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「丁寧に」は、自分の安心

「早く済ませよう」という気持ちが強すぎると、ミスをしやすい、というのは分かる。
目の前のことに集中できないから。

この前、洗濯物を丁寧に畳んだり、シーツをいつもよりぴしっと整えたら、それだけで心が落ち着いた。

だが、とても焦っているときとか、すごく不安なときに丁寧にやるのは、簡単ではない。それでも丁寧にすることで、ゆっくりすることで気持ちが落ち着いたりする。

安心と丁寧は裏表の関係

安心感を十分に味わっていない状態の人に、丁寧にしなさい、ということを強要するのは、実は とても残酷なこと。安心を経験していない人に、丁寧を経由させて安心を経験させるよりは、安心を経験させる方が先かな、と思う。

自分が大事にされた経験があるから、自分も他者に対して大事にすることができるのだ。

こういうループが継続的に経験できていったあとに、
丁寧からの安心、というのを味わうことができるのだと感じている。

これは私の子どものころからの経験を元に書いているもの。
人それぞれの特性というものがあるから、これがみんなにあてはまるとは限らない。

でも、私たちは、自分が思っているよりもずっと「受け入れられて、包み込まれた経験」がなくてはならないものなのだ。

勉強やスポーツなどもそう。
少し話がそれるが、個人的には叱責で力を伸ばそうとする塾などは好きにはなれない。一時的には力がついても、それが本当に継続して残っていくかというと疑問だ。もちろんこれも適性とか向き不向きがあるだろう。

ただ、とんでもない能力やセンスを発揮している人って、すごく自分の世界を持っていて、それって 他者に制御できるものではないように思うのだ。つまり、叱責などといった外圧的な力のようなものと、そもそも根本的に相いれないものだと思う。

やっぱり確信に近い安心感って 人間が力を発揮するのに不可欠だと、私は思う。

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