孤独の吸血姫:~第一幕~鮮血の魔城 Chapter.5
「どうした? 何を泣いておる? ん?」
泣きじゃくる少年を、ジル・ド・レは優しく宥めた。
「ジル・ド・レ様……ボク……ボク……」
「どうした? 男子たるもの、そうそう泣くものではないぞ?」
「何も……何も悪い事してないんです」
「そうであろう。そうであろうとも」
慈しむ表情で彼は何度も肯いた。
まずは、この子の気持ちを解してやらねばならない──そう思うからだ。
「なのに……なのに、ボク……この人達に浚われて、痛い事や酷い事をいっぱいされて……」
「うむ、そうか。そうであったか」
少年が指すのは、ジル・ド・レの脇に並び立たされた巨漢達。
岩のような筋肉を晒し、頭部は麻布のマスクで覆っていた。猟奇的で奇異なる出で立ちだ。その手に握られているのは、鞭や爪剥ぎペンチ等の禍々しい拷問器具。滑り滴る赤は、まだ鮮度が新しい。
拷問処刑人である。
自城〝ティフォージュ城〟の地下室で人知れず展開していた惨劇を嗅ぎ付け、ジル・ド・レは現場を押さえた!
湿る石壁へと鎖枷で括り着けられた少年。半裸に剥かれた華奢な身体には幾多の傷痕が赤黒く滲み、その表情は恐怖と苦痛でクシャクシャに泣き崩れていた。
涼気籠もる地下室内はただでさえ黴臭いというのに、噎せるような血の臭いが混じって吐気を誘う。
「これは何事だ! 何という事をしておるか!」
憤怒任せの一喝に、ジル・ド・レは暴漢達を殴り飛ばした!
哀れな少年へと向き直ると、非人道的な戒めから即座に解放してやる!
絶望の中で現れた頼もしい味方──涙溢れる少年の目には、厳格なる城主が〝神の遣わした正義の使者〟と映ったに違いない。
優しく抱擁する安心感に、少年は泣きじゃくる。
堰を切ったように涙が止まらなかった。
「ジル・ド・レ様……ボク……ううっ……ボク……」
どれだけ長く泣き叫んでいたかは、掠れた声で判ろうというもの。
「もうよい。もうよいのだ」
声を詰まらせる訴えに、ジル・ド・レは慈愛を注ぐ。
「そう……もう、よいのだ」
突如一変して、声音が冷酷な低さへと染まった!
得体の知れない恐怖が、少年の背筋に走る!
自分を宥めていた聖者の抱擁は、悪魔の捕縛へと擦り替わっていた!
柔らかく包み込むように抱きしめていた腕が、親の敵とばかりに渾身の力が込め始める!
「ぃ……がぁあぁああ?」
恐ろしさと苦痛に反り悶えながら、少年は身を剥がそうと足掻いた!
このままでは背骨が折られる!
「もうよいのだ! 童、充分に満喫したぞ!」
「ぃ……ぎぃぃぃぃいいい?」
死の恐怖にもがく少年の表情を、殺意は悦に味わった!
密着に暴れる体温が、性的興奮にも似た高ぶりを彼に与える!
事の総ては、ジル・ド・レの自作自演!
屈強な拷問人も、呪われし地下室も、罪無き少年を拉致監禁したのも、ジル・ド・レ自身が画策したものだ!
「ジ……ジル……レ……さ……」
果てる瞬間が近い──そう察したジル・ド・レは、我慢しきれず喉笛へと噛みついた!
卑しく口周りを汚す赤。
それを生命の美味と啜り尽くす!
咥内に流れ込む鉄臭は一滴たりとも逃すまい!
荒く乱れた少年の息が、徐々に弱々しくなるのを耳元で感じた。
だから、彼は吸血欲求を自制する。
完全に息絶えられては締め括りを味わえない。
石畳へと投げ捨てられた少年は、虚空を仰ぎながら漏らした。
「ジル……さ……ま……な……んで……」
「許せよ、少年。これがワシの性なのだ──悪魔に魅入られた愚か者の忌むべき末路なのだ」
再び慈愛に満ちた両手で、生命の灯を消さんとする少年の頬を優しく撫でる。
そして、瞬間的に変貌した悪鬼の形相は、そのまま脆い首を捻り折った。
「──ハッ!」
血腥い悪夢に、ジル・ド・レは跳ね起きる!
我へと返って見渡せば、そこはロンドン塔内に構えた自室である。忌まわしきティフォージュ城ではない。
あまりの生々しさに、棺で半身起こしとなっていた。
まだ鎮静化しない高鳴りが脂汗と滴る。
それを拭いつつ、彼は独り呟いた。
「夢……か」
否、それは〝夢〟ではなく〝記憶〟だ──そう自覚し直す。
闇暦に於いて、吸血鬼は〝眠り〟を必要としない。
常時〝闇の世界〟だからだ。
しかし、彼は久しく棺床へと潜った。
日々募る責務の疲労感からだ。回復促進目的の休眠ならば、闇暦でも珍しくはない。
そうした流れの中で、彼は忘れ掛けていた呪縛に責められたのだ。
原因は分かっている。
プレラーティが仄めかした進言だ。
「貴奴め、余計な誑かしを投じおって……」
不平を口にして、渋々ながらに棺から這い出た。
回復促進どころか、拭えぬ倦怠感が身を包んでいる。
だが、もはや眠り直す気も失せていた。あまりにも寝覚めが悪い。
卓上の瓶を荒れて取ると、赤の美酒をグラスへと注いで飲み干した。
「現在にして思えば、何故ワシは斯様な悪業に堕落したのか」
悪魔からの呪縛──吸血鬼としての性────それは間違いないだろう。
だが、それだけでは釈然としなかった。
──ならば何故、子供に固執したのか?
吸血行為や虐殺癖だけならば、別に成人相手でも良かったはずだ。
にも関わらず、自分は子供へと固執した。
その異常な執着理由は、意外に根深いようにも感じる。
彼自身の内なる深淵へと眠っているようにも……。
「或いは、それを知るのも悪くない……か」
寂しく乾いた自嘲を浮かべる。
それを模索に探る時間は、まだまだ無限に有る。呪われし第二の人生は、終わりが無いのだから。
不意に背後へ気配を感じた。
厳格さに引き締まった表情が、振り向きもせず言い当てる。
「……プレラーティか」
「左様で」
人の形を成す影。
どうにもタイミング良く現れる──主は疎ましささえ感じ始めていた。
「何用だ」
「今宵は手土産がございます。ジル・ド・レ様に於かれましては、御満足頂けるかと……」
意味深を含んだプレラーティは、主の眼前へと麻袋を投げ置いた。些か大きめの袋だ。
「手土産だと?」
訝しげに手を伸ばそうとした瞬間、麻袋はモゾモゾと動きを見せた!
「これは!」
戦慄にも似た衝撃に、ジル・ド・レは固まる!
生命感を宿す滑らかな動き!
そして、くぐもり聞こえるもがき声!
抱いた懸念が確信へと変わった!
「こ……子供? 貴様、まさか子供を?」
「ジル・ド・レ様には、満足頂ける品かと……」
「何という事を……よりにもよって何という事をしてくれたのだ!」
主の激昂を真正面から受けながらも、暗い瞳は淡々と続ける。
「あくまでも手土産──コレを如何様に扱おうと、それはジル・ド・レ様の自由でございます」
抑揚無き示唆を残し、影は消えた。
堪え難い誘惑を置いて……。
静寂に取り残されたジル・ド・レは、上擦った声に戸惑いを漏らした。
「こ……子供……この中に?」
震える手が麻袋へと伸びる。
理性と欲求が混沌と化して攪拌し、自分でも訳が分からなくなっていた。
「こ……子供が……」
過去に命を奪った八〇〇人の子供達が、無垢な笑顔で彼の名を呼び続ける。それは透過写真のように重なり合い、脳裏で激しい渦を描いた。
「……子供……」
喉が渇く。
自制心が掠れそうだ。
そして、彼は意を決したように麻袋を剥いでいた。
その中に有るのは、やはり彼が欲していた物であった。
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