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紅筆伝 1-7

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第一章 一話へ

   七

 「おい、ふざけるなよ。こんな店で何が解決するんだ」
 男は見知らぬ顔であった。
 なぜ、知っていると思ったのか。タチバナはどこかで見たことがあるように思った。
 おそらく、昔の客か何かだろう。忘れている。これもよくあることだ。
 そう思い、怒りを顕わにしている男に向かって、静かに近づいてゆく。
 「その子から離れろ」
 「なんだと?」言われて、足元を見ると、眉間に皺を寄せて、震えている真子が、黙って立ちすくんでいた。
 生まれてこの方、人に怒鳴られたことのない真子だ。
 おそらく怯えてしまったのだろう、可哀相に。そう思い、タチバナが真子に近づくと、真子は満面の笑みで、タチバナの元へ駆け寄って行った。
 「ねえ、みかんちゃん!すてきよ、お客様が来たわ。しかも、赤鬼よ。わたし、初めて、人間以外のものを見れたのね。うれしい!」
 そうはしゃぐ真子の様子に、怒り心頭し、顔を赤くしていた男は、口を大きく開けて、驚いた表情に変わる。
 真子の様子に、タチバナは一気に、気が抜けた。真子の頭をなでながら、何事も無かったかのように微笑んだ。
 「真子。きみ、失礼を言ってはいけないよ。あれは一応人間だからね」
 「お前の方が失礼だろう」そう続けたのは、八枯れだった。
 奥の畳の間から出てきた黒猫は、小さくあくびをしながら、のそのそと歩いている。「おい、そこの男、何の用じゃ。外の看板の文字が読めなかったのか。ここは閉店しているぞ」
 「失礼だね。私は事実を言っているだけじゃないか」
 「猫がしゃべっている……、」
 「八枯れ、字が読めるのね!」
 それぞれが、好き勝手に言葉を発しているため、もはや、そこは混沌と化していた。
 それをいさめようと、ため息をついて話し出したのは、やはり八枯れだった。
 「おい、いい加減にしてくれ。わしらも暇な訳じゃない。貴様も、この店の噂を聞いて、近づいてきた一人なんだろう?だったら、慣れろ。わめくな。用件を言え。猫はしゃべっても、それほどおかしな状況じゃない」
 「きみ、まるでチェシャ猫のような無茶を言うね」
 「そもそも、貴様の客じゃないのか。早くどうにかしろ」
 茶々を入れてきたタチバナに、八枯れは、心底イラつきながら、睨みつけた。ああ、そうだったね。そう言って、タチバナは、だらり、と垂れた長い髪を後ろ手に結びなおす。
 「きみさ、どこから来たの」
 「なんで、そんなこと……」
 「だってさ、きみ、すごいよ」
 「なにがだ……、」男は、勢いを無くして、タチバナの無表情を見つめ、絞り出すように声を出した。それを何でもないことのように眺めながら、タチバナは囁くようにつぶやいた。
 「死臭が」



   八へ続く


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