言葉の在庫



僕みたいな人間が言葉の在庫なんて言ってしまったら
先人方が作り上げた言葉たちに失礼極まりないと思いながらも
僕の言葉の在庫は枯渇状態で有り
入庫する他無い状況である。
そんな時は読書と言う入庫作業を行う事により潤わす。

対して難しい言葉を使っている訳でも無いのだが
やはり人と接したり話したりすると言う作業自体も
入庫作業ともする行為で有り相違ない事である。

最近も数多、昔の記憶を辿り回想録を書いてはいるが
肝心な所で言葉が詰まり書きあぐねている作品が幾つもある。

正直な所、今に破綻しても可笑しくない倉庫の経営を行なっているのだ。

インプット、アウトプットと軽薄にも論すが
文字を書く様になって改めてインプットの重要性を理解した。

今や私の会社は人手不足、来月の給料も払えるか分からない状態。
銀行にお金を借りに行こう。
借りれる担保も無ければ信頼もない。
自分で動いて赤字だろうが、入庫し回すしかないのだ。

言葉が足りない。
人手が足りない。

今までに幾度も味わってきた事だ。
なのに書かなくてはと焦っている自分が居る。

面白いモノが書きたい。
面白い感性で居たい。

その為には沢山仕入れ多少は赤字でも回すしかない。
ノートを漁っても記憶を漁っても乏しい。

だから、書く。
先ずは、掻く。

蕁麻疹の件で5回目の診療。

血液検査をして下さった、女医の方が
採血しながら
「私も2年ぐらい蕁麻疹が出て、収まらない時期がありました」

と、何だか励まされたような気持ちにもなり
人間の温かさを感じた。

だからこそ、苦しくても今は書くしかないのだ。

そんな女医の横顔を思い浮かべながら
可愛いかったなと思いながらも

振り絞って

今日も僕は書くのです。


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