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私の人生

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私の過去をまとめています。
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#拒食症

経験を共感へ活かすのは

看護師の時の話です。

外出帰りの摂食障害の方に食事摂取量や嘔吐の有無を確認したりするのですが…

根掘り葉掘り聞かれてもしんどいし、何食べたか聞かれると食べた実感が増幅して辛いと思うんですよね、でも聞かないといけない。

だからできるだけ自然に
「せっかく外で食べるんだから、何食べるか迷うよねー、今日は何食べたのー?おいしかった?よかったねぇ!そのあと(嘔吐など)大丈夫だった?今の気分は大丈夫?

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人生の⑦私の経験を誰かの何かに。(看護師と養護教諭一種免許への気持ち)

メンタル面の疾患は体験者しかわからないことがほとんどだと思います。

本を読んで話を聞いて近付けても、不安やパニックの感覚は掴めそうで掴めない。

思春期で鬱や拒食症を患ったからこそ、心を支える立場になりたくて、養護教諭や看護師を目指しました。

経験したからこそ知っていることがあって、苦しかったからこそ「本当は誰かにして欲しかったこと」があったし、病んだことのない人よりは相手の今に近付くことがで

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人生の⑦拒食症と私 これからもずっと「元拒食症」だから。

皆が皆そうだとは思いませんが、拒食症って「食べるのが嫌」「食べない!」みたいな印象があると思うのですが、意外と食欲があって「食欲と闘ってる」人も多いと思います。

私はそのタイプでした。

痩せたいからこそ、食べるのを我慢しているからこそ、逆に食事への執着心やこだわりや憧れも強いと言うか。

本当は食べたいけど食べるのを我慢しているものが沢山あって…

私は食べたいもののことを考えている時間も長か

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人生の⑥拒食症と私 思考は拒食症

私の一個人の意見ですが「拒食症が完全回復するのは半数以下」とも言われる理由は思考にあるのではないかと思います。

体重が戻っても、思考は拒食症のまま。

私は食べられるものが増えたし、体重管理もそこまで徹底しなくなりましたが、「重さへの執着」はなかなか治らず、重さが軽いスナック菓子ばかり食べていました。(いや、カロリーが重いわ)

ただ、スナック菓子生活も長くはありましたが、これも一時的なもので、

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人生の⑤拒食症と私 軽快の兆し

そんな私の症状に軽快の兆しが見えたのは、家に通い続けてくれたカウンセラーさんのおかげです。

重さへの執着に対し、「秤と体重計を隠す」という方針を決めてくれました。

すっごい嫌でしたが、隠されてしまったのでそれに対応するしかなく…

「絶食」を選択できるほど、私の食欲は死んでなくて。

何も測ることが出来なくなっても、目分量で今までの食事量くらいを食べていました。

測ることが出来なくなると、摂

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人生の④拒食症と私 大嫌いがキッカケ

大学病院に行く事になったのですが、本当に主治医が嫌いでした。

患者が座る椅子と結構距離を空けて置かれた長い机を前に、一切何も話さず電子カルテで記録している女性を横に置き、一切動く事なくダルそうに話をするハゲたおじさんが主治医でした。

ま じ で 嫌いでした。

患者の話を聞こうとしないというか…興味がなさそう…むしろ鬱陶しく思ってるように感じて、その上威圧的。

「はい体重測ってー〇〇キロねー

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人生の③ 拒食症と私 骨への憧れ

痩せ続けると体もずっとだるくてお風呂だけで筋肉痛…

情動も不安定になって骨のような足に憧れるようになりました。

食べないと脳に栄養が行かなくて頭回んないから、「骨になりたいとかおかしくね?」とか「痩せすぎやろ」とか「流石にお風呂で筋肉痛やばくね?」とか自分で考える余裕もないし、他人にそう言われたって「えーっと…何おっしゃってるんです?」みたいな…「誰が何と言おうと私が正解なの!」でした。

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人生の②拒食症と私 重さへの執着

私の通っていた幼少中エスカレーター式の学校は、受験して入るタイプの学校だったのですが、結構特殊で大人びた性格の人たちが勢揃いしているような環境でした。

中学は最高に過ごしやすかった、まじで青春とはあの時期を言うんだと思うわ、青い春。
普通の教科以外にも好きな勉強を好きな人達とできる感じで、とっても大人な世界だった。

両親もその学校出身だったので、多くの人が経験していることらしいのですが…私もや

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