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天地伝(てんちでん) 3-4

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    四

 登紀子が八つを迎えるころには、体の状態も落ち着いてくるようになった。時折、全身が熱くなるようだが、発熱にまでは至らず、ようやく床に伏しっぱなしだった生活を、脱することができた。だが天狗の力が、体になじむと同時に、登紀子にも妙な力が宿るようになった。
 それは、突然だった。わしが縁側で丸くなり、眠っている時だ。陽も沈みかけ、池の周りに並ぶ縁石をだいだいの光が照らしていた。夜虫が、草むらを跳ねながら、軒下に入り込むと「あの子が、帰って来るよ」と、余計な口を訊いた。わしは、大きなあくびをもらしながら、「やかましい」と、つぶやいた。
 「あの子は、怖い」「あの子は、強い」そうつぶやきながら、小鬼や虫が、わしの周りを飛び跳ねる。タイマの力が弱くなってから先、こうした弱小の妖魔が、家の中にも入り込むようになった。
 もちろん、危害を加えるほどの力もないので、放って置いている訳だが、やかましくて敵わない。だが、かろうじて空気がよどまずに済んでいるのは、門前や壁に貼りつけている、タイマ手製の札のおかげだろう。
 「なんだ、また眠っていたの」
 不意に、少年のような声が落ちてくる。うっすらと目を開けると、泥だらけの登紀子が目に入った。黒い双眸を細め、微笑を浮かべると、わしの顔をのぞきこんでいた。肩にかかっていた、赤茶色の髪の毛が風にゆれて、はらり、と首元に落ちた。
 「あまり、寝てばかりだと、太るよ」と、言ってわしのひげを軽く引っ張る。わしは眉間に皺をよせて首を振ると、それを払った。
 「お前こそ、そんなに着物を汚して。また、山遊びか。由紀に叱られるぞ」
 そう言って、にやにやと笑うと、登紀子は眉間に皺をよせて、わしの耳を引っ張った。
 「お父さん達には、黙っていてよ。いま、実験中なんだから」
 「薬の調合でもはじめたか?まるで、魔女じゃな」
 そうして軽口をたたくと、登紀子はうっすらと笑みを浮かべた。この何かを企んでいるような顔を見るたびに、やはりこいつはタイマの子供だ、と思う。
 「あながち、間違ってはいないかもしれない」
 その言葉に、眉間に皺をよせて、顔を上げた。見ると、登紀子は肩に乗っていた小鬼を指先につまんで、じっと観察していた。
 何をするつもりなのか、と様子をうかがっていると、登紀子は、笑みを崩さすに口を開けた。指につままれた小鬼が、「ひ」と、短い悲鳴を上げた。わしも目を見開いて「おい、ちょっと待て」と、狼狽した声を上げた。
 しかし、登紀子は気にした風でもなく、脅えて震えていた小鬼を、嬉々として口の中に放り込んだ。そうして、しばらく咀嚼してから、「ああ、これがろうそくを食べる鬼なんだ」と、つぶやき、うなずいていた。
 あまりの光景に、絶句した。妙な娘だとは思っていたが、ここまで頭がおかしいとは、思わなかった。わしが固まって、しばらく様子を見守っていると、登紀子はふむ、とうなずきながら、鬼を咀嚼し終えたのか。喉を鳴らして、飲みこんだ。そうして腹をぽん、と叩いて、わしの方に顔を向け微笑んだ。
 「これが実験。私、なんだか妖魔が食べられるみたい」
 「そんなもの、見ていればわかる」
 なるべく平生を装って、ふん、と鼻を鳴らした。登紀子は、ふふ、と笑いながら、縁側から下した両足をばたつかせている。
 「ねえ、おかしいよね。妖魔を食べると、そいつがどんなものか、わかっちゃうんだ。それで、なんだか、体が熱くなるんだ。こんな変なこと、お父さん達には、とても言えないじゃない」
 そう言って、苦笑を浮かべた登紀子の横顔は、どこか寂しそうだった。みずからの妙な性質に困惑しているのか、面持ちは暗く、重い。だが、どうにかしてそれを、受け入れようとしているのか。
 なるほど、よく山の奥へ行っているとは思っていたが、さまざまな魔を探し歩いていたらしい。逐一、そいつらを咀嚼しては、魔の正体を分析していたのだろうか。さすが、タイマの娘だ。わしには、理解できん。
 「阿呆か、お前は。無駄なことはやめろ」
 わしは尻尾を振って、丸くなると、あくびをもらした。登紀子は、心なしかムッとした表情をして、「どうして」と、つぶやいた。閉じていた瞼を半分だけ開けて、その不服そうな顔を見つめた。
 「どうしても何も、あるものか。そいつは、天狗の力だ。お前は、恭一郎の娘なんだから、持っていて当たり前だ。うぬぼれるな」
 登紀子は一度、目を大きく見開いてから「どういうこと。まるで、お父さんを化け物みたいに言って」と、素っ頓狂な声を上げた。わしはそれに眉間の皺をよせながら、ため息をついた。
 「正確には、天狗だったんじゃ。何を血迷ったのか、人間になってしまったがのう。恭一郎は、食べたものを分析、解析することもできた。それをそのまま、みずからの力にもできた。お前も、その血を受け継いでいるだけじゃ。人の身でな」
 「そんな」登紀子は当惑し、うつむいた。その横顔を見つめながら、わしはにやにやと笑った。
 「だから、無駄なことはやめろ、と言ったんじゃ。お前が、どれほど魔を喰おうと、天狗の力が尽きることなどない。おのれの持つ力を、知れ。どう使うか、考えろ。そのほうがよほど有意義だ」
 「他人事だと思って、勝手なことばかり言って」
 登紀子は、不機嫌そうな眉を中心によせて、わしを睨んできた。
 「事実じゃ。お前が何に傷ついているかなど、わしの知ったことではない。だが、余計な仕事を増やされると、面倒でいかん」
 「なにを言って」そうして、言葉を継ごうとした登紀子の口を、大きな影が後ろから覆った。そのまま、登紀子は縁側の上に押さえつけられ、小さな悲鳴を上げた。身動きがとれないのか、息を飲む音が聞こえた。
 わしは、それを眺めながら、面倒くさそうに耳をゆらして、起き上がる。
 「だから言ったろう。そいつは、お前にくっついて来たんじゃ。馬鹿め」と、愚痴をこぼしながら、登紀子の上に乗っかっている影に、飛び乗った。
 わしの体に巻きつこうと、伸びてきた影の手に噛りつく。大した歯ごたえも無かったが、それをそのまま食いちぎった。
 影は、ぎゃあ、と悲鳴を上げて、縁側の上から転がり落ちる。わしはそれを追いかけて、大きく口を開くと、そいつを丸ごと飲み込んだ。
 奥歯で噛み切った瞬間、何か骨のようなものが砕けた。おそらく、また化けた獣の類だったのだろう。だが、味はまずまずだった。
 わしは降り立った庭の上で、耳の裏をかきながら、「おい」と、登紀子を振り返る。荒い呼吸をくり返しながら、わしを見つめる登紀子に向かって、血のこびりついた牙をのぞかせ「そんなに魔が喰いたいなら、どちらがより多く喰えるか、勝負するか?わしは、大食漢だぞ」と、言った。
 登紀子は一度、呆けた顔をしたが、すぐに声を上げて笑いだした。
 「絶対にお断りよ。勝負になる訳ないでしょう」
 「だろうな。お前は人の子で、わしは鬼だ」
 「偉そうに、ただの化け物じゃない」
 「お前も、ただの人間だろう」
 得意そうに笑って見せると、登紀子は腹を抱えて、しばらく縁側の上で転がっていた。その笑い声はよく響き、何事かと思った由紀が、座敷から顔を出していた。


     五へ続く



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