大きさと綺麗さに目と意識を持っていかれる。
その壮大な景色に惚けるもすぐ彼女の方に目を向ける。しかし。そこに彼女の姿はなかった。
彼女の手を掴んでいた手に何か感触を感じ、開いてみると彼女の着物と同じ柄、胡蝶蘭の花が一輪握られていた。




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