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松下幸之助と『経営の技法』#307

12/18 なすべきをなす

~ただひたすらに、なすべきをなす。私心をはなれ、やらねばならないことをやる。~

 秀吉はいちばん遠くにいて、手強い敵と戦争していましたが、信長が討たれたと知ると直ちに敵と和睦し、そしてとるものもとりあえず引き返して、不倶戴天の主君の敵を見事に討ちました。これは当時の道徳に愚直に従った姿であるともいえるのではないでしょうか。この秀吉の行動については、後世において歴史家の方々などがさまざまな見方をしておられると思います。秀吉が、自分が天下をとる機会が来たというので喜んで帰ったという見方など、いろいろあるでしょう。しかし秀吉はそういう打算からではなく、これはこうしなければならない、こうするのが当たり前だ、ということで急ぎとって返したのであろうと思います。それで信長の敵をとることができ、おのずとその功績が認められるようにもなったと思うのです。
 天下をとろうなどという野心が先に立ったのでは、なかなかあのようにうまくはいかなかったでしょう。自己の利害ということを超越し、ただひたすらになすべきことをなした、やらねばならないことをやった、ということだと思います。そして、そういう私心をはなれた態度、行動をとるということは、やはり素直な心にならなければなかなか出てこないのではないかと思うのです。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

2つの会社組織論の図

1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主から見た場合、経営者は投資対象であり、経営で成功してもらわないと困ります。つまり、成功する確率の高い経営者を選ぶことが、投資家に求められるのですが、ここで松下幸之助氏は、成功する経営者の1つのモデルを示していると言えます。
 すなわち、有名な豊臣秀吉の「中国大返し(おおがえし)」に関し、打算や野心に基づいて行った、とする解釈(経営モデル)ではなく、自己の利害を超越し、なすべきこと、やるべきことをした結果、功績が後からついてきた、という解釈(経営モデル)を語っている、と見えるのです。
 もちろん、この時までに豊臣秀吉は相当の力を付けていたからこそ、自己の利害よりも、恩義など、社会が大切にしていることを優先できたのですから、全ての経営者に当てはまる議論ではありません。
 けれども、打算や野心にとらわれない、むしろ社会を大切にする活動こそ、現在社会的に重視されている企業の社会的責任やESG、SDGsなどに通じる発想でしょう。企業も社会の一員として受け入れられなければ、品質偽装(食品、素材、建築物、その他)で経営の傾いた企業が沢山見かけられるような事態を招いてしまいます。江戸時代の「三方良し」のように、企業は社会に貢献してこそ儲けることができる、という発想にもつながるのです。
 すなわち、持続的な経営を行うためには、打算だけではなく、むしろ社会に貢献し、社会から評価されるような経営モデルが好ましい、ということが示されているのです。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
 豊臣秀吉が「中国大返し」を成功させたのは、秀吉軍の組織力があったからこそです。もちろん、大義を果たすため、という熱意が部下たちの活力になったのでしょうが、街道を走り続けられるような中継地点を設けたり、食料を確保したりするなど、ロジスティックもしっかり作り上げられた、等と語られることがあります。日頃からの訓練や、部下が上司の言うことをよく聞くような統率力など、ここ一番での組織力を見せつけた出来事です。
 組織力が力である、ということを実感させてくれる出来事であり、経営組織論の観点から学ぶべきことが沢山あるようです。

3.おわりに
 松下幸之助氏から、「中国大返し」はこのように見えるのか、と考えると、非常に興味深かったです。そうすると、他の歴史上の出来事についても、常識と違う解釈が聞けたのかもしれません。松下幸之助氏が歴史を語れば、そこから経営のいろいろな考え方や感じ方を学べたのかもしれません。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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