孤独の吸血姫:~第二幕~白と黒の調べ Chapter.5
紅蓮の炎が街を呑む!
屍の侵攻が人々を斬り捨てる!
シティ居住区は、いままさに地獄絵図と化していた!
その大虐殺のパノラマを、屋根の上から遠退きに傍観する二つの影──〝血塗れの伯爵夫人〟ことエリザベート・バートリーと、その片腕たる魔女ドロテアだ。
「ホホホホホ……見事! 真に見事であるぞ、ドロテア! よくぞ数日で、これだけの兵力を揃えた!」
「御誉めに預かり光栄にございます。されど、まだ種火に過ぎません。此処に揃えたるは、たかが酒場客の頭数。これを皮切りに、更に多くの兵数を増産しなければ……」
「いや、充分であろう」
「エリザベート様?」
「今宵の襲撃分だけで、更なる兵数補填は叶う。なれば、ロンドン塔など楽に陥落出来ようぞ。これで、ようやく忌々しい小娘共を葬れるというもの……ホホホホホホ!」
(チィ、短絡な白痴が! 戦力差の目算も出来んというのか!)
「愚民共、我を崇めるがいい! 讃えるがいい! 畏怖するがいい! 美しいであろう? 怖ろしいでろう? それこそが〝真の支配者〟たる我にふさわしい賛美!」
眼下の惨状を眺める邪視が愉悦と陶酔に細まる。
所々で赤の飛沫が噴き上がり、断末魔の絶叫が絶え間なく響きわたった。
その凄惨な喚き声が、エリザベートの耳には畏敬と崇拝を込めた命乞いに聞こえる。
現状、彼女は自分を〈神〉の如く倒錯していた。
蠢くも動かぬも含め、死体は街路を賑やかす!
それを熱に照らす朱舌は、猟奇的高揚感を助長させる照明演出でもあった。
眼下に黒く広がる屍兵の影。
忠実なる不死の群隊。
その圧倒的な侵攻力に、吸血妃は高らかな嘲笑で勝ち誇る。
「アハハハハ! アハハハハハハ!」
と、その光景に違和感を覚えた。
「……何だ?」
視界の隅に捕らえた異変は、やはり錯覚ではない。
黒集りの一角が、微々ながらも陣形を崩しているではないか。
それは焼け焦げのように広がり、やがて、その周辺を大きく斬り拓いていく!
毒々しくも鮮やかな血飛沫が咲き乱れてはいるが、それは先刻までとは質が異なっていた!
屍兵の赤花だ!
「ア……アレは!」
彼女の目に飛び込んできたのは、反逆の輪舞を踊り狂う黒と白の外套!
謀反の手駒たる屍兵達は、次々と冥府へ解放されていった!
「……カーミラ・カルンスタインッッッ!」
憎むべき敵の姿を認識し、忌々しく唇を噛んだ。
距離にして三〇メートル程離れている。双色の吸血姫達はミニチュア人形にしか見えない。
にも関わらずエリザベートは、確実に憎悪の対象を認識していた。
それは吸血鬼特有の超視力による部分も大きいだろう。しかし、それ以上に彼女の執着的呪怨が、それほどまでに強いという立証でもある。
何故、カーミラが此処にいるのか──それはエリザベートにとって、どうでもよい事だ。ただ〝宿敵によって計画を邪魔立てされた〟という事実だけが、彼女にとっては重要なのである。
一方で策謀者ドロテアの分析眼には、非常に由々しき展開としか映らない。
(アレはカーミラ・カルンスタインに、カリナ・ノヴェール? 何故、貴奴等が此処に?)
全く以て計算外の乱入者であった。
エリザベートにゾンビに自分……これだけの戦力では、些か心許ない。
(此処は一時退くか)
取り敢えずのテストは上々の結果であった。これ以上、無理を敷く必要はない。否、折角の戦力を無駄に損失しない為にも、此処は退くべきである。
「エリザベート様、一時撤退を……」
「ならん!」
「エリザベート様?」
ドロテアが困惑に凝視した女主人の横顔は、まさに吸血鬼の本性であった。殺意に血走った目と、歯噛みする口元に覗く牙──破滅を帯びた美貌の相好に獣性を宿す形相が同化している。
憎悪に漲ったエリザベートの瞳は、カーミラだけを睨み据えていた。
彼女の薄っぺらい自尊心には、もはや、それしか映ってはいない。
「フン……考えてみれば、これは千載一遇の好機よ! いま此処で、あの小娘を亡き者にしてくれる!」
「此処は撤退の選択が英断かと! 悪戯に屍兵を損失すれば、これまでの計画が水の泡……」
「いいや、退かぬ! それでは、我が貴奴に屈した事と同義となろう!」
「し……しかし!」
「案ずるでない。要は確実に屠ればいいだけの事。こんな場所で城主が朽ち果てたとは、誰も思うまい」
(ええい! その実力がキサマには無いと言っている!)
ドロテアは焦燥を抱く。
ここにきて〝傀儡〟は暴走した。
そして、虚栄と過信に支配された人形は、もはや彼女にもコントロール出来る域ではない。
「続け! ドロテアよ!」
紫の外套が滑空に屋根から飛び降りる!
その姿は、まるで血に飢えた巨大蝙蝠!
或いは、獲物を捕食せんと襲撃する怪鳥の如く!
「……誰が行くかよ、馬鹿が」
ドロテアは隠していた本性を曝け出す。
争乱の火祭へと呑まれていく紫翼を蔑視に見捨て……。
「あの手駒は、もう帰るまい。本来ならばアレを御輿として、ロンドン塔を襲撃させる計画であったが……」
要たる傀儡人形は失った。おそらく屍兵も大幅に損失する。
「計画を見直さねばならんか」
魔女が指を鳴らすと、数体のゾンビが静かに撤退した。
蠢く頭数が多いだけに、誰一人として気付かない。
カーミラも──カリナも──エリザベートも────。
「悪く思うなよ、エリザベート・バートリー。少しでも基手は残しておきたいのでな」
損失した屍兵の数は、これを起点に増やしていくしかないだろう。
問題なのは、エリザベートに代わる戦場の要だ。
現状、それは〝あの男〟以外にない。
虚栄心の塊であるエリザベートに比べ、些かコントロールは難しそうだが……。
「保険を掛けておいて良かったよ」
冷酷に言い残してドロテアは踵を返した。
後目に見送る〝血塗れの伯爵夫人〟とは、もう会う事もないだろう。
そして、魔女は闇へと霞んで消えた。
茨の鞭が蛇と踊り、紅い刃が星と閃く!
双色の吸血姫は華麗に舞い、群がる死体の包囲網を捌いていった!
しかし、屍が動きを止める事は無い。
「何なの? 頭を跳ねたというのに、首が無いまま向かってくるわ!」
実際のところ、首だけではなかった。四肢を斬り離しても死体は停止しない。それどころか、地に落ちた部位が分裂派生した別生物のように蠢いているではないか。
転がる部位を細分化に斬り捨て、カリナが平然と教示する。
「蘇生プロセスからして、デッドとは違うのさ。コイツ等は〈呪術〉によって再活動している。脳や頭部を破壊した程度では朽ちん」
「わたし達〈吸血鬼〉に近しい性質ってわけね──認めたくはないけれど」軽く不快感を含んだカーミラは、荊鞭で切断しながら改めて処置を尋ねた。「じゃあ、コツは? 教えて下さるかしら?」
「間接そのものを破壊するか切り捨てろ。如何に動く肉片とはいえ、テコ軸が無ければ行動など出来まいよ」
「なるほどね」
「手首は炎にでもくべてやれ。この部位だけは、乱戦下で捌く暇など無いからな」
本来ならば多勢に無勢の窮地であろう。
さりとも〈吸血姫〉たる彼女達にしてみれば、たいしてデッド戦と変わらなかった。単に一手間多いだけだ。
その時、剥き出しの敵意が、カーミラを急襲する!
「カァァァミラ・カルンスタイィィィン!」
悪鬼の形相で飛来する紫の魔翼が、カーミラの頭上擦れ擦れを過ぎる!
凄まじい突風を発生させる奇襲!
咄嗟に踏み堪えようと試みるカーミラを、勢い孕む気流は紙細工の如く凪いだ!
次の瞬間には、抵抗空しく煉瓦壁へと叩き着けられる!
「きゃあ!」
「カーミラ!」
戦況の急変を察知し、カリナが叫んだ!
だがしかし、彼女の下へは駆けつけられない!
取り巻くゾンビ共が足止めとなっていたからだ!
「ぞろぞろと……っ! どけぇぇぇぇぇ!」取り囲む首を一舞に跳ねるも、すぐさま群がり補填されてしまう。「チッ、基より死体だけあって怖いもの知らずか」
こうなると、武功の欲を出して先行していたのが仇となった。
ややあって、瓦礫の山からカーミラが身を起こす。
屑塗れに汚されながらも、白麗は案じる戦友へと苦笑を向けた。
「大丈夫よ、カリナ。ちょっと油断しただけ……」
その一方で、彼女は失念の軽率さを噛んだ。
つまり、背後に当然潜んでいる黒幕の存在を。
(並の吸血鬼ならば、四肢が弾け飛んでも不思議はなかった……か)
左腕が鈍く疼いた。曖気にも出さぬよう隠してはいたが、それなりのダメージを負っている。
紫翼の怪物は抜け目がなかった。
奇襲に擦れ違う際、超音波咆哮を放っていたのである!
それは不可視の鉄球と化し、風圧に硬直した無防備な身体へと殴りつけた!
臨戦体勢に気持ちを切り替え、カーミラは頭上に滞空する奇襲人物を仰ぎ睨む。
黒い妖月を背景に、悠々と外套を靡かせ立つ紫影。巨眼を後ろ盾にした構図故か、まるで魔界からの刺客にも思えた。
妖しの影は高笑いに勝ち誇る。
「ホホホ……無様! 無様よのう、カーミラ・カルンスタイン? 汚れたキサマは地へと這い蹲り、勝者たる我は悠々と高見にある──これぞ在るべき優劣の縮図よ」
「エリザベート・バートリー?」
「〝様〟が足りぬわ!」
鋭利な爪撃を混ぜた風圧!
鎌鼬現象を帯びた暴風が、ダメージを負った左腕に四筋の赤痕が刻みつける!
この部位を狙ったのが、故意か偶然かは判らぬが……。
「クッ!」
「本来ならば、いま少しは軍勢の育成に集中すべき時期であったが……キサマが介入してきた以上は捨て置けぬわ」
「軍勢?」
「如何にも」
「では、この惨状は貴女が!」
胸中に芽吹く悲嘆と憤り。
確かに強健派が現状の政策方針を快く思ってない節は、カーミラ自身も重々承知している。そして、殊更エリザベートには、自分へ対する反抗心が顕著だという事も。
一方で、己の統制力が絶対的だと自負していたのも事実ではあった。
だからこそ、自身が防波堤として機能する限りは人間を擁護出来るとも……。
が、結局それは過信に過ぎなかったのかもしれない──カリナが示唆していたように。
その証明が組織末端たる衛兵吸血鬼の腐敗であり、我が身を襲った現在の苦境だ。
それでもカーミラは叱責せずにはいられなかった。
「禁じたはずです! 人間を不遜に扱ってはならないと! その人権を尊重せねばならないと!」
「下賤の事など知るか!」
謀反人が吐き捨てた台詞を耳にし、黒外套の眉がピクリと反応する。カリナにとって、唾棄すべき不快感であった。
「所詮、奴等は貯蔵樽よ! 我等を吸血鬼を潤すための家畜に過ぎんわ! 共存? 人権? ハッ! 笑わせるな! 下層の者共は、おとなしく全てを差し出せばいいのだ! その命までもな! 我等支配層は、ただ潤うのみ! 奴等が飢えようが野垂れ死のうが知った事か!」
「エリザベート・バートリー!」
口惜しさに吼える。
まさか〝血塗れの伯爵夫人〟が、ここまで強烈なエゴイズムを鬱積させていたとは……完全にカーミラの憶測を越えていた。
盟主としての立場上、裁かねばならない──そう自覚しつつも、カーミラは躊躇を覚える。
(できれば、戦いたくはないけれど……)
反目関係に在るとは言っても、互いに〈吸血鬼〉であるという同属意識は拭えない。況してや〈吸血貴族〉は希少な存在だ。
だからこそ、それを共感に置き換えようとしてきた。
それに対してエリザベートは、意固地なまでに敵意へと転化している。
この平行線は決して交わる事がない──その確信があればこそ、彼女は苦悩を抱くのだ。
「何故、このような愚考を!」
「空々しい。我がキサマへの殺意を常々抱いていた事は、既に知っておったであろう? 水面下で謀反を画策していた事も……。のう? カリナ・ノヴェール?」
屍兵の包囲網を捌き続けるカリナは、剣舞の一息に冷ややかな睨めつけを返す。
「部外者の私に振るなよ」
「フン、我は忘れてはおらぬぞ。あの時、キサマは我の心底を見透かし、挑発と侮蔑を込めて見据えたではないか」
「ああ、アレか」
背後から襲ってきた屍の脳天を、紅剣が煩わしく突き刺した。肩越しの無作為な一撃だ。物量こそ厄介ではあるが別段脅威ではない。
カリナは鼻で笑い、小馬鹿にした態度で答える。
「アレは、こう思ったのさ──『随分と化粧の濃い老害がいやがる』とな」
「なっ?」
翻る黒波に生み出される幾多もの赤い弧!
黒外套の周囲には肉片が、ピクピクと散乱しているだけだった。
「いまの一体が最後か。もはや捌くべき生ゴミは無いようだ」
煩わしい作業の終了を確信するカリナ。
そのまま手近な瓦礫へと腰を下ろすと、傍観意向に脚を組んだ。
「おい、カーミラ」
「何かしら? カリナ・ノヴェール?」
敵を睨み据えたまま、カーミラが返す。
左腕が疼いた。それは、そのまま誇りの痛み。
隠した異変に気付いたか──或いは気付かぬままなのか──干渉放棄の黒外套は、ぞんざいな言い種に呈する。
「今回の興は、くれてやる」
「え?」
一瞬、カーミラは耳を疑った。
思わず傍観者を凝視する。
あの意固地な拈れ者が、他人へと興を譲ると言う──到底信じられない申し出だ。
しかし、頬杖ながらに自分を正視する眼差しは、強い意志力で見定めているようにも感じられた。
無言の真意を汲むと、不思議と迷いが晴れていく。
「……そうね。それが、わたしの責務ですものね」
己への鼓舞に腕の痛みは忘れた!
「ええい、悉く目障りな小娘が!」
わなわなとした怒りに震える吸血妃。
全く以て、腹に据え兼ねる態度であった。不遜な獲物達は、緊迫も畏敬も抱いていない。
「ドロテア!」
懐刀の名を加勢に呼んだ!
だが、返事は無い。
「……何故だ? 何故、返事をせぬ! ドロテアよ!」
辺りに気配を求めるも、水を打ったかのような静寂──この時、ようやくエリザベートは悟った!
「ま……まさか、見限ったというのか? この私を……無二の主である、この私を!」
受け入れ難い現実!
生前から目に掛けてきた飼い犬は、最大の勝負処に来て飼い主の手を噛んだのだ!
「エリザベート・バートリー!」
凛然とした呼び掛けが、狼狽に浸る吸血夫人を我へと呼び覚ます。
視線を向ける先には、滞空に立つ白い麗姿。
「不本意な形ではありますが、決着を着けましょう」
両手に茨鞭を携えたカーミラ・カルンスタインが、いつの間にか飛翔していた!
その立ち位置は、いまや対等だ!
巨眼の黒月に見守られ、白と紫が激しくぶつかり合う!
闇空を舞う双影は、衝突したかと思うと互いに放物線を描いて距離を離れた。そして、また引かれ合うように弾き合う。
その流れが繰り返されていた。
「まるで磁石だな」地上で傍観するカリナは柘榴齧りに漏らす。「……で、なんでキサマがいるよ」
背後の虚空へと嫌悪感のままに呼び掛けた。
空間に現れたのは、彼女が蔑む下衆──ゲデである。カリナにとっては数日ぶりの厄日だ。
「ィエッヘッヘッ……どうにも食欲をそそるいい臭いしたんでねぇ?」
「まさか、この惨状はキサマの仕業じゃあるまいな?」
「冗談よせやィ! なんでオレが〝不死〟なんかを生産しなきゃならねぇんだよ? おまんま喰い上げになっちまわァ!」
「確かにな」
ゲデの糧は〝魂〟でも〝殺戮〟でもない。純然たる〝死〟そのものであり、その瞬間自体だ。
ともすれば、必然的に〝生者〟の存在は不可欠となる。世にデッドやゾンビの比率が多くなればなるほど、死神の糧は減っていく。それは望むところではあるまい。
つまり、大方はカリナの予想通りという事だ。
無愛想な魔姫へ倣うかのように、ゲデは闇空の衝突劇を仰ぎ眺めた。
「こりゃまた珍しい見せ物だ。吸血貴族同士の決闘ですかィ?」
「そんな尊厳高いものかよ。単に盟主が不祥事の責任を全うしているだけさ」
「ま、オレとしては、どうでもいい事ですがね?」簡単に興味を失うと、ゲデは周囲に散らばる肉片へと好奇心を移す。路上に散乱する赤い欠片は、ピクピクと脈打つかのように蠢いていた。「ィエッヘッヘッ……苦しみ足掻いてやがるぜ、コイツ」
「確かデッドと違って、ゾンビには〝魂〟が内在していたな?」
天空の決闘に見入りながら、カリナが無愛想に訊ねた。
性懲りもない悪趣味には、爪先程の関心も向ける気が起きない。
「まぁな。けどよ、オレ様が指してるのはソイツじゃねえぜ。どのみちゾンビに内在した魂は〝肉体〟という檻に隔離された捕虜みてぇなモンだ。痛みもクソも感じねぇよ。オレが堪能してるのは〈ズンビー〉の方だ」
「ズンビー?」
相変わらず、顔すら向けずに訊う。
「ブードゥー精霊のひとつ──要は〝蛇精〟だわな。精霊としちゃあ下級だが、コイツが死体の四肢に纏わり憑く事で〈ゾンビ〉という傀儡が出来上がる」
「ゾンビ発生の根源ってトコか」
「ソイツが解放されねぇまま切り刻まれたモンだから、二進も三進もいかずにもがき苦しんでやがる……ィエッヘッヘッ、間抜けだぜぇ」
と、ゲデは些か感じた差異を見通す。
「ん? コイツは〝ブードゥー秘術〟じゃないぜ?」
「何?」
興味深い発言に、初めてゲデを一瞥した。
「ああっと……厳密に言やぁ純粋なブードゥー秘術じゃねぇって話だ。プロセス的には踏襲してるが、間違いなくコイツァ似て異なる〝術〟さな。おそらく〈西洋魔術〉の応用ってトコか。精霊との盟約じゃなく、強力な魔力で力尽くに縫いつけてやがる。だから、蛇公共は解放されねぇのさ。ま、どうでもいい事だけどな……ィエッヘッヘッヘッ」
「なるほどな」
柘榴啜りに、再び戦局へと注視を戻す。
(プロセス的に〈ゾンビ〉は〝使役術〟の類だ。そして、それは洋の東西に関わらず古来より多くある。つまり〈黒魔術〉でも応用可能という事だ。それだけの実力が長けていれば……だがな)
冷静に分析しながらも、懸念は胸中で渦巻く。
「……ドロテアか」
先刻、エリザベートが呼び叫んだ名前が思い出された。
白と紫の衝突は未だ進展を見せていない。
「この小娘がぁぁぁあああっ!」
エリザベートが癇癪任せに手刀を突き出す!
四指の爪は鋭利な刃と伸び、数メートル先に舞うカーミラを強引に射程へ捕らえようと襲い掛かった!
その挙動を瞬時に読んだ白い影は、またも大きな曲を描いて回避する。
「チィ……ちょこまかと!」
エリザベートの攻撃は、未だ当たる気配すら感じられなかった。ここぞと繰り出す手数は多いというのに、獲物は悉く優美な旋回に回避してしまう。
カーミラとの交戦で厄介だったのは、その縦横無尽な軌道取りだ。目線上にいたかと思えば、次の瞬間には降下して足下から迫る。かと思えば、その警戒を先読みしたかのように頭上から降ってきた。
そうした変幻自在な出現術から繰り出される二対の茨鞭は、奇襲してくる回数こそ少ないが的確なタイミングで無駄が無い。
それらを避け続けるエリザベートの反応力も、侮れないものではある。
が、あくまでも劣勢な感は否めなかった。
その自覚があればこそ、彼女自身の焦燥も否応なく募るのだ。
「ええい! 忌々しい百舌めが!」
専用の武器を有さない自身の戦闘スタイルが、これほど口惜しく感じた事はない。
カーミラには茨鞭、ジル・ド・レには剣、そして、カリナには細身剣……といった具合に〝武闘派〟と呼ばれる吸血鬼には愛用の武器がある。
一方で、自分やメアリーのような〝非武闘派〟には、そうした武器を所有しない者も珍しくはない。否、そちらの方が多いのが実状だ。
そもそも〈吸血鬼〉は、存在そのものが特殊能力の塊である。従って、そうした武器に頼らなくとも殆どの事象は脅威とならない。
尚且つ彼女の場合は、自身が足りない側面を魔女ドロテアに任せていた。この劣勢は、そうした依存が生んだツケかもしれない。
しかし、エリザベートは諦めが悪い性分であった。況してや相手が〝カーミラ・カルンスタイン〟であればこそ、頑として敗北を喫するわけにはいかない!
(考えよ! 何か策は有るはずだ!)
四方八方から繰り出される茨の舌!
しかも、今回のカーミラは両手持ちだ!
それだけ、彼女も本気ということだろう。
対するエリザベートは外套を盾として身を包む。
防御に徹しながらも、険しく睨む邪瞳は策謀を巡らせ続けた。
とはいえ、休まぬ攻撃が掠る毎に、外套は微々とダメージを累積していく。それは好ましい展開ではなかった。
元来、エリザベートの魔力底値は、カーミラよりも下回る。自力では及ばぬ空中戦能力をこなせているのは、纏った外套の魔力増幅による部分が大きい。しかも、この外套がドロテアによるカスタムメイドであればこそ、カーミラに匹敵するほどの底上げが実現しているに過ぎなかった。
またも繰り出される茨舌の連撃!
と、咄嗟に避わしながらも、エリザベートは何か違和感を察知した。
生来の油断ならない狡猾さが発揮した注意力だ。
(二:一……三:一……二:一…………)
黙視に数える。
(二:一……二:一……四:一…………)
ひたすら且つ確実に避わしつつ、黙々と数え続ける。
それが確信へと変わった瞬間、彼女はニィと邪笑を含んだ。
エリザベートがカウントしていたのは、カーミラから繰り出される手数の左右比率!
そして、それは確実に左手数の少なさを刻んでいた!
察するに、出会い頭の急襲が功を奏したのであろう。
間違いなくカーミラ・カルンスタインは、左腕にハンデを負っている!
付入る勝機が見えた!
(二:一……三:一……二:いまだ!)
自身の左腕を犠牲として、定期的に繰り出された左鞭をわざと受ける!
それは細腕を軸として絡みつき、細かく鋭い棘がガッチリと食い込んだ!
だが、それだけの対価はあった!
「捕らえたわ!」
「きゃあ!」
力任せに上半身を捻り、執念で引き寄せる!
姿を捕らえる事すら困難だった小鳥が、ようやく暴力に屈した!
慣性に突っ込んでくる獲物へ目掛け、エリザベートは右腕を突き出す!
その一撃が容赦なく腹をぶち抜いた!
「かふっ!」
小さく喘ぐように吐血する白麗!
しかしながら、それはエリザベートが欲した一撃ではない。
「チィ!」
思わず憤りを噛む。
不死者たる〈吸血鬼〉相手に腹など貫いても、然して意味はない。ダメージとしては大きいが、所詮、その場凌ぎだ。
「実戦慣れしていない不慨なさか。真に貫きたかったのは心臓よ!」
されど、千載一遇の好機を逃すほど愚かでもない。
すぐさま空いた右腕を獲物の首へと巻き付け、背後からギリギリと絞めあげた!
優勢に酔いしれ、無力化した小鳥の耳元で囁く。
「手を焼かせおって……だが、厄介な動きは封じたぞ」
「クッ!」
清廉が眉根を曇らせる様に、微かな情念を覚えた。怨敵に対する優越感か──或いは貞淑な小娘に対する情欲かは定かにないが……。
純白ドレスの腹部を鮮血が真っ赤に染め濡らす。その清らかな汚らわしさが、深層意識で眠る〈吸血鬼〉の本能を陶酔的に刺激した。或いは悪徳と邪淫に塗れた〝バートリー家〟の性かもしれぬ。
いずれにせよ、エリザベートは異常な興奮に酔った。自制の効かぬ加虐心が頭を擡げる。
茨鞭の拘束力が弱まった左腕が、カーミラの華奢な肩を鷲掴みにした!
「ぅああああああっ!」
「アハハハハ! 心地よいぞ! 夢にまで見たキサマの苦悶、実に心地よい! アハハハハハハハハ!」
更に力を込め、鋭爪を食い込ませる!
「っい! ……ぅああああああああ!」
「アハハハハアハハハハハハアハハハハハハハハ!」
実感した勝利に酔い、妖妃は狂ったように高笑った。
と、その反響に紛れ聞こえてくる微かな含み笑い。
「フ……フフ…………」
「な……なんだ?」
耳に届いた静かな笑い声は、己のものではない!
戸惑いながらに特定した出所は、他ならぬカーミラ・カルンスタインであった!
「フフフ……そうね。これだけ密着すれば、到底逃げられないわね」
「な……何を笑っている? それが判っていながら、何故に笑っている!」
「いい事? エリザベート・バートリー? わたしが逃げられないという事はね、同時に貴女も逃げられないという事でもあるのよ」
一瞬、エリザベートは戦慄する。
冷ややかな微笑を携える吸血姫の瞳は、見る者全てを〝死〟へと魅了するような闇を光らせていたからだ!
次の瞬間、カーミラの眼前に紅い光が短く伸び生える!
それは一振りの細身剣!
「何?」
予想外の連携プレイに虚を突かれ、エリザベートは地表を凝視した!
そこには、頭上へと愛剣を投げ託したカリナの姿!
一方、狼狽に対応が遅れた僅かな隙を、カーミラは見逃さなかった!
短く生まれた紅閃を素早く掴み取る!
途端、握る柄から強大な自己主張が溢れ出す!
(な……何? この魔剣?)
戸惑うカーミラの精神へと、魔剣の意思が浸食してきていた!
(まるで捕食! 禍々しい生命体による捕食だわ!)
沈黙のまま暴れる魔剣は、寄生するが如く彼女の内へと侵入してくる。
肉体的にではない。
宿主の存在そのものを取り込まんとする暴力的な支配意思だ!
(なんて魔剣! こんな化物をカリナは……!)
ひたすらに抗う!
いま、カーミラの精神は現実世界にない。
その魔眼に見えているのは、高々と荒れ狂う怒濤!
粘り気を帯びた赤き津波!
街並すらも呑み染める破滅的なイメージは、彼女の魂さえも呑み潰そうと唸り迫る!
永きに渡って糧と啜り喰らった鮮血が、積念に逆襲してきているかのようであった!
(このままでは呑み込まれかねない!)
気高き意志を精神抵抗の枷と敷き、逆に魔剣を支配せんと試みる!
だが、彼女が抵抗を示せば示すほど、無形の怪物は強大に化けていった!
(おとなしく下りなさい! 我が名は〝マーカラ・カルンスタイン〟! 誇り高き〈ジェラルダインの血族〉なのですよ!)
祖先の名と自らの真名を拠として、折れそうな戦意を立て直す!
その直後、背後から優しき抱擁を感じた。
ひたすらに穏やかで柔らかな抱擁を……。
しかし、伝わってくる温もりは心強いほど熱い!
(これは……ジェラルダイン?)
確証はない。
それでも、確信は湧く。
縁者故の共鳴現象とでも言おうか。
姿無き存在からの力添えであった。
原初吸血姫の魂が味方した瞬間、猛る赤魔が怯んだ!
たじろぐ隙を好機と判断し、いざ組み敷かんと構える。
と、カーミラは奇妙な違和感を捕らえた。
(え? これは?)
敵の中核に〝魂〟を感じる。
しかも、それは自身に力添えする魂とまったく同質──つまり〝ジェラルダインの魂〟という事になる。
(そう……そうだったの……この魔剣は……)
矛盾の中に正体の片鱗を見出した。
轟音を帯びて圧し寄せる赤波!
それは彼女の精神世界を呑み染め、全てを潮流に流し潰した!
赤き鉄砲水が鎮まり引いていく。
徐々に減水していく嵩から、血濡れの麗姿が現れた。
鮮血に汚れ濡れる高潔──白の吸血姫は自然体に佇むだけ。
まるで何事も無かったかのように……。
カーミラは、そこに在るだけだ。
──風に靡かれるが如く。
──草木と揺らぐが如く。
──大海に波とたゆとうが如く。
ただ在るがままに在り、素直に事象を受け入れる。
ただ、それだけ。
やがて、静かに瞼を開いた。
精神世界での攻防は、時間にして刹那でしかない。
魔剣への主従権を勝ち取ったカーミラは、静かに瞑想から帰る。
そして、己の腹もろともエリザベートを貫いた!
「がぁぁぁああああ!」
「く……ぁ!」
激痛の共有!
闇空に噴き上がるは赤の飛沫!
ようやくエリザベートは悟った。
左腕は囮だと!
謀られのは自分の方である!
「よくも……キサマ等、よくもォォォォォ!」
忌々しく呪詛を吠えつつ、貫かれた身体を楔から引き剥がした!
弁圧を失った傷口から、更に霧花が咲き散る!
「グ……アアアァァァ!」
一過性とはいえ、致命的なダメージを負った。
通常の剣なら──否、例え凡庸魔剣であっても〈吸血貴族〉である自分は、ここまでのダメージは負わない。
しかし、カリナ・ノヴェールの愛剣は、相当に強力な魔剣であった。まるで白木の杭に落雷を受けたかのような衝撃が、彼女の命を蝕んだ。それはカーミラにしても同じだろうが……。
紫妖は崩れる体勢のままに急落下していく。
もはや滞空する余力も無くしていた。
朦朧と虚に毒された瞳孔が、伏兵たる黒外套を捉える。
読唇術の心得があるわけではなかったが、少女の唇が何を刻んでいたかは読めた気がした。
────無様だな。