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【鬱病の記録①】初任で休職を経験し通院しながら働いてきたとある教師の記録



よっしゃぁぁぁぁーーーーーーー!!


平成31年度、正規の小学校教諭としてとある県で採用されました。
勉強はできる方じゃありませんでしたが、今までの人生で一番勉強して臨みました。バイトも続けながら、残れる日は夜遅くまで大学に残り、土曜日も大学の教室を開けてもらって勉強に励みました。
そんな中、現役で教員採用試験を突破できたことがとてもとても嬉しかったことを覚えています。


頑張りが報われた…
子どもたちと出会うのが楽しみだ!


不安もありましたが、希望で胸いっぱいでした。


不安…といえば、どこに派遣されるか。二週間の教育実習をさせて頂いた学校だけは勘弁して欲しい…。


何故、私がそんなことを考えていたかと言うと、たった二週間の教育実習にありました。


私が実習に行った学校は、市内でも大規模な方で、先生方もたくさんいました。教育実習に行くと、実習担当の先生に張り付き、教室に張り付き、見て関わって色々なことを学んでいくイメージでした。
しかし私が実習をさせていただいた学校では、教頭が実習担当の先生になるというシステムでした。
(色々なやり方があるの思うので、一つのやり方なんだろうと思います。しかし慣習的なことではなくその当時の教頭の意向だったそうですが…)


それからが地獄の二週間の始まりでした。


実習生は私含め3人いましたが、全員実習担当は教頭が行っていました。朝登校すると、まず職員室でご挨拶をし、ひと通り済ませると実習生の部屋に集められます。
そこから2〜3時間ほどは、教頭監視の下、教材研究の時間です。そこで色々なアドバイスをいただきます。他の先生の参観は二週間の間2、3時間程度で、人の授業を見たことはありませんでした。その間にカウンセリングのようなものがあり、実習生の部屋の隅に一人ずつ呼ばれました。


  • 「仕事なんだからいくら頑張っても結果を出さないと意味が無いんだよ」

  • 「あなたは甘い」

  • 「教育大附属校では当たり前だから」(私は教育大成長でもないですし、実習先は教育附属校ではありません)

  • 「授業が全てだから」


とまあまあキツめの叱咤激励(?)を受けていました。他の先生方とお話させていただいたり、関わらせて頂くことはほぼありませんでした。なので狭い部屋に閉じ込められて、仰る通りで真意は突いてるがどこかパワハラチックな言葉を浴びせられる日々に、どんどんと洗脳されていきました。二週間の間に4回は泣いたと思います。


そして20時過ぎに退勤し、家に帰っても教頭の恐怖が頭から離れず流れ図を作ったり授業のイメトレをしたり睡眠時間も4時間程度でした。


また怒られる…

私が甘いんだ…


迎えた査定授業では、まあまあの出来。そりゃそうです。狭い部屋でそこから出る為に一生懸命頑張ったのですから。教頭のキツい言葉をかわすために、教頭の実践通りにことを運んだのですから。


達成感はゼロでした。
しかし先生方からはすごくすごく褒められたことを覚えています。


実習最終日。1日1時間ほどと給食時間と昼休みしか関わりが無かった子どもたちからの寄せ書きを貰いました。


「算数の授業が分かりやすかったです」
「授業が楽しかったです」

そりゃ、学校生活の中で思い出なんて無いよね…


これが私の教育実習でした。


教育実習の姿を評価していただき、採用されたら是非我が校にとお墨付きをいただきました。
「ありがとうございます。」と、笑顔で大人の対応をしました。
心の中では違うエリアに希望出しているからよっぽどのことがないともう二度と会わない訳だし、嘘も方便だと思っていました。その後実習先から採用試験の合否を問う電話もかかって来ましたが、無視しました。
(その後ショートメールで「恩を忘れてはいけません」と教頭からお叱りが来ましたが…)
そして、派遣される学校が発表される日を迎えたのです。



つづく

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