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美術館で図書館、理想の施設すぎる

コロナ禍の自粛期間で、辛かったことのひとつは、
美術館と図書館に行けなかったこと。

アート鑑賞や読書、それ以前に、
その空間自体がすばらしくて、そこに居るだけで気持ちが満たされる。
いつでも、気が向いたらブラッと行ける。
それを封じられると、こんなに心って削られるもんなのか~と。
私にとっては、想像以上でした。


そんな気分の中、
太田市美術館・図書館」の存在を思い出しました。

美術館と図書館が合体しているとは、
なんて理想の施設なんだ、
心のオアシスそのものじゃないか、と。


「太田市美術館・図書館」は、
単に施設、建物としてだけでなく、コンセプトや構想などを、
どのようにして作り上げていったか、
サイトに掲載されていて、とても興味深いです。

建物の造り自体、美術館空間を取り巻くように、
図書館空間がスロープだったり、回廊のようだったり、
その入り組み方が、さらにワクワクをそそります。

そして、私が観に行った企画はこちらでした。
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本と美術の展覧会vol.2
「ことばをながめる、ことばとあるく
 ——詩と歌のある風景」
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詩や歌(短歌)を、デザイナーや画家が、
それぞれの考案で、視覚表現として空間に解き放ち、
鑑賞者は、『ことば』を様々に自由に体感する。

詩や歌(短歌)を目にする機会の多くが「本」の中だとしたら、
もっと別の場所で、別のアプローチで存在させ、
そのことでどんな作用が起こるのか。


私は、デザインや視覚的に優れている、と感じるものだと、
そこに文があっても、読む意欲がわかない傾向があります。
(例えば、デザイン性の高い書籍や雑誌など、
デザインに目を奪われ、堪能するだけで満足し、
文章を追う気がなくなる、など…)

なので、この展覧会でも、
どうしても色彩、形状、バランスなどが記憶に残り、
作品の言語的意味はあまり記憶がないのですが…

しかし、購入した図録&解説本で、
展示されていた詩を、改めて「本」の中で読むという、
ある意味パラドックスの中、
今後は自然に、言葉が入ってきました。

一周回って、
詩や歌(短歌)を、普通に書として読むということ、
さらには、文字しかないところから、
頭の中で世界を空想していく楽しみ。
そんなことを、改めて意識できました。

ジワジワと「美術館かつ図書館」の術中にハマったかも。

「美術館・図書館」らしい、素敵な企画ですよね。
こんな施設が身近にあったら、豊かに過ごせそう。
ほとんどそこに住みたいぐらいです。

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