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火葬国風景(原作・海野 十三)

夢か真か怪奇劇場ー。

電柱の影から赤マントがニヤリと笑い、卵はヒビ割れ、 そのヒビ割れた隙間から湧き出る欲望を、瓶の中に閉じ込めて、燐寸一本火事の元。

夕闇に貼りついたモレクの札。
火の無い所に煙は立たぬとはよく言ったもので、これもまた一つの事件に過ぎないのである。

一つ言葉を紡ぎ、言葉を綯い交ぜてしまえば、それは血の濫觴という事件に発展する。 それが赤蝙蝠、盲目の影男、年老いた男娼、顔の無い郵便配達夫、そしてケムリという名の事件を生み出すのだ。

さあ事件の始まりだ!
今宵も眼球映写機がスクリーンに犯罪を投影する! 

と、まあ、海馬郡鏡町仏壇仏具長屋六ノ三上ガル借家より死神三寸離れた区画に於いて、吐血塗れの花魁地獄、懐紙加えた唖と、親の借金形見に両の光を奪われ、安っぽいガラス玉を埋め込んだ瞽とで、世に蔓延る怪奇幻想文学、古き書物の魂をコトノハと月絵で瀉血、そして葬り去る片端者。唖と瞽による幻想書肆、瀉葬文幻庫でございます。宜しくお願いいたします。

まあ地獄の沙汰も金次第という訳でして、当方飯を喰っていかなければならないと、唖と瞽とでこのような闇商売を営んでおる訳ですが、やっぱりこの奇想帝国日本には数多の星が如く、怪事件を主とした物書きが潜伏しておる次第でして、とんでもない奇譚を持ち込んでは金にしてやろう、 と鼻息荒げる新進気鋭の作家が今日も一人、この瀉葬文幻庫の扉を開けて入ってきたのであります、、、。

火葬国絵2枚目

「はあて、、あいつは誰だったかなあ」

と、一向に栄えない探偵小説家、甲野八十助。彼は夜店の人混みの中で、不審のかぶりを振ったのであります。

探偵小説家として籍は置いているものの、およそ小説を書くにはタネがいった。彼の貧弱な頭の中には当時タネらしきものが一つも在庫していなかったというのだ。なので苦し紛れに彼はいつもの手で、フラりと鏡町の夜店街へと彷徨いでたという話。いつだったか彼はその夜店街で素晴らしいタネを拾ったこともあるとか。その夜も、もしやという儚い望みをつないでいたのでしょうか。

「はあて、あいつは誰だったかなあ」

八十助はそこの人混みの中で、どこかで知り合ったに違いない男と不図すれ違ったのであります。

火葬国絵3枚目


その男というのがまた奇妙な人物で、非常に背が高くしかも猫背、骨と皮とに痩せており、眼の下には黒い隈が太くついていて、頬には猿を思わせるような小じわ、宗匠頭巾をかぶっておる割に、絹仕立てらしい長い支那服のような外套、右手には杖をつき、ひょっくりひょっくりと、びっこをひいていた。

「やあ」

と、八十助は思わずその男に声をかけた。はあて、誰だったかなあと思いながら。すると目の前の奇妙な男が

「よう」

と、その奇妙な男は、更に醜い皺の数を増しながらガクガクとする首を前後に振り、八十助の呼びかけに素直に応えたのであった。


八十助はそれで満足だった。それ以上何を喋ろうという気もなかった。そのままこの知人と別れて同じ人混みをズンズンと、鏡町の繁華街の方へと流れていった。

「はあて、あいつは誰だったかなあ」

八十助は今しがた挨拶を交わした奇妙な男の素性を思い出すことが、なんだか大変楽しく思われてきた。だが、思う相手の素性はいつまで経っても彼の脳裏に浮かび上がりはしなかった。

「誰だったかなあ、、出てこい!」

八十助の記憶巡りは小学校の友人から出発し、中学時代、大学時代、恋愛時代、結婚時代、さらに進んで、妻と死別した後の、女と酒に溺れた遊蕩時代、それから今の探偵小説家時代までの引き出しをごっそり開けてみて彼の奇妙な男の姿を探してはみたが、どうにもこうにもうまく出てこない。

「誰だったかなあ」

その時彼は大きなウインドウの前を通りかかった。そしてそこに掲げてある時事写真の一つに目を止めた。『 逝ける一宮大将 』太い四角な黒枠に収まる厳めしい正装の将軍の写真。その黒枠を見たとき、八十助は電光の如く、さっきの奇妙な男の正体を掴んだのであった。

「あいつだ!」

八十助には幼き頃からの友人が居た。名前は鼠谷仙四郎といった。彼とは小学校から大学を卒業する迄の間、その関係はどんどん濃厚になっていき、挙句の果てには勤め先が違うにもかかわらず、終業時刻付近になると、互いの勤め先の距離から云ってほぼ等しい中間地点の喫茶店で落ち合い、そこで紅茶をすすりながら積もる話を交わす程の仲であった。

だがしかし、その仲が思いがけないきっかけで破綻する事になったのも運命の悪戯だろうか、その喫茶店に露子という楚々たる少女が二人の間にはいってきたからであった。

火葬国絵6枚目

「仙四郎さんは親切でおとなしいから、あたしは好きよ」

と、朋輩に言う露子だったが、またある時は

「八十助さんは明るい坊ちゃんね。あたしと違って何も苦労していないのよ、羨ましいわ」

とも言った。昨日の親友は今日の仇敵となり、二人は互いに露子の愛をかちえようと焦ったが、結局恋の凱歌は八十助に揚がった。八十助と露子とが恋の美酒に酔って薔薇色の新家庭を営む頃、失意のドン底に昼といわず夜といわず喘ぎ続けてきた仙四郎は何処へともなく姿をくらましたのであった。

そのことは八十助と露子の耳にも飛び込んできた。さすがに気なったので探偵社に依頼し、仙四郎の探索を試みたが彼の消息は皆目知れなかった。これはきっと人に知れない場所で失恋の自殺を図っているのかもしれないと、八十助と露子は思ったのであった

ところがそれから三年経って妙な噂を耳にした。鼠谷仙四郎が生きているというニュースであった。

しかも彼は同じ鏡町の屋根の下、同じ空気を吸って生きていた。しかも勤め先というのがあろうが事に火葬場の罐係であった

火葬国絵8枚目


自分の為に失恋し、身を隠した仙四郎は別に八十助夫妻に危害を加えようとする気配もなく、次の年には人並みな年賀状を寄こしたりしてきた。そんな事から八十助夫妻は始めに持った驚愕と警戒の心をいつともなく解いていった。それから幾数年が経ち八十助にとって仙四郎はもう路傍の人に過ぎなかった。何故か、、。それにはもう一つ理由があった。

 
恋女房の露子が、ポツンと死んでしまったのだ


八十助は亡き妻を争った敵手の事なんか、いよいよ忘れてしまったのであった。その仙四郎がこうして久しぶりに目の前に現れたりしなければ、八十助はは一生涯彼の事を思い出すことはなかったであろうに、、

「ハテナ、、、」

その時何に驚いたか八十助は舗道の上に棒立ちとなった。彼はつい今まで忘れていた重大な事を思い出したのであった

「鼠谷仙四郎なら、、あいつは確かに死んでしまった筈だ」

火葬国絵9枚目


「ゆーびん ゆーびん」

顔の無い郵便配達夫から手渡された黒縁の葉書には次の文言が書かれていた。

ー鼠谷仙四郎儀、療養叶わず、遂に永眠仕候間、此段謹告候也。追而来るXX日X時、鏡町祭場に於いて仏式を以て告別式を相営み、のち同火葬場に於いて荼毘に附し申しべく候ー。

この文面から推せば彼はたしかに病気で死亡し、その死体は確かに火葬されておる。しかも皮肉なことに彼が生前世話を焼いていた火葬場の罐の中で焼かれ灰になってしまった筈だ。尤も稀には死人がお弔いの最中に蘇って大騒ぎをすることも無いでは無いが、それは極めて珍しい事で珍しいタネを探して居る新聞社なら逸する筈はなかった。なんだか脳貧血に襲われそうな不安になった八十助は通りかかった一軒の酒場の扉をグンと押して中へ飛び込んだ。

「あいつは死んだ筈だろう、、酒だ。酒をくれ!」

カウンターの女将がロックグラスを差し出すと、八十助はそれを一気に飲み干し、カウンター越しにある瓶を奪い何杯も飲み干し「ふー」と溜息をついた。するとどうだ、周りの客がこんな話をするではないか。

ーという訳でね。どうも変なのだ。一宮大将ともあろう者がさ、まさか株に手を出しやしまいし、死の直前に不動産を全部金に換え、しかもそいつを全部使途不明にしてしまい、遺族は生活費の他に一文も余裕がないというんだからね。

ーそれに変だといえば、、大将の急死がおかしい。いくらなんでも、あんなに早く逝くものかね。

ー僕は大将の屋敷で変な男を見かけた事がある。肺病やみのカマキリみたいにヒョロ長く、そして跛 を引いている男さ。あいつが何か一役やっているにちがいない。

ーでもあいつは其の後死んじゃったという話じゃないか。

八十助は耳を押さえて、話を聞かない振りをしながら店を出て、しばらく夜の街を歩いた。


「もしもし、甲野君、、、もしもし甲野君じゃないか?」

あ!

火葬国絵3枚目

き、君は誰なんだ、、、

「誰だとは、弱ったね。僕は君と中学校時代机を並べていた鼠谷、、」

鼠谷君ならもう死んだ筈だ!

「そいつを知っていりゃ、これからの話がしょいというものさ。はっはっはっ、なぜ死んだ人間が生き返って君達に逢う事ができるのか、そいつは暫く預かっておくとして、もしそんな事が出来るとしたら、君はそれがどんなに素晴らしい思い付きかと考えないか」

くだらん事を云うな!ゆ、幽霊なら、もうちょっと幽霊らしくしたらどうなんだ!

「フン、、まあいい。僕が幽霊だか、それとも生きているか、それは君の認識に待つこととして僕は一つ君に聞いてみたいことがある」

八十助は応える言葉も無く只、仙四郎の顔を見つめるのみだった。

「いいかね。君は細君を亡くした、、。たしか君達は熱烈な恋をして一緒になったはずだ。君は輝かしい恋の勝利者だった」

こいつはなにを今頃言ってるんだ、、

「フン、、そこでだ、、君に聞いてみたいのは、君は亡くなった細君、露子さんといったね、あの露子さんに逢いたくはないかね」

露子に?、、逢いたいかといっても露子は死んだんだ。その亡骸を火葬に附して、僅かばかりの遺骨を持って帰り、確かに墓に入れんだ。こいつは幽霊でもありキチガイでもあるなあ、、

「いいかね、死んだ筈の僕がこうして君の前に立っているのだ。見たまえ、ここは少し寂しいが、確かに鏡町の仏壇通りだよ。僕の生きていることを認めてもらえるなら、首を横にちょいと廻して、君の恋女房の露子さんが生きているかもしれないことを考えてみないかね」

八十助は我に返り仙四郎の背後を見渡した。

「イヒヒヒヒ、、いくら探しても、まさか此処には居やしないよ」

き、君はこの僕を嬲るつもりだな、卑劣な真似はよせ!

「ん?何?俺が君の事を嬲るだって?そりゃあとんでもない言いがかりだよ。俺の言う事は大真面目なんだ。それを信じない君の方こそ実に失敬じゃないか!とは云うものの、君が一寸信じないのも無理がないと思うよ。あまりにも俺の言う事が突飛だものね、、」

とにかく君は大嘘つきだね、、ちゃんと生きている癖に死亡通知を出したんだからね。僕としても、もし今夜君に巡り逢わなかったとしたら、君は火葬場で焼かれて骨になっていることとばかり思っているだろうよ。君は何故死んだと偽ったんだ。

「偽っちゃいないよ、、俺は。あの死亡通知は本当なのだ。まあ落ち着いて俺の言う事を聴いてくれよ。全く奇々怪々な話なんだから、、」


そうやって彼は馴染みの酒場で話そうと私を連れ、ギロチンという酒場に入っていった、、。「いらっしゃいませ、 あなたのお席はちゃんと作ってございます」機械仕掛けの人形のようなバーテンダーが隅の席を指した。

火葬国絵13枚目

ギロチンに聞き覚えのあるジャズ歌謡が静かに流れる。

「いいかね甲野君、俺は一旦死んで、確かにあの火葬場の炉の中に入れられたんだ。それを見たという証人はいくらでもいるよ、、その人達にとっては、俺の生きていることを信ずることよりも、死んだことの方を信ずるほうが容易だろうと思う。本当に俺は死んだのだ。一旦死んだ世界へ行ってきて、それから再びこの世に現れたのだ。思い違いをしては」いけないよ。君には俺がよくみえるだろうけれど、俺はとっくの昔にこの世の人ではないのだ」

馬鹿々々しい、もうそんなくだらん話はよしたまへ!誰が君を死人の国から来た男だと思うだろうか。それよりも君の生きていたことを祝福して一つ乾杯しようじゃないか、と八十助は仙四郎に乾杯を促した。

「なに?祝杯をあげてくれるというのか?そいつはうれしい、、では、、」

二人は盃を交わし一気に飲み干した。その光景はまるで最後の晩餐のように…

「やあ、これで俺の勝利だ。今度は俺が君の為に乾杯することにしよう」

君の勝利だって、何を云ってるんだ?

「それはこっちの話さ。今に判るがね。つまり君は俺がこの世の者でないという俺の説を信じてくれる見込みがついたからさ。さあ酒が来た。君の為に乾杯だ」

な、なんだって、、き、、君は、、

ギロチン酒場に仙四郎の姿が揺らいで消えていく。仙四郎、オマエ、、八十助はその場に倒れこんでしまった。

八十助は不思議な光景を目の前にした。
焔色の金魚達が子供の遊戯のように、それはまるで生まれてはすぐに消えゆくシャボン玉の如く泳いでいるのだ。

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八十助はその一連の流れを眺めていたのだが、その金魚鉢にいる金魚がドンドン増えていく様を見て恐怖に慄く。紅蓮の炎に包まれた金魚鉢から脱出しようと図るも…そこは棺桶のなかであった。

八十助はこの世のものとは思えない金切り声で叫んだ。

「棺桶だ!棺桶の中に違いない!!」

棺桶と思われる匣の外から激しい業火の律動、そしてどういう事か静かに水の流れる音も聞こえてくる。これは地獄への誘いなのか、それとも桃源郷への道標なのか…だが今はそんな暢気な事を考えている場合ではないのだ。早くここから脱出せねば!!

「鼠谷!お前のやっていることわかっているのか!だしてくれー!たすけてくれ!!」

八十助が散々狭い匣の中で暴れていると、再び業火に紛れ水の音が聞こえてくる…

「水だ、、棺桶の中に水が流れてきている、、火葬炉の中に冷水装置がある、、人を焼くのに逆に冷やす仕掛けがあるとは何と奇妙な事なんだ、、俺をどうしようってんだ」

匣の外からは機械仕掛けの音だけが鳴り響く…それは棺桶がトロッコに乗って動いているかのような音で、どこかに到着したと思ったら遠くで高笑いが聞こえてくる。

「甲野君、聞こえるかね、、もちろんきこえているだろう。もう暫くの辛抱だ、しっかりしていたまえ」

どれくらい棺桶の中に閉じこめらていたのだろうか。嵐のような喧騒の中を潜り抜けて、私を閉じ込めた棺桶はとても静かな一室に入れられたのであった。

「じゃあいよいよ出すかね」
「ふむ、だしたまえ」
「では一宮先生、とりかかってよろしゅうございますか」
「うむ、はじめい」

八十助は匣の外から聞こえてくる二人の会話を聞きながら「ここから出れるのか、、一宮先生、、どこかで聞いた名前だなあ」と思っていた。

「どこだここは…誰だ…?鼠谷、、と?」
匣に突然光が注ぎ込まれる。匣が開いたのだ。

「どうじゃ、気がついたかのう?」

は!!八十助はその顔を見て驚愕した。その顔を見て、一瞬フンと鼻で笑ったように見えた鼠谷が

「甲野君、ひとつ紹介しよう、、こちらは一宮大将である」
と言うではないか。

火葬国絵15枚目3

「やっぱり一宮大将!大将殿は亡くなられた筈ですが」

「はっはっはっ!亡くなって此処へきたのじゃ。この鼠谷君もそうであるし、君もまた今、ここへ来られたのじゃ」

「私は死んでおりません。死んだ覚えもないのです」

「死なない覚えはあっても、死んだ覚えはあるまい。それはとにかく、君は死んだればこそ、ほらアレを見い、棺桶の中に入っていたではないか」

やはり俺は死んだのだ。
「ああ、それでは、、それではやっぱりここは冥途だったんですか」
俺はか細い声で一宮大将に尋ねた。

「そうでもないのじゃ」

「え??」

「ここはつまり火葬国じゃ」

火葬国ラスト

「火葬国?」

「如何にも。先生、ここからは私が甲野君にお話ししましょう。甲野君を脅かせる事になりますがね、、くっくっくっ」
鼠谷がニタニタ笑いながら八十助に近づいてきた。

「その前に、、だ。君をここに連れてきたからには、もう絶対に日本へ帰って生活することを止めてもらいたいのだ。第一に君はもう葬式も済ませ、戸籍面からはハッキリ除かれている。今、日本へ帰っても君が僕を幽霊と見間違えたように、君は幽霊だと思われて人々を脅かせるほかに何の術も施すことができないのだからね」

「葬式を済ませた?」

「そうだ、君は覚えているだろう。ギロチンという酒場で飲んでいた時フラフラと倒れたことを。あれは俺が密かに盛った薬の働きなのだ。あれで君は仮死状態となった。おそらく医者が診ても本当の死としか考えられなかったであろう。君はそのままアパートへ引き取られ親類総出で葬式を営まれた。君の両親も友人もその葬式に参列し、あの火葬場で焼いて骨にしたと信じている」

「そんな馬鹿な、、骨?」

「君の遺族は、壺に一杯の骨を貰って、なんの疑うところもなく、家に引き取ったのだ」

「その骨って、、」

「もちろん、どこの馬の骨だか判らぬ人間の骨だよ。君は知らんのだろうが、人間の骨なんて今の世の中簡単に手に入る物なのだ」

「なんてやつだ、、インチキ陰亡め!」

「インチキ、、陰亡、、その言葉は当たっている。君は僕の少年時代のことを思い出してくれるだろう。僕はいくら運が悪くなっても、ぼんやり陰亡なんかして暮らしているほど、自分の力量に自信のない男ではない。云いかえると陰亡をやったのも一つの大きな目的があってのことだ。僕は何を考えて陰亡になりさがったか、想像がつくかい?」

八十助は理解不能な鼠谷の解釈にだんまりするしか無かった。

「僕は一見不可解なことを可能にして、この世の中に素晴らしいゆっくりした国を建設したかったのだ。例えば大晦日、、。大晦日に迫るとなんとなく身辺がゆっくりして、嬉しさが感ぜられるということを経験したことはなかったかね。あれはもう今年も残りは二、三日となり、いくら焦ってみても、もうどうにもならぬ、、という気持ちが、あの使い残りの二、三日を大変ゆっくり嬉しく感じさせてくれるのだ。これをもっと徹底させると、どういうことになるか、、。それは人間が戸籍からハッキリ姿を消すことにある!!」

鼠谷が言う事によると、つまり自分の死亡届を出しておいて自分は鬼籍に収まるって訳か。この世の絆を切断!黒服の借金取りも来なければ、子供の面倒、年をとっても老いぼれと蔑まれなくてもいいものな。人生の残りを火葬国で全うするって訳だ、、。火葬炉に特別な仕掛けを施しインチキ火葬。誰だって棺桶が燃えてしまえば安堵につく。火葬炉の中には特設の冷水装置、そして罐の真下に当たる地下室から棺桶を下げおろす仕掛け。予め用意しておいた人骨と灰をあの煉瓦床にばら撒いたらいい話だもんな…

その表情を読み取ったのか鼠谷はニタニタ笑いながら
「ご明解。すべてお見通しのようで」とボソッと呟いた。

「この悪魔め!お前はそうして私の妻の死体を引っ張り出して自由にしたんだな」

「まあ待ちたまえ。僕はこの大掛かりな仕掛けに成功すると今度は人間を仮死に陥れる薬品の研究に成功したのだ。しかも医者達は死亡と診断する外はないほど巧妙な仮死状態だ。この二つの発明が火葬国の理想郷を建設するのに大きな力を与えてくれたのだ」

「で、これはと思う人間を鬼籍に送り込みここに導くって訳か。一宮大将もそうなんだな」

「さよう。一宮大将においでなすったのも、この火葬国建設の指揮を願うのに最も適任者だと思ったからだよ。大将はすっかり共鳴されて私財の全部を我が火葬国の為に投ぜられたのだ」

「するとここは一体何処なんだ。日本では無いんだな」

「ご明解。日本列島より遥か南の無人島だよ」

「露子は、、僕の露子はどうした!早く逢わせろ!」

「露子さんか。露子さんに逢わせてもいいが、、その前に君から誓いを聞かねばならぬ」

「誓い?」

「この火葬国の住民となって文芸省を担任して貰いたいのだ」

文芸省?この男はさっきから何を言っておるのだ…

「そうだ。君の文芸的素養をもって、この火葬国に文芸を興して貰いたいのだ」

文芸?
文芸ということを聞いた八十助は愕然として我に返った。そうだ、八十助の原稿は常に売れなくとも彼の生命は文芸にあったのである。しかしその文芸はあくまであの雑踏、巷の間から拾い上げてこそ味があるのであり、理想郷とはいえ、こんな無人島から拾い上げられる文芸なんてどう考えても砂を噛むような味気の無いものとしか思えない。ましてや探偵小説なんてものがこんな理想郷に落ちているとは思えない。彼はやはり陋巷に彷徨う三流作家であることを懐かしく思い、また誇りにも感じた。そう思うと俄かに矢のような帰心に襲われたのだった。そして八十助、

「僕は断る。僕はやっぱり鏡町へ帰るよ。露子に逢いたくないのかって?ああ、急にどうでもよくなった。僕はそんなに突拍子も無い幸福に酔おうとは思わない。あのゴミゴミした鏡町で、妻を失った寡の小説家としてゴロゴロしているのが性に合っているのだ。僕は帰るよ」

火葬国絵17枚目

「どうしても帰るというのか」

「帰るよ」

すると突然鼠谷の後ろから一人の影があらわれた。それは八十助の大切な露子であった。その露子が悲し気な瞳をこちらに向け銃を構えている。

「さようなら」

露子??

拳銃が火を吹いた。まるで花が咲くかのように。

真っ白なモヤモヤした煙が八十助の鼻先に拡がった。それっきり、八十助の知覚は消えてしまった。随って今のところ、火葬国についての話も、これから先が無いのである…

火葬国風景
原作/海野 十三(火葬国風景よりリライト)

こちらでは瀉葬文幻庫の唖・飴彩里沙羅が筆を執った「火葬国風景」の外伝が読めます。こちらも併せてご覧ください。


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