母胎(ぼだい)
赤と白
「赤」
御伽噺の魔女の城、庭園の薔薇の中に一匹の蜥蜴が、すやすや眠っている。
少しだけ紫が混じった、赤色の花びらをまとって、天然の惑わすような香水の中で、すうすう寝息を立てている。
城の主の、薔薇と同じ色の長爪の指が、小さな古龍を絡め取る。
ふふふふふ、魔女は爪や薔薇より真っ赤な、唇の端を弧に曲げて笑いかける。
お前には、もっと大きくなってもらはないとねえ、月の満ち欠けが三十回過ぎたら、毒蜂の蜜をやって、鳥兜(トリカブト)の花瓶に移してやろう。
きっと、強力な毒舌の持ち主になるだろう、そうなればきっと、あたり一面毒息で枯れ果て、麗しいお姫様も死にかける。
そうしたら王子様は、かんかんと目を血走らせて、私の城に乗り込んでくるだろう。
ふふふふふ、と女魔術師は、変わらず怪しく笑い出す。
手のひらにころんと転がされた、小さな爬虫類と言い難いものは、寝起きの不機嫌な眼(まなこ)を魔女に向ける。
なぜそんなことをすると言いたげに、その瞳はだんだんと薔薇の花びらと同じような色に染まっている。
まるで水中に絵の具を垂らしたように、
静かに上から下へ、赤い線が曲線と変な軌道を描きながら。
なぜだって?紅色をこよなく愛する魔女は、答える。
古今東西魔女は、悪いことをするものだと相場が決まっている。それだけさ。
ずっと昔の御伽噺話から、そうだとも、よく言うだろう、昔からの慣習には乗れと、冷めた奴は嫌いさ、野暮なことはお聞きでないよ。
言い終えると魔女は、鱗を持つ雛を銀の水盆に入れる。
上からまじないをかけた水差しで、お茶を注ぐように、音を立てて水をかける。
月の姿が沈んだ泉の水で、沐浴をしな、そうすれば魔の力も貯まり、体も大きくなるだろう。
古の眷属は喜んで、水遊びを始める。
昼の仕事を終えた魔女は、陽の光をうっとおしそうに感じながら、自身の冷たい石壁の城の中へ帰る。
水盆の中の銀の水は、未来の毒主が嬉しそうにはしゃぐ度に跳ねて、燦々と咲く不思議な色の薔薇の中に落ちる。
禍しい人物の植えた薔薇に、これまた未来で残虐な行為を繰り返す、残酷さのかけらも感じない生き物のいたずらで水の雫玉が落ちると、
そのような事は微塵も感じさせない、似てもにつかない物に見える。
それはまるで、朝日と天上の主の祝福を受けた、天使の涙になりかけた朝露のように。
「白」
襤褸布のような貝殻を、開くとそこに粒一つ、周りを珊瑚質の林に囲まれた、みすぼらしい貝殻の中の真珠玉の赤子は、ゆっくり目を開ける。
まだ微睡んでいたいような、情けないとろけた細い目を、真珠玉の赤子は、水面に映る月の守人の海神(わだつみ)に向ける。
おお、可哀想に、わだつみが海藻と藤壺だらけの、磯臭い口を開ける。
お前たちは、何も知らずに眠り続ける。
いつまでも、その暖かい貝肉の下で、眠り続けられると思うな、お前たちがいよいよ最高の夢をみようとするときに、無理やりお前たちは貝から剥き出しにされ、外の世界へ放り出される。
外の世界の冷たい汚れた空気を、一心に浴びたあとは、お前たちはおぞましい手によって、永遠に冷たい鉄や銀の鎖に繋がれる。
その後は、えもしれない貴婦人と称する女の胸もとや、指先を飾るだけ。
外の世界に憧れて、一生出れぬとわかれば夢を見て、その夢の、一番いい気分さえ味わえない。
かと思えばいきなり、目の前に世界が広がり、希望が雪崩のように立ち込み、一瞬で自分の夢見た世界とは遠くかけ離れたと裏切られる。
自分の魂の抜け殻を卑しい目に延々と見られて、果ては綺麗とほざかれべたべた触られる。
生前の姿など一度も見られた事などないくせに。
本当にお前たちは気の毒な生き物だ。
わだつみが、潮の混ざったため息を吐く。
可哀想な事などあるか。
真珠の赤子が、絹色の寝巻きを揺らして、口を開く。
我らは、外の世界になど、露ほどの興味もない。
外の世界が我らには、牙しか向かないなどと、我らはとうに知っている。
我々の祖の魂がしっている。夢の中で教えてくれる。
だから我らは、夢を見る。
次の生での、希望の幕上げを、
陸を望んだもは二本足で歩くもよし、
大空に憧れたものは翼で大気を切り取るもよし、
名残惜しいものは水中で鱗を綺羅めかせるもよし、
そして切ない幕引きを。
このように、小さな生き物でさえ、来世を信じる。
それなのにお前は、自分の信じているものが、真実と思い込んで、いっこうに疑わない。
大きい図体をしているくせに、こんな小さい者の思っていることも分からない。
かわいそうなのは、一体どちらだ?
真珠玉は、憎らしい口調で言い放つ。
わだつみはそう言われると何も返せず、静かに襤褸布貝殻を閉じて、下に落とす。
底の砂が、そっと薄い紗のように広がって、貝殻を赤子の手のように、優しく受け止めたのを確認すると、
手持ち無沙汰に、自身の神殿へと帰っていった。
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