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To be or not to be ?

オフィーリアという「運命の女」について、知っているだろうか。
シェイクスピアの「ハムレット」に出てくるハムレットの女だが、ハムレットにより、実父を殺され、気狂いになり、湖に身投げをした女である。
「運命の女」とは、「永遠に手に入らない理想の女」のことを言う。身投げをしたオフィーリアは、一生手に入らない娘だ。

そうして、わたしはある男子に「その子は、きみの運命の女だね」と、笑って話したことがある。
彼は意味を解さず、「運命なら、一緒になれたはずだ」と、忌々しそうな顔をして、つぶやいていた。
ちがうんだよ。と、わたしは自嘲の笑みを浮かべ、オフィーリアの話をした。

彼は、ある娘を、心から慕っていたが、彼女はさまざまな男と関係をもつ、気狂いの女であった。
しかし、だからこそ、その肢体は彼を悩ませ、迷わせた。
去って行った彼女を忘れることができず、いつまでも彼女の幻影に縛られ、新しい娘を愛せない彼も、すっかり狂ってしまっていた。

「彼女を越える女に会いたい」

そう言った彼に、わたしは、「幸せになれないから、やめな。そんな恋は不毛だ。」
はっきり言うと、彼は怒った。
しかし、わたしは揺れなかった。
「恋は比べるものではない。二人のことは、二人にしかわからないだろう。
だけど、きみは彼女の奴隷に過ぎず、恋愛で本当に幸せになりたいのなら、新しい恋をしなさい。
お互いを大切にしあえる人と出会う可能性を、自分から手放すな。
きみの未来を、運命の女なんかに、支配させてはならない」
そう言って、彼ははじめて、目が覚めたようにハッとしていたが、その後もしばらく黙していた。

彼に、オフィーリアの幻影がつきまとうかぎり、本当の意味では、幸せにはなれないだろう。
かつてのわたしのように。
だから、わたしは、はっきり言うよ。
幸せになりなさい。

彼と別れてから、いまの恋人とつきあうこととなったいまだから、言えることかもしれない。
わたしは、つくづく幸せだな、と思うのは、自分のたましいを、自分でつきつめきることの大事を、いましっかりと手にしていることだった。

どのような場合にも言えることかもしれないが、つくづく、恋愛という人の最も純粋な感情を弄ぶ人種への嫌悪感だけは、ぬぐえなかった。
「すき」だという、その言葉が軽くならないよう、とりわけ恋愛という純粋な感情だけは、大切にしたいものだ。

「生きるか、死ぬか、それが問題だ」
「やるか、やらないか、それが問題だ」
「To be or not to be ?」

もちろん、わたしは、to be なんだ。
生きるために、私たちは、やるしかない。

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