見出し画像

あの記憶よりずっと前の南相馬/企画展「縄文みなみそうま」福島県南相馬市博物館

南相馬…2011年の東日本大震災の報道で何度も見聞きし、未だ多くの人の記憶に残る場所ではないでしょうか。

その南相馬の博物館で開催中の企画展「縄文みなみそうま」に合わせて、先日初めて足を運んできました。


初めての南相馬市

太平洋に面した南相馬市は、福島県を3つに区分する「浜通り」地区にあります。多くの被害に見舞われた市内には、未だ一部が帰還困難区域のままとなっています。

仙台からJR常磐線で約1時間20分で、南相馬市の中心にあるJR「原ノ町」駅へ到着。
駅から博物館まではタクシーで10分ほど。車中ではタクシーの運転手さんに、駅前の騎馬武者像にまつわるお話を聞くことができました。

威風堂々たる騎馬武者像「出陣」

伝統文化「相馬野馬追そうまのまおい

地域が誇る伝統文化が重要無形民俗文化財「相馬野馬追」です。 約400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、旗指物を風になびかせながら時代絵巻を繰り広げるそうです。

今年も5月に3日間にわたり晴天の下で開催され、他の地域へ避難をされている方々や多くの観光客が集まり賑わったそうです。
「一年で一番の楽しみだよ」「もう忙しくて、てんてこ舞いよ」と嬉しそうなタクシーの運転手さんの言葉から、活気ある野馬追の様子が伝わってきました。

博物館の再現模型は本格的!

この地域ではこの「野馬追」のためだけに、200頭弱の馬が飼われているそうです。大切な伝統文化であることを物語っていますね。

縄文時代の👣足跡 ~企画展から~

12000年前の爪痕

さて、時代は一気に遡ります。
この地域には約40000年前に人が住み始めたと考えられ、約26000年前の旧石器時代の生活跡や遺物が多数見つかっています。

そして約12000年前の縄文時代の初めには、「爪形文土器」と呼ばれる縄文土器が作られました。
親指と人差し指で土器の表面の粘土をつまむようにして付けた文様です。
このころから生活用具に「装飾をつけよう」と思っていたことに驚きます。

「爪形土器」の破片。約12000年前の爪痕です!

資源を生かして装飾品作り

海に面している南相馬は、その豊富な資源である貝を加工した「腕輪」づくりも盛んでした。
完成品のほか、右のような加工前の材料も多く見つかっています。自分たちがマツリなどで身に付ける以外にも、交易などの品として利用していたのかもしれません。

塩づくりも盛んでした

「塩づくり」も同じく地元の資源を利用したものづくりです。
ここにある土器は塩づくりに使っていた「製塩土器」。海水を煮詰めて塩を作ったとされるもので、この地域からは10万点以上もの製塩土器が見つかっています。ここは「塩づくり」の一大産地であったのかもしれません。

恐らく縄文時代の唯一の調味料と思われる「塩」。人気の交易品として量産されていたと考えられるようです。

ちょっと気になる縄文土器

南相馬は縄文時代の始まりから終わりまで、人々の営みがあった場所です。約10000年以上もここで土器が作られていただけに、東北特有の特徴を持つものや、関東甲信からの影響を受けたものなど様々ありますが、全体的に控えめな形状や装飾が多い印象です。

派手さはないけど、洗練されたデザインの土器。

そして、ちょっと珍しいこんな土器も。
左の土器は中にはいくつも穴があります。これは「茶こし」のようなものかもしれませんね。

思わずキュンとする土偶

頭だけの小さな土偶は「うらこちゃん」。市内の浦尻貝塚から出土しました。
大きな目が表しているように、れっきとした遮光器土偶です。
頭の控えめなぐるぐると小さな口に、思わずきゅんとする可愛さ!

今回は浦尻貝塚へ行くことができず、次回の楽しみに。

初めての味「のりピー」

駅の売店で見つけた海産物。
ノリ+ピーナッツで「のりピー」。なかなかイケます!

南相馬市のお隣「相馬市」産

福島県では未だに農水産業への影響が続いています。一日も早く、以前のように活況な市場に戻るように願うばかりです。

あの時からこれまで、震災で大きな被害を受け復興途上であるという南相馬を思い浮かべるだけでした。
今回僅かながら、生活の活力となる伝統文化や旧石器時代からの豊かな人々の痕跡を知ることができました。

20000年以上前から人々の営みがあった南相馬。この歩みが続くように、これからも心を寄せていきたいと思います。


参考図書
縄文みなみそうま  南相馬市博物館

最後までお読みくださり有難うございました。

©2024 のんてり
<写真&文章は著作権によって守られています>

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?