逃げ弾正

何をやっても中途半端な人生を繰り返して早60有余年、怪我による失業が引き金になり昨年女…

逃げ弾正

何をやっても中途半端な人生を繰り返して早60有余年、怪我による失業が引き金になり昨年女房と子供に逃げられアルバイト生活で生計をたてています。 もうここまでくれば怖いものなどありません。 余生は心の赴くままに生き抜くのみ。 ご興味をお持ちいただいた方はフォローお願いします。

記事一覧

洟垂れ小僧だったガキの頃観た怪獣映画や東映動画は、近所の幼馴染みと一緒に、子供だけで鑑賞するのが当たり前だった という話

 私が生まれ、就学するまでの6年間暮らした名古屋の北部、西区天塚町は、名古屋城の北約2キロに位置する下層階級(ほぼ生活困窮者)の人々が暮らす典型的なダウンタウン…

逃げ弾正
1年前
4

あん時のレバ刺

 幼馴染みの角田郁夫とは、同じ学年だったが生まれ年が違った。昭和35年の5月生まれの俺の10ヶ月後36年3月。早生まれなのに俺より遅くこの世に生を受けた郁夫は、…

逃げ弾正
2年前
6
洟垂れ小僧だったガキの頃観た怪獣映画や東映動画は、近所の幼馴染みと一緒に、子供だけで鑑賞するのが当たり前だった という話

洟垂れ小僧だったガキの頃観た怪獣映画や東映動画は、近所の幼馴染みと一緒に、子供だけで鑑賞するのが当たり前だった という話

 私が生まれ、就学するまでの6年間暮らした名古屋の北部、西区天塚町は、名古屋城の北約2キロに位置する下層階級(ほぼ生活困窮者)の人々が暮らす典型的なダウンタウンだった。
 火の車、その日暮らしという言葉が妙に当てはまる、清貧などととは真逆な暮らしぶりだったにも関わらず、山の手の中産階級のお坊っちゃま方と同じように、当時流行ったゴジラシリーズ(昭和35年生まれの私はゴジラ対キングギドラ位が最初の映画

もっとみる
あん時のレバ刺

あん時のレバ刺

 幼馴染みの角田郁夫とは、同じ学年だったが生まれ年が違った。昭和35年の5月生まれの俺の10ヶ月後36年3月。早生まれなのに俺より遅くこの世に生を受けた郁夫は、蒙古斑が取れるのも字を覚えるのも誰より遅く、補助輪なしで自転車に乗れるようになったのに至っては一つ違いの弟より更に後だった。

 いつ頃から誰が言い出したかは忘れたが、常に誰かの尻についてまわる郁夫は廻りから金魚のフン、略して「金フン」とい

もっとみる