暑がりで寒がりな僕はただ、寒くない?と問う



「寒くない?」と問う時、
先ずは自分も寒いと思ってる前提で
本当にその相手の事を想い発した言葉なのかと
「寒くない?」と問うた途端に不安と自分に対しての嫌悪感が押し寄せる。

最近読んだ小説にも
「女性は身体を冷やさない方が良い」と何処かで仕入れた知識で
そっと布団を掛けるシーンが合って改めて思索してる自分である。
だが、知識だけで生きるのは良くない。
知能だけで生きている人間が今は多すぎる。
僕は知性で生きてきた筈だ。
何処かの誰かにも言われた。

「君は知性がしっかりある」

それは、最近の事だか定かでは無い。

「寒くない?」
心から相手を心配して言っているのだろうか?
言った途端に自分の事が怖くなる。
良く見られようとしてるんじゃなかろうか?
できる人間だと思われようとしてるんじゃなかろうか?
唯、自分も寒がりで現に今寒いと思っているから
言っているんじゃなかろうかと

冬では無く、夏の時期には尚更思う。

そして「そこに愛はあるんか?」と
CMの大地真央さんの声が脳内で反響する。

冷房で冷やされた店内、冷やされた部屋
冷やされた稽古場、冷やされたカラオケボックス、
冷やされたバグース、冷やされたホテル。

辺りを見渡せば持参したブランケットを肩に掛ける女性達。
店内に備え付けのブランケットを肩に掛ける女性達。

僕はアマゾンでブランケットを買った。
旅行に行った訳ではない、熱帯雨林では無くAmazonだ。
初めての事だった。熱帯雨林もそうだし
店で買った事も無い。

「そこに愛はあるんか?」と
大地真央さんの声が脳内で反響しながら
僕は反芻していた。
そして、カートに入れ注文を確定する。

暑がりで寒がりな僕は最初で最後のブランケットを
その時買ったのかもしれない。

きっと、寒がりなだけの女性は持参するであろうから。

暑がりで寒がりな僕は室内に属する所では先ず、先行して
女性の方が寒さを感知し、寒さを遠回しに表現する。
いや、割とあからさまにだ。

寒そうにしている姿を見て僕は、
リモコンの位置に向かい

「寒くない?」と一応確認し、温度を下げる。
「じゃあ、下げるね」と癖付いて言う僕に

「上げるだからw」と大体、指摘が入る。
そして、その後に
「ありがとう」と言う言葉が続く。

寒くない? 暑くない?
当たり前の言葉だけど

ありがとう。ごめんね。
言えない時もあるけど、

幾度も味わい、幾度となく僕を
置いてけぼりにするように
夏から秋、そして冬に移ろうとしている。
当たり前の中で、当たり前の中に、
当たり前の様に過ぐる季節。
何ら変わりは無い、いつもの事だ。

と思いながら昨夜は眠り
「(寒い)」と思い目覚めた朝。
「休日ってこんなに退屈なもんだったけ?」と
思いながら、いつもの様に仕様もない、くだらない文章を
書いているのです。

「愛はそこにあるんか?」

冬に移ろいゆく季節。
それを感じる季節。

愛を持って生きていく。
それは僕にとって長けてた所であり、足りなかった所だ。

それでも僕は
「愛を持って戦い、愛を持って生きて行く」

知能だけで生き、知能だけで視野し
そんな偏った人間達が今は沢山この世に蔓延っているけども
僕は知性を磨き、愛だけは持って生きてゆこう。

最近は特に
大地真央の「愛はそこにあるんか?」
が、脳内反響し鳴り止む事がないのだから。

だから、向き合う他無いのだ。
現実と、人間と

そして、
愛を持って。
愛を提げて。

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