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短編_タンポポ作戦 2/2

【あらすじ】 
乗客からある物を受け取ったハルカはリクのクローンと奇妙な喧嘩を始めた。そんな最中、突如アナウンスが入る。二人が目にした作戦の顛末とは―。
(文字数:約3700字。文庫本で8ページ程度、15分程で読み終わります)

 リクに課された任務は人間の作成だった。彼はまず、人間たちの細胞をランダムに交配して子どもを作成する技術を生み出した。この技術の最大の魅力は、交配の際に知力と体力の元となる物質を注入することで、これまでより強い生命力を持った人類種を作成した点だった。こうして生まれた新型の子どもたちは、人類がより大きな版図を獲得するための先鋒として、宇宙の各地へ飛ばされることとなった。二人乗りの小さなロケットには男女の子どもが一人ずつ配置され、栄養満点の液体の中で眠っていた。ロケットが地表に着陸すると、子どもたちは自動的に目を覚まして、二人で生活を始めるようにプログラムされていた。これが〈タンポポ〉というコードネームで呼ばれた作戦の全容だった。
 また、リクはシルバーシップの航行中にもう一つの任務であったクローンの作成にも取り組んだ。人類はより安定して勢力を拡大するために、能力のある人材のバックアップ体制を整えようとしていた。リクはその声に応えるために、身体的特徴や精神的傾向だけでなく、記憶もリンクしたクローンを生み出すことに成功した。これでオリジナルが失われたとしても、同じ能力と記憶を持ったクローンを作動させれば、その損失を最小限に抑えることができるようになった。
 ヨシオが言うように、人間を作成する二つの方法を編み出したリクの功績は大きかった。彼が人々の尊敬を集め、歴史に名を残すことは誰の目にも明らかだった。だから、リクの脱出は誰にとっても思いがけないことだった。あまりにも不可解なために、誰もリクの胸中を推し量ろうとはしなかった。

 ハルカはリクのクローンとともに自室へと向かっていた。すれ違う乗客たちは二人に気づくと、丁寧に挨拶をした。中には遠くから手を振ってくる乗客の姿もあった。パーティールームが近くなると乗客達の数は増えていった。カナのアナウンスを聞いて自室に戻った人はいないようだった。
 客室へと向かう曲がり角のところで、二人はある乗客達に呼び止められた。彼らはさきほどの警報音に気づいたようだった。
「聞き慣れない音でしたけど、何か誤作動でしょうか?」
「確認中です。すぐにアナウンスが流れますので」
「乗組員の方々も大変ですね。何か起こればすぐに駆けつけないといけなくて」
「それが仕事ですから」
 彼らは話が済んでもなかなか引き下がろうとしなかった。互いに顔色をうかがい合っている様子からして、本題に入るきっかけを探しているようだった。
「これからタンポポ作戦が始まりますでしょう」
 とある男は話し始めた。
「シルバーシップ号にとって最大の、そして人類の今後の飛躍を占う上でも、とても重要な任務だと聞いております。乗客である我々は成功を祈るばかりですが、私は子々孫々までこの偉大な瞬間に乗り合わせた栄光を語り継ぐつもりですよ。もっとも、当の子どもたちは遠くに旅立っていくわけですが」
「何が言いたいんですか?」
 とハルカは遮った。すると男は懐から一本のワインを取り出した。
「タンポポたちがよく見える場所を教えてくれませんか? 飛んでいく方角だけでもいいんです」
「作戦に関することは口外を禁じられています」
「ええもちろんです。存じておりますとも。ですから、ハルカさんに方角を言っていただきたいとは思っていないんです。その方角を"見て"いただければ十分です」
 ハルカはちらとワインに目を遣った。男はその視線の動きを逃さなかった。
「ビンテージのロマネコンティです。1990年のブルゴーニュは気候条件に恵まれて、前世紀の中でも最高の出来の一つだと聞いています」
 宇宙船への持ち込みが限定されている酒は、最も希少価値が高いものの一つだった。船内の闇取引では一瓶が破格の値段で取引されていると噂されていた。中でもビンテージのワインは地上でも滅多に出回らないほど貴重な代物だった。
「リクさんもお好きでしょう? これで日々の研究の疲れを癒やしてはいかがですか?」
 リクは肩をすくめて答えなかった。
「歴史的な瞬間にぜひ立ち会いたいんです」
「私たちの子どもでもあるわけですから、私たちにも見る権利があっていいんじゃないでしょうか」
 周りの人々は畳みかけるように意見を述べた。ハルカはしまいにこんなことを言った。
「私は作戦に関することは言いません。ただ、そのワインにはA棟にあるレストランの食事が合いそうです」
「私もそう思っていたんですよ。あそこはピザもパスタも最高ですからね」
「……窓からの眺めもとてもいい」
「そうですか、それは知りませんでした。これから行って確認することにしますかね。素敵な情報をありがとうございます」
 そう言って男はワインを手渡した。

「驚いたね。いつ君はあんな言い方を覚えたんだい?」
 部屋に戻ると、リクのクローンは憎まれ口を叩いた。ハルカはワインをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。そしてクローンの頬を手で叩いた。
「知ったような口を利かないで」
「リクも飛んだ悪趣味な奴だね。手を出すような女を選ぶなんて」
 ハルカは普段酒を飲まなかった。乗組員の規則を破ったこともなかった。
「教えて。どうしてリクは脱出なんかしたの?」
「知らないね」
「どうして? 記憶のリンクは上手くいかなかったの?」
「上手くいっているさ。君がリクを必死に止めたことを知っている。そして脱出の理由を問いたださなかったことも。だが記憶は繋がっていても、心は繋がっていない。僕には僕の心があり、意思がある。だからリクがどんな思いで脱出をしたのか、僕にはわからない」
「じゃあ考えて答えて。あなたはあなたなんだから」
「面倒な女だね。だんだんリクのことが嫌いになってきた」
「嫌いでいいじゃない。あなたはリクに全然似ていない、別人なんだから」
「いや僕はリクだ。僕にはリクとしての記憶と能力がある」
「だとしたら、あなたは失敗作よ」
「失敗作だと? 自分がオリジナルではないのに、本人として生きなければならない人間の気持ちが君にわかるのか?」
「じゃああなたは、逃げていった夫のクローンと対面しなければならない妻の気持ちが理解できるの?」
 リクのクローンは少し考えて、意地の悪い笑みを浮かべてから言った。
「僕たちは似た者同士かもしれない。二人ともリクに縛られている。そしてリクに怒りを抱いている。……乾杯しよう。せっかく賄賂を貰ったんだ」
「どうしてこんなもの貰ったんだろう」
「欲望に正直な方が素敵だと思うけどね。きれいごとに見せかけるよりよっぽどいい」 
 ハルカは溜息をつき、グラスにワインを注いだ。そして無言のまま、二人はグラスを合わせた。

 すると、館内にはカナのアナウンスが入った。
『乗組員のハルカとリクは至急オペレーションセンターにお戻りください』
 声のトーンからして、カナが必死に興奮を抑えているのがわかった。次の瞬間、遠くから爆発音が響いた。二人はすぐさまワインを飲み干し、センターへと向かった。
 スクリーンに映し出されていたのは、タンポポたちの無残な姿だった。シオリとコノミが目を覆うなか、ヨシオは原因を探すためにタンポポたちを一人一人拡大してスクリーンを睨んでいた。バラバラになったロケットの部品に混じって、タンポポたちの頭部や手足が宇宙空間に漂っていた。
「リクがやったの?」
 とハルカは言った。
「そうに決まってる。あの野郎、爆弾をしかけたんだ。僕にはその記憶がない。きっとその部分だけ記憶を上手く切り取ったんだ」
「そんなことができるのか?」
 リクのクローンは乗組員たちに記憶をリンクさせる仕組みを説明した後、船長に向かって言った。
「船長、これはリクが仕組んだことに間違いありません。彼はタンポポたちを殺し、逃げて行きました。クローンである僕を残してタンポポたちを再度作成できるようにしたのは、せめてもの罪滅ぼしのためでもあるでしょう。彼の卑しさが如実に表れています。あんな男、消えて正解だったのです。僕にもう一度、タンポポたちを作成する機会を与えてもらえませんでしょうか? 僕ならタンポポたちをさらに成長させた上で、必ず作戦を成功させてみせます」
「よろしい」
 船長は思いのほかすぐに承諾した。リクのクローンは拍子抜けしながらも、提案が受け入れられたので引き下がろうとした。すると船長はリクのクローンを呼び止め、近くに引き寄せてから小声で言った。
「ワインの香りがするのは気のせいかね? 後で一口くれると嬉しいんだが」
 二人が密かな話し合いを始めた時、ヨシオはあることを思い出した。
「それで、子どもはどうするつもりだ? もし爆弾をしかけたのが本当なら、リクの死罪はおろか子どもの命も危ないだろう。同じ思想が巣くう可能性を否定できない」
 ハルカはそのことをすっかり忘れていた。手は自然とお腹にのび、リクとの日々が頭の中を駆け巡っていった。リクの憂いを帯びた横顔は触れられるほど近かった。互いに必要な存在だから、求め合うのだと思っていた。未来を夢見る時には、いつだって隣にリクがいた―ハルカの内に湧き上がってきたのは怒りだった。
「リクはきっと生きている。だからリクに復讐をする子どもに育てます。私の子どもはリクを追いかけ、必ず見つけ出します。これなら、生きていてもいいでしょう?」
 ヨシオには返す言葉がなかった。

(終)

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