9月6日の読書感想文

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

あらすじを詳しくは書きませんが、静かな衝撃がじわりと染み出てくるような作品でした。
綾瀬はるか主演のドラマを金曜の夜にやっていたのが、もう4年も前のことです。舞台は日本で、あらすじはところどころ改変され、登場人物の名前も日本人名に変えられていました。キャシーは恭子、トミーは友彦、ルースが美和。
16歳だったころ毎週末母と2人で見ていたそのドラマは、本当に1ミリも救いがなくて、ヒリヒリするような人間関係と絶望の運命に毎回抉られていた記憶があります。依存と友情、恋と性愛、秘密、死、生きること。
当時少年ジャンプ連載の『約束のネバーランド』が流行っていたので、そのイメージとも重ねて見ていたかもしれません。謎の施設で育てられる、夢みることを許されない子どもたち。

そのあと原作者のカズオ・イシグロがノーベル賞を取って話題になっていたので、機会があれば読んでみよう、と思っていました。
ドラマを見てから4年後の今日やっと読んで、内容はもうほとんど覚えていないつもりだったのですが、あちらこちら、ああこういうシーンがあったな、とか、こんなふうに改変されていたんだな、と発見し驚くこと、思い出すことが多々ありました。ヘールシャム(陽光学苑)や、「提供」の秘密、物語前半の謎に当たる部分ですね、は物語の前提として覚えていたので、今回はネタバレありで読んだことになるのですが、知らずに読んでいたらめちゃめちゃ気持ち悪いだろうなあ、と思います。不気味な違和感、静かな気持ち悪さがどんどん広がって、次第に謎の全体が見えてくるけど、結局キャシーの語り以上のことは何もわからない感じにぞわぞわします。
ドラマは最終回まで観たはずなんですけど、マダムに会いに行ってから、ラストどうなるのかはまったく覚えていなくて、どうだったっけ、どうだったっけ、とはらはらして、ああそうだったか、と読み終えて息をつきました。うまくいえないけれど、彼らを幸福だったという先生の立場も、納得できないトミーの気持ちも刺さります。

いろんな問題、社会的、倫理的な、を含んだ作品だと思いますが、一番深く印象に残るのは、どこにでもありそうな幼なじみ同士の人間関係です。優位性に固執する我の強いルースと彼女に振り回されつつさめた目で見ているキャシーの友情はちっとも美しくなくて、絆は依存と裏切りでできていて、でもその狭い世界で互いを愛することはやめられないのだ、と痛いほどわかる。私にも、かつてそんな女の子がいたような気さえする。
ドラマ版でも、美和の「わたしを離さないで」が忘れられません。冷たく光る病室と、水川あさみの叫び声。強くて弱くて真っ直ぐで歪な彼女が、厭わしくて愛おしくて、かき乱されそうになりながら観ていたことを覚えています。

私には今でも密に連絡を取っている地元の友人ってほとんどいなくて、幼いころの人間関係がずっと続く感じがいまいちわからないのですが、キャシーたちにとっての「親友」とか、「私たち」意識って、ただの友達とか幼なじみとはたぶん違う、かといって家族というわけでもない、深い沼、あるいは暗い森みたいな人間関係。ヘールシャムのような特殊な場所で育った彼らにとって、そこでの思い出やそれを共有する友人はもはや影も光も渾然として自分の一部なのでしょう。
物語はすごく狭い人間関係の中で進行する上、彼らの外部の世界との間には結局何も起こらない。主人公の置かれた特殊な状況は、最後まで一切好転しない。でもその中で、キャシーもルースもトミーも生きている、悩んでぶつかって傷ついて、そこには少しの不自然さもなくて逆に不気味なくらい、この世界にとっては不都合な、目を背けられた事実かもしれないけれど、彼らはとっても人間でした。2020年の日本の大学生の、私が共感できてしまうくらい。
どんな片隅に見える場所でも、見えてすらこない場所でも、みんなみんな人間、キャシーたちに同情するわけでも、何か実世界への教訓を得ようとしているわけでもなくて、ただ事実として、そのすぐそこにある果てしなさを思います。

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