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縄文神社と星の目を持つ顔|東京都あきる野市 二宮考古館

都心からは電車で約1時間半程のあきる野市。
都会の喧騒から離れた緑豊かな地域は、100ヶ所以上の遺跡が分布している歴史ある街でもあります。


先ず訪れたのは「二宮神社」。
「二宮神社」
は、縄文時代草創期からの遺跡の跡に建立された「縄文神社」と呼ばれるちょっと特別な場所です。

「縄文神社」とは?

『縄文時代の遺跡と神社が重なっている』ことを指す造語で、『縄文神社 首都圏篇』の著者・武藤郁子さんが提唱している言葉です。
各地で神社を参拝してきた武藤さんが、境内やその周辺に縄文遺跡が多くあることに気づき、『縄文時代の祈りの場所だったところに、今も変わらず祈る場所がある』という特別な場所と考えられている神社です。

その著書の中でも、『縄文神社の神髄が味わえる』とお勧めなのが、ここ二宮神社です。

二宮神社に参拝

「縄文神社」ありそうなロケーションとして最初に挙げられているのが、「台地の上」にあるということ。

二宮神社は、そのロケーションにぴったりな高台に位置します。

手すりが欲しい!

道路から怖いくらい急な階段をどうにか一気に登りきると、眼下には街並みが広がっていました。あいにく今日は曇り、視界が悪いのがちょっと残念です。

縄文時代は空気も澄んでいて遮るものも何もなく、きっともっともっと遠くまで見渡せたのでしょうね。

階段上にはゆったりとした境内が広がっています。
境内は縄文時代草創期からの複合遺跡で、現在に至るまでずっと人々の営みがあった場所であるようです。

「二宮神社」の本殿は江戸時代に建立されたもので、武蔵野の国の総社「大國魂神社」の二之宮として祀られています。

お参りを済ませ…
次は、『びっくりするほど美しい』とあるお池を見に行きます。
階段下の道を隔てた場所に神社の境内が広がっていて、そこに奇麗な湧き水があるということです。
鳥居のある急な階段の横にある、ややなだらかな階段を下っていきます。

こちらの方が安心して歩けます。

道を隔てて少し行くとそのお池がありました。

わあ、きれい!
木々が映りこんでいます!
大きな木と音もなく湧き出る水の気配は、かなり神秘的!

「縄文神社」〝ありそうなロケーション〟2つ目は「湧き水」があること。まさに神からの恵みと感じられる水です。

お池のすぐ先は住宅が立ち並び、
豊かで奇麗な水は、小さな流れとなって街中へと向かいます。

豊かな水源…これは縄文時代の必須アイテム。
「水が一番大切」であった縄文時代。
ここはかなり素晴らしい場所であったに違いありませんね。

湧き出るお池にパワーをいただいたら、
もときた階段を登って本殿のある境内に戻ります。
そして本殿を横切り、隣接した「二宮考古館」へ向かいます。

「二宮考古館」は神社の隣にあるだけに、かなり趣のある考古館。
神社のある二宮森腰遺跡をはじめとする、市内で出土した旧石器時代~中世までの展示物が見られます。

実はここから先は…残念ながら、撮影不可。
ということでリーフレットの写真から、この縄文神社のある二宮森腰遺跡の土偶と顔面把手を見てみましょう。

左の土偶はバンザイ土偶という愛称で呼ばれる東京に多い土偶です。
ばんざ~いと両手を広げているように見えるからバンザイ土偶です。

そして注目したいのは右下の「顔面把手」です。
(人面装飾とも言われる「顔面把手」とは、縄文土器の口縁部に付けられた〝顔〟のような装飾を言います。)

片方の目が星⁈

祭祀のために作られたと考えられる土器に付いていた〝顔〟は、見ての通り片方の目が十字のような、「星」の様な形になっています。

土偶が変化したとも言われる「顔面把手」の〝顔〟は、多くの土偶と同じようにどこか欠けていたり、剝がされたものが多く見られます。
土偶が意味を持って敢えて壊されたように、この「顔面把手」の片目にも何らかの意味が込められていると思われます。

同じような「顔面把手」〝顔〟に以前に出会ったことがあります。

山梨県立考古博物館蔵

顔の形といい、右目の表現といい、とても良く似ていますね。
この2つの土偶が誕生した場所は、直線距離で約70~80キロメートルほどです。土偶や土器作りの盛んな山梨県から山間部を通って、このような「星の片目を持つ顔面把手」の文化が伝わってきたのでしょうか。

「縄文神社」とその土地から生まれた「星の片目を持った顔」は、どうやら「祈り」で繋がっているようです。
湧き出る水にも、
何かを感じられずにはいられない、不思議な魅力があるようです。

私が各地の縄文遺跡を訪ねた折に、
何度となく遺跡やその周辺で神社や祠を見かけました。

「縄文神社」に限らず、
いにしえの人々の大切な「祈りの場」は、その後もずっと大切にされていることが多いようです。
時代が違っても人々が大切にしたいものが同じである…人間の心は縄文時代も現代も変わりがないのですね。

*参考資料
二宮考古館 リーフレット
縄文神社 首都圏編  武藤郁子 飛鳥新社
縄文土偶ガイドブック 三上徹也 新泉社

最後までお読みいただき有難うございました☆

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