染め物、しば漬け、陸上…
古き良きものは無くなるのか。効率化の犠牲になるもの、効率化により救われるもの。
京都でろうけつ染め風のさいけつ染めに出会う。手作業で、染めていく。伝統的な染める技術、手ならではの、不規則な柄、守り続けている人はもう少ないかもしれないと聞いた。
安く効率のいい、機械へ変わっていく。機械は同じ柄。
(工房:アートユニさんでワークショップの様子)
職人さんが作るものは、2度と同じものはできない。効率良く大量にできるからと言って、職人さんが作るものがこの世のから消えてしまっていいのか。
日本の伝統的なものは、こうやって消えていってしまうのだろうか。ワークショップに参加して、染工房に訪れ、職人さんと話して、色んな疑問を感じた。
ワークショップの後、しば漬けの発祥の地へ行った。しば漬けとは、もともとナスで作られていた。それなのに、しば漬けはきゅうりのことだと思ってた。
いつの間にか、なすからきゅうりへ変わっていったようだ。
きゅうりのしば漬けで、きれいな紫色にするには、着色料を使うことが多いそうだ。本来の、なすとシソなら、自然に綺麗な赤紫色が出るらしい。
着色料や保存料を使い、広まったきゅうりの漬物をしば漬けだと思っていたが、もともとは違う事を知った。
(しば漬け発祥のお寺)
効率が良いから、その方が安く作れるから、それで無くなっていくのも、それで本当に良いのかと思った。
指導についてディスカッションしていた時、同じような問題にぶち当たった。
目の前の子どもにとって、自分がいいと思う指導をしたら、会員が集まらない。
目に見えやすいこと、例えばチームが勝ち続けることが、集客になり、コーチという職を続けられることに繋がる。
勝ち続けることだけが良い指導ではないけど、勝負の世界、もちろん勝敗も大切だ。
極端に勝ち続けることだけに価値を置いてしまうと、その弊害のようなものも生まれてくる。
勝つことに執着して競技をしていた時期がある。ただその価値観の怖い部分も知った。勝つことに執着している時にも、競技をやり始めた時のような好奇心、興味、また探究心を持ち続けてやることが必要だったと、何年も後から気づいた。実際に、そうやって競技生活を長く続けてらっしゃる方もいらっしゃるように思う。
勝つことに執着している時期は、良い意味ではそれに集中していて、あえて悪い意味で言うと視野が狭くなる。この辺りは、裏表というか、紙一重の違いというか、非常に難しいと思う。
ただ、小学生から中学生くらいには、勝つ以外の部分を知ってほしいという気持ちが強い。その時期に、勝つこと以外の価値を感じてスポーツしていれば、いつか勝つことに執着してやる時期がきても、また思い出せる。勝つこと以外の価値を知らずに、勝つことだけに価値があると思って大人になると、苦しくなると思う。
私は、今も陸上に関わらせていただけるのは、やっぱり体を動かすことが好きだし、楽しいし、興味がある。不思議なこともわからないこともたくさんある。勝つことに執着していた時の行く末は、本当に暗闇で嫌に思ったこともあった。でも、今でも関わることができているのは、やっぱり体を動かすのが好きで、楽しいと思い出したからだ。その経験があるから、子どもたちには無邪気に体を動かす楽しさ、面白さ、不思議さ、みたいなものを感じて欲しいと思う。それが、大人になって勝負や勝利に拘ればこだわるほど、欠けていく要素になり、その時に必要だと思うから、伝えたいという気持ちがある。
(最近、マスターズで陸上をする意味は、速さだけの価値では無いように感じる)
ただ、それって実際何年も後にならないとそれが生きるかどうかなんて分からないし、そんなよく分からないものより、目に見えて速くなる、上手くなる、勝つなど、その方が大切と言われたら何も言えない。その方が見た目が良いし、人も集まるし、結果仕事として成り立つのではないか?と言われたら、難しい。
そのような事を考えてたら、最初に書いた伝統工芸やしば漬けのことと、重なって思えてきた。
いつも、パッと目立って結果に見える、表面的によく見えるもの、効率のいいも良もの、早くできるものが優遇されていくように見える。
裏を返せば、自分を含めた人々が、そういうものを求めてしまうのだろう。
と結局、自分に返ってくる問題だなと思う。
まとまらないけど、終わり。
最後まで見ていただき、ありがとうございます♪余談ですが、カバー写真は藍の葉(生)で染めた藍染め。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。共感していただいだり、楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたしますm(__)m