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個性派揃いの土偶たち|千葉県市川考古博物館・鎌ケ谷市郷土資料館

酷暑の毎日が続く中、ふっと半日ほどの自由時間ができました。
さて、何をしようか、どこかに行こうかな?
思いついたのは、以前から気になっていた千葉の2つの博物館。ちょっと出かけるには遠いし、わざわざ予定を立てて行くほど遠くはない、近いような遠いような場所です。
そんなことで足を延ばして訪れたのは、都心から電車で一本で行けて、駅からも歩いて10分ぐらいの千葉県市川考古博物館と鎌ケ谷市郷土資料館です。

東京湾をぐるりと廻る鉄道網。
線路は続くよどこまでも~♬

相互直通運転によって、毎年のように広がっていく、鉄道のネットワーク。
最近では、行先を見ると、県をまたぎ、またまたぎと、そこはどこであるか想像もできない駅名であることもしばしばです。

私は都内から都営浅草線に乗り、→京成押上線→北総線へと、乗り換えなしに一気に目的の駅へ到着。なんて便利なんでしょう。
かつては〝幾つもの電車を乗り継いで〟という地域へも、今や気軽に訪れることのできる場所になっています。

さらにこの路線は、南の神奈川方面へは京急線と繋がり、千葉方面は京成成田アクセンス線に繋がり、神奈川県の三浦半島から千葉の成田空港まで一直線で行けるということです。

そんな鉄道ネットワークの恩恵にあずかりながら、縄文を探すプチ旅行へ出かけました。

市川市考古博物館
最寄り駅は「堀之内貝塚」

最初に降り立ったのは、市川考古博物館の最寄り駅の北総鉄道「北国分」駅。副駅名は何と「堀之内貝塚」駅!
縄文貝塚の名前がついた駅に、早くも期待が高まり気分も上々です。

「北国分」の駅名は、
かつて令制国の一つ下総国分寺から由来します。

駅から住宅街を抜けて10分ほど歩くと、緑豊かな広々とした「堀之内貝塚」に到着です。
ここに市川歴史博物館と少し離れて考古博物館があり、郷土の歴史を満喫できる地域となっています。

堀之内貝塚は1904年に発見された
縄文時代後期~晩期にかけて形成された遺跡です。
全国で初めて、
全身骨格が揃った「埋葬人骨」が発見されました。
この貝塚からは、ハマグリやイボキサゴ等の貝の他、
珍しいことにイカが数多く出土しています。
産卵のために浅瀬に近寄ったイカを
採取していたと考えられています。

考古博物館は、縄文時代のコククジラの骨格標本をはじめ、先史時代から平安時代までの遺物が分かりやすい解説と共に展示されています。
その中から、縄文時代の気になる遺物をご紹介しましょう。

個性派揃いの土偶たち

顔がみんな違う!この土偶たちの様相は実に様々です。
とくに注目したいのは、左上の立体感ある土偶です。
肉厚で表現力豊か、肌も艶々…初めて見るタイプの土偶です。

縄文時代後期からは、
様々な文化が流入した時期にあたります。
土偶も関東、東北、中部などの
特徴を持ったものが存在します。

さらにお隣には、これまた初めて見る、ボリューミーな体躯の土偶がいます。
脚は表現されていませんが、具象的にデフォルメされた表現は、女性の身体を美しく表現しているように思えます。
欠けてしまった顔は、右隣の土偶のようであったのでしょうか。

少し前に鑑賞した
フェルナンド・ボテロの《モナ・リザの横顔》
を思い出しました。

イノシシのカオが描かれている土器

ガラスケースの中でごろんと横たわっている、割れた大型の土器。なんの変哲もない土器に思われますが、約4,000年前の縄文時代後期のものと思われるイノシシの線刻画(線状に刻まれた絵)が施されています。
イノシシは多産で生命力が強いことから、出産や豊穣を願うシンボルと考えられ、そのような思いがこめられた土器であったようです。

目、鼻の左側にある斜めの線は
〝体毛〟を表現しています。
正面向きのイノシシの表現は貴重です。

鎌ケ谷市郷土資料館

市川考古博物館の縄文に別れを告げて、再び北総鉄道に乗って12分、「新鎌ケ谷駅」へ。
実は鎌ケ谷市を訪れるのは今回が初めてです。
降り立った駅の周辺は、広々とした区画整理された街並みで、初心者の私でも迷うことなく目的地まで行けそうです。
国道沿いを歩くこと10分で到着したのは、見逃してしまいそうな小さな郷土資料館でした。

小さなビルの1階が展示室になっています。

小スペースながらも、奈良・平安時代の復元住宅もあり、旧石器時代から現代までの遺物がコンパクトに展示されています。
縄文時代のコーナーには、中期~後期までの土器、土偶、耳飾り、腰飾りなど、所狭しと数多くの遺物を見ることができます。

土偶はやはり個性派揃い

市川考古博物館の土偶と同じく、
色々なタイプの土偶が勢揃い。
厚みある胴体に〇文様があったり(左上)、
目なのか、耳飾りか分からなかったり(左下)、
地味ながらも興味を引く土偶たちです。

くっきりハート形の顔の人面土器

大きな目と大きく開けた口を持つ2つの顔は、縄文時代後期の人面土器です。
面白いのは、それぞれ土器の口縁部の内側に表現されていたということです。
一見するとシンプルで模様のない土器が、〝内側を覗くとハートの顔が施されている〟とは、何ともユニークですね。
使い勝手を考えてなのか、それとも他に意味があったのでしょうか。

2つの顔はそっくり!
きっと製作者は同じですね。

縄文時代の後半の千葉県周辺は、海が後退することによって環境が大きく変わっていった時期と考えられています。
加えて、縄文時代から弥生時代へ移り変る時期も重なり、生活様式の変化や文化の流入などといった変動が大きかった頃でもあります。
このような中で生まれた、様々な特徴を持つ土偶たち。
益々知りたくなる、奥深い魅力が隠れているようです。

ちょっと足を延ばしただけで、いくつもの新たな縄文との出会いがありました。〝百聞は一見に如かず〟とはよく言ったものですね。
次回はどこへ行きましょうか。

最後までお読みいただき有難うございました☆

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