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エッセイ_横須賀ドライブ

横須賀にまつわる僕の過去と現在をエッセイにまとめました。
文字数:約4500字。文庫本で10ページ程度、20分ほどで読み終わります。

 海沿いの134号線は相変わらずの渋滞だった。江ノ島を越えて、二車線の道路が一車線になると道路は必ず混雑し、ひどい時は由比ガ浜を抜けるまでたらたらと走らなければならなかった。真横を走る江ノ電に追い越されることも稀ではないし、こんなスピードではいくら窓を開けてもせっかくの潮風は入ってこなかった。

 僕はアルバイトで横須賀に行く途中だった。市内の小中学校を回って尿検査の検体を回収して会社まで戻るのが仕事だ。車の運転はそこまで苦ではないし、正直バイトなんてなんでもいいと思ってやり始めたのだが、かれこれもう5年も経ってしまっていた。新卒の社員さんとはだいぶ歳が離れてきているし、定期的に入っては辞めていくパートのママさんたちを何人見送ったかわからなかった。

 クリープ現象だけでうだうだと前に進んでいると、鎌倉高校前の踏切に人だかりができていた。僕にはそれが中国人の観光客だと一目でわかった。大学生の頃、駅の売店でバイトをしていた時に、中国人のカップルに電車の乗り換えを聞かれたことがあった。その人のスマホはもちろん中国語仕様だったが、アプリに表示された漢字は明らかに鎌倉高校前だった。ならばと思って案内したものの、なんであんなところに行きたいのだろうと不思議だった。駅には名前の通りの高校があるだけで、他に見るべきものは何もなかった。それどころか江ノ島と鎌倉のちょうど中間にあるので、観光にはむしろ適していなかった。後で知ったところによると、理由は中国での「スラムダンク」人気にあるらしかった。鎌倉高校は「スラムダンク」に出てくる陵南高校のモデルで、特にアニメのオープニングに出てくる踏切の前で写真を撮りたい人が多いとのことだった。ここでウェディングフォトを撮る人もいるらしいから、その人気は相当なのだろう。

 まったく結構なことだ。わざわざ日本に遊びに来てくれて、はたまた夫婦の一生の思い出に鎌倉を選んでくれるなんて。僕はそう思いながらも、目線が切れるまで彼らの姿をじーっと見送った。別に嫉妬しているわけではなかった。僕だって頑張って働けば海外旅行くらい行けるだろうし、結婚相手だって見つけられるはずだった。問題は彼らと同じことがしたいかどうかではなかった。つまづきはもっと別のところにあった。そして僕自身、それがどこにあるかわかっていた。

 その日は踏切の辺りを抜けると、渋滞は解消していった。稲村ヶ崎を左に曲がって由比ヶ浜の海岸を目の前に臨み、さらにアクセルを踏み込んでスピードを上げると、あっという間に鎌倉を越えて逗子に入った。車が順調に走れば気分もいくらかましになっていった。葉山が近づくと景色は海から山へと変わり、いくつかの長いトンネルと曲がりくねったアップダウンのある道を走り抜けると、地図の上ではもう横須賀だった。僕は目的地の小学校がある市内までもうしばらく車を走らせた。

 車は赤信号で止まった。交差点の左にはファミリーマートがあった。そこは10年程前、地元の友人たちと出かけたドライブの末にたどり着いた思い出深い場所だった。当時の僕たちにとって横須賀はまだまだ遠い場所だった。知らぬ間に真っ暗な山道を越えてきた僕らは、アイスを買って食べながら「おい、横須賀まで来ちゃったぞ」「どうする、こっから戻る?」などと話したのを覚えている。すると、ある友人が一人ずつ動画を撮ろうと言い出した。10年後の自分に向けてメッセージを残そうというのだ。どうしてそんなことになったのか、経緯は忘れてしまった。ちょっと小っ恥ずかしい気もしたが、その時はなぜかとても素敵なアイデアのように思えた。小中学校の同級生である僕らはこの時点で10年の付き合いになっていた。校庭でドッチボールをしていた少年たちが10年後には横須賀のコンビニでアイスを食べているなんて、誰も思い描いていなかっただろう。同じように、僕たちは30歳になっている自分たちをまるで想像できなかった。僕たちは一人残らずしどろもどろになって、わけのわからないことを勢いで喋った。それでも、不思議と気分は良かった。

 先日この話をみんなにしたところ、その日以外にもよくドライブに行ったと話になった。僕が参加したのはその日だけだったと思うが、なんだかすごくいいと思った。たぶんあの当時、僕らは誰かと一緒に何かをしたかったんだろう。でも何をすればいいのかわからないから、ただただ遠くまで車を走らせるしかなかったんだろう。

 結局、その日はファミリーマートを折り返しにしてカラオケをしながら帰った。みんなの歌声が一つになったのは、チャットモンチーの「染まるよ」だった。最後のサビの「嫌わないでよ 忘れないでよ」には不思議なくらい感情が乗っていた。

 12時頃になって僕はようやく回収作業を終えた。それから昼食を挟んで2時間半ほど車を走らせ、会社に着いたのは15時だった。だがこの日の仕事はこれで終わらなかった。1時間ほど事務作業をしてから僕はもう一度車に乗り込んだ。今度は夜間の定時制高校の分を回収しに行かなければならなかった。
「また横須賀に行くの?」
 と言って驚いた顔をしたのはT先生だった。先生は会社付きの医師で、主に陽性になった検体や判別が難しい検体の精密検査を担当していた。と言うと聞こえはいいが、ごく小さなうちの会社が高い給料を払っているとは思えなかった。おそらく医師といっても、いわゆる病院の先生とはキャリアも待遇も異なっているはずだった。たしかに先生は医師然として背が高く、声も優しいけれども、白衣の胸ポケットにはボールペンのシミが無数に付いているし、何世代前かわからない古いプリウスに乗っていた。白衣を着ていなければ、正直ただのおじいちゃんだった。
「夜間の高校に行かなきゃいけないんですよ」
「はー、ほんとに」
「まぁ何回も行ってるんで」
「道は混んでるの?」
「国道を抜けちゃえばあとは大丈夫です」
「そうかい。いやぁ、それは大変だ」
「行ってきますね」
「はいはい。気をつけて」 
 僕は元来た道を戻って再度横須賀に向かった。家を出る時には満タンだったメーターはもう半分近くまで減っていた。 

 最近では横須賀の道もだいぶ覚えて、そろそろナビなしでも回れるんじゃないかと思うくらいだった。中でも夜間の回収はほとんど僕の担当のようになっていた。数えたことはないけど、もう10回以上は来ているはずだった。僕は夜道にも迷うことなく駐車場に車を止めた。隣の体育館は授業中らしく、学生さんたちはバトミントンをしていた。僕が回収に来る時、体育館ではなぜかいつもバトミントンが行われていた。そんな不思議が可笑しかった。僕は楽しそうにラケットを振る学生さんたちを眺めながら玄関に向かった。定時制のクラスにはいろいろな年代や国籍の人がいるはずなのに、バトミントンをやっているとみんな一緒に見えた。

 事務室に来訪を告げて、僕は保健室に向かった。
「失礼します。尿検査の回収に来ました」
 すると奥から顔馴染みの先生が出てきた。
「あらどうも。よろしくお願いします」
 先生は60代くらいのおばさんだった。短い髪はパサつき、浅黒い肌は化粧っ気もないが、見るからに快活で頼りがいのある人だった。僕が訪ねていく時、保健室にはだいたい遊びに来ている学生さんの姿があった。おそらく先生の人柄を慕って遊びに来ているのだろう。その日は僕と同年代か少し上くらいの女性の生徒が二人、ソファーに並んで座っていた。僕の姿に気づくと二人は急に口をつぐんで下を向き、身動き一つしなくなった。
「あ、ちょっと待ってね」
 回収を終えて帰ろうとすると、先生は一度保健室の奥に消えた。そして手に小さな爽健美茶を持って戻ってきた。
「これよかったら」
「いいんですか! ありがとうございます」
「こんな遅い時間までねぇ。帰りも遠いんでしょう?」
「そうですね。でも夜は空いてるんで、1時間半くらいですかね」
 先生は前にも自販機でタリーズのブラックコーヒーを奢ってくれたことがあった。毎度遅い時間にやって来る僕を気遣ってくれているのだろう。ありがたい話だった。僕は車に戻って検体を積み込み、爽健美茶をドリンクホルダーに入れてエンジンをかけた。その時、僕は急に気になって爽健美茶を再度手に取った。そのペットボトルはあまりにも小さかった。すると気分はみるみる急降下していった。これだけ必死に働いたのに、貰ったのは努力賞のような小さなお茶一本だけだった。それはまるで僕の現状を映し出しているかのようだった。

 車のデジタル時計は20:05を示していた。とにかく会社まで帰らなければならなかった。僕は近くのインターを通過し、高速道路へと合流する坂道を爆速で駆け上がった。街灯の少ない横須賀の高速道路に、車は数えるほどしか走っていなかった。僕はすぐにウインカーを出して右車線に入り、コントロールできるギリギリの速度で走った。僕にはそのスピードが必要だった。なるべく多くの車を追い越して、気持ちを落ち着けなければならなかった。

 あの時、10年後の自分がまさか横須賀を爆走しているとは夢にも思わなかっただろう。今、友人たちはそれぞれの人生を歩んでいた。ある人は沖縄で警備の仕事をし、ある人は推しの地下アイドルと別れ、ある人はこの秋鎌倉で結婚式を挙げる予定だった。誰もあの時のように何をすればいいのかわからず、車を遠くまで走らせているわけでなかった。なのに、僕は横須賀をぐるぐると回ってガソリンを消耗し、時間を空費していた。こうやって生活費の分だけバイトをして、後の時間はすべて小説につぎ込んでも、成果は何一つ出ていなかった。「頑張れ」「絶対できるよ」という言葉が最近はつらかった。中途半端なのだ。無能だと極端に否定するか、力強く背中を押すかのどっちかにして欲しかった。

 会社に着いたのは21:15だった。かかった時間は1時間10分で、これまでの最速タイムを更新した。T先生は労いのためか、マカダミアチョコをくれた。といってもそれは先生の食べかけで、残っているのは9個のうちの5個だけだった。しかも箱は既になく、チョコレートはプラスチックケースに直に乗った状態だった。僕は笑いそうになった。やっぱり今の僕にはこれくらいがちょうどいいのかもしれなかった。

 帰り道、僕はだんだんと平静を取り戻していった。そもそも最初から死ぬつもりでやると決めたのだった。苦しいなら苦しみ抜いてやるまでだった。僕は貰ったチョコレートをすべて食べてやった。小腹が満たされ、底の底から力がみなぎってくるのを感じた。

 結局、この日は約13時間のドライブで270kmを走った。また行けと言われたらいつでも行くつもりだが、しゃらくさいことを言うのは今日で最後にしたい。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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