今日会いに行きたい!気になる土偶#087十日町市博物館
優しい笑顔の土偶から想像するのは…のんびり、まったりした豊かな縄文時代でしょうか。
この土偶が出土したのは、あの火焔型土器が誕生した新潟県十日町市。
炎のような激しい造形とはあまりにも違うテイストです。
荒々しい火焔型土器が作られたのは、今から約5000年前の縄文時代中期。一万年以上続いた縄文時代において最も繁栄したと言われている時期です。
一方、この土偶が作られたのは、その後の縄文時代後期~晩期で、縄文時代が終わりへと向かっている頃です。
この頃には県内各地はもとより、東北・関東・北陸地方などとも活発な交流がおこなわれるようになりました。
それによって各地の文化が入り混じり、土偶作りにも影響を及ぼしたと思われます。
この土偶のように、地元のオリジナル?、それとも、どこからかやってきた?等々…その系譜がはっきりしないものが多いのです。
土版のように平たく、顔の下にある突起は小さな胸を表し、手はなく、寸胴。そして短い脚がしっかりとついています。
現在は右脚は無くなっていますが、本来は2本の脚でしっかりと自立し、人々の前で女神としての役割を果たしていたようです。
そしてこの土偶が出土した樽沢開田遺跡からは、不思議な土器が発見されています。
その土器というのは、
3個の土器が入れ子状に重ねられ、その上部には
蓋をしているように大きな石が置かれていた
というものです。
何のために土器を重ね、石で蓋をしたのか?今のところ解明されていませんが、何かそれまでの社会に変化があったことが感じられるようです。
あの火焔型土器も見られなくなった…というこの頃、各地の文化が入り混じり、また、それまでの温暖な気候がだんだんと寒冷化し、山の木の実などが採れなくなっていく時期です。
さらに西からは新しい時代の波がやってくるか、来ないかという、まさに混沌とした縄文時代の終わりが見え始めた…頃。
今日の土偶の笑顔は、そんな不透明な社会と未来への不安の裏返しなのでしょうか。
参考資料 十日町市博物館2021年展示資料
©2024 のんてり
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