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別の選択 別の生き方

タイに来て3年、すっかり疎遠になってしまった日本に住む女友達が、離婚した事をSNSを通して知った。
その女性と、心の内を話した時期はかれこれ5〜6年前になるのだろうか?友達の結婚生活は破綻し、年単位での別居状態が続いていた。会う度に離婚したいと口にする彼女。だが当時、三度目の離婚の後だった私には「離婚したい」と口にしながらも離婚をしない女性にありがちな、夫婦間の愛情云々よりも日々の生活、経済面を優先させる強かな賢さや計算により、彼女が離婚することはないだろうと判断していた。

結局私みたいに、する人はするし、しない人はいつまで経ってもしないのだ。
自分にはできない、別の生き方として、ただ距離を置いて眺めるだけだった。

….そんな彼女が離婚をしていた。
正直驚いた。

彼女に、「おめでとう」というべきなのか?と状況を訊ねると、離婚を踏みとどまらせていた娘さんが学校を卒業し、「もう離婚をしてもいいよ」と言われたからだと答えがあった。なるほど、彼女は娘のために約20年を母として生きたのだ。
ちょっぴり、胸が締め付けられる思いがした。素晴らしい、凄い事。私には出来なかった事だから。

私はまだ20代半ばの頃に幼子2人を抱え家を出た。だが、実親は一切の援助もしてくれず、自分1人の力で子どもたちを育てなければならない重圧と都会の真ん中で共倒れになる怖さを味わい、調停を何度も重ねた末、最終的にこどもの父親と祖父母に親権を渡したのだ。母として生きなかった20年は常にコンプレックスと不安定さの中にあった。

お陰様で子ども達は、私1人では到底与えられなかったであろう教育と愛情を受けて育ち、数年前に成人した。

離婚をするにも踏みとどまるにも、経済と子どもの事は誰もが考える大きな問題点となる。
人生に何が正解か?なんてものはないけれど、それでも選ばなかった選択の先にあるものを、少し羨ましく思う瞬間もある。

その時々の判断は、その時の状況と心理状態や環境の中で、出来うる最大限の考えからの選択だ。それでもその選択に迷いがないわけではない。

どんな選択の先でも時間が流れる事で状況は変わっていくものだ。その選択で良かったんだ、と自らが思える人生を作っていくだけだと強く思う。それは他人ではない、自分の人生だから。

良い事も悪い事も、喜びや哀しみも、全て自分が引き受けるのだ。
“何があっても大丈夫な自分をつくる” そんな、20代のあの頃に決めた自分の目標の高さに改めて慄くのだが…(笑)。
人はそんなに強くない、けれど人はそんなにヤワでもない。

友達の新しい出発に乾杯しよう。人生は続く、共に輝こう。

このコラムは2016年5月に執筆。バンコクの情報誌WOM Bangkok 6月号に掲載。

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