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松下幸之助と『経営の技法』#278

11/19 病気を少なくする心

~素直な心が高まると、悩みが少なくなり、心の病気を減らせるのではないか。~

 素直な心になれば物事の実相もわかり、ものの道理もわかります。だから例えば自分の立場のみを中心にして物事を考えるとか、自分の感情や利害にとらわれて事を判断するようなことがありません。しかもその心が高まっていけば、融通無碍の働きをすることもできるわけです。
 したがって、自分の感情が満たされないために悩むとか、自分の利益が損なわれるから悩むとか、物事がうまくいかないから悩むなどといった姿は、あまり起こってこなくなるでしょう。そして常に心は安らかに安定するだろうと思います。だから、心の面、精神面から来る病気というものは、お互いが素直な心を高めていくことによって、しだいに少なくしていくことができるのではないかと思われます。

(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

2つの会社組織論の図

1.個人の問題
 普段はこの点を検討しませんが、議論を明確にするため、松下幸之助氏の言葉について、個人の心がけの問題としての意味を整理しておきましょう。
 「素直な心」と言っても、人によって受け止め方が異なってくる言葉です。
 ある人にとっては、様々な事柄に感情が敏感に反応して喜怒哀楽を感じ、その喜怒哀楽を包み隠さず表現するタイプの心持ちを意味するでしょう。よく言えば感性が豊かですが、悪く言えば感情の起伏が大きく、理性的・理論的なコミュニケーションが成り立たないタイプです。「自分の心に素直に生きたい」などと本気で言う人に多い、自己中心で身勝手なタイプも、これに近いと言えるでしょう。
 けれども、松下幸之助氏はこれと明らかに違う意味で「素直な心」という言葉を用いています。ここでは、「素直な心」という言葉との関係を理解するのが難しい嫉妬心を中心に議論を整理しましょう。
 すなわち、「素直な心」という言葉は、7/17の#153でも用いられていますが、人の昇進を嫉妬したりひがんだりせず、むしろ逆に人の昇進や成功に拍手を送る心持ちのことを「素直な心」と言っているのです。
 ところが、難しいのは、別のところで松下幸之助氏は、嫉妬する感情を否定しておらず、むしろ嫉妬心を認めたうえで、「狐色に妬く」ことが大切、と話しています(11/13の#272)。嫉妬心を妬く、と言っていることから、自分の感情が満たされない場合のあることも松下幸之助氏は認識し、受容しているようです。
 これに対して、今日のここでの言葉の中では、素直な心が高まると、「自分の感情が満たされないために悩む(中略)などといった姿は、あまり起こってこなくなるでしょう。」と言っています。どうやら、嫉妬心が発生するかどうか、という次元の問題ではなさそうです。
 そうすると、「素直な心」という場合、嫉妬心などが生ずることは止むを得ないことで、それを無理に抑え込んだりしないが、いつまでも縛られ、悩むのではなく、さっぱりとこだわりを捨て、他人の昇進や成功に拍手を送る、という意味のようです。喜怒哀楽が生まれる点はそれで良しとし、けれどもそれを引きずらないことや縛られないことが、特に重要なポイントです。だからこそ、今日のここの言葉の前半部分で、「自分の感情や利害にとらわれて事を判断する」ことがなくなる、と説明しているのです。
 このように整理してみると、松下幸之助氏の言う「素直な心」とは、さっぱりとした性格、という意味が近そうです。

2.内部統制(下の正三角形)の問題
 次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
 会社組織は人間によって構成されます。人間には、個性や人格、感情がありますから、いくら社内ルールや組織、プロセスを緻密に構築しても、従業員の感情を抜きに経営を語ることはできません。むしろ、感性を研ぎ澄ました専門家になれば、自分自身の感性や感情すらツールとして活用します。雑な仕事に怒りを覚える、丁寧な仕事によって満足できる仕事がされると嬉しくなる、など、感情もツールになるのですから、前項で整理したように、感情が生まれること自体は、内部統制上も避けられず、場合によってはそれが有用なのです。
 けれども、従業員がそれぞれの感情にいつまでも縛られていると、社内のコミュニケーションはうまくいきません。上司の指示に対する反感をいつまでも根に持ったり、同じチームの仲間に対する嫉妬心をいつまでも引きずっていたりすると、人間関係がぎくしゃくし、組織としての活動に支障が来されます。
 このような意味で、会社経営者の立場から見た場合、従業員にさっぱりした性格になって欲しい、という思いは至極当然のことなのです。

3.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主が、投資先としてどのような経営者を選ぶべきか、という投資先の選択の問題として見るた場合にも、やはり経営者にも「さっぱりとした性格」が求められるのでしょうか。
 この点についての松下幸之助氏の考えははっきりしませんが、例えば7/27の#163では、「小事と大事」として、経営者は「小さいこと」にこそこだわりを持ち、「小さいこと」に関して現場に対する注意や指導を怠らない、ということが説かれています。権限をどんどん従業員に委譲していく経営モデルでありながら、「小さいこと」に拘るというのは、少し理解が難しいですが、経営者の問題意識を現場に浸透させるためのツールとして見れば理解できます。
 そうすると、現場に浸透させるためには、一回きりの指導では足りるはずがなく、常に目を光らせて、事あるごと「小さいこと」について現場を注意し続けなければなりません。どんどん権限を委譲する経営モデルでは、経営者としても、任せているんだから口出ししない、という気持ちになるでしょうから、「小さいこと」の注意や指導のためには、気持ちを奮い立たせるべき場合もあるでしょう。
 このように見ると、経営者には「さっぱりとした性格」が必ずしも要求されていないようにも思われます。

4.おわりに
 翻って、従業員に求められる資質として考えてみても、「さっぱりとした性格」が過ぎることは、それはそれで問題があります。仕事を完成させることに対する執着心が無くなってしまうと、仕事の質も低下するでしょう。
 このように見れば、「さっぱりとした性格」も、ほどほどが良く、さらに理想を言えば、人間関係では「さっぱりとした性格」だが、仕事に関してはしつこい性格が好ましいのかもしれません。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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