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5分で人物史 | 《第2話》エリザベス女王の曽祖母 - アレクサンドラ・オブ・デンマーク
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その美貌でヨーロッパ中から結婚の申し込みが絶えなかったデンマーク王女アレクサンドラ。
そんな彼女は、18歳の時イギリス王太子エドワード(後のエドワード7世)と結婚しました。
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彼女が船でイギリスに到着したのが1863年3月。
およそ160年前のロイヤルウェディングとはどんなものだったのかをまとめてみました。
全4話の2話目です。
(第1話はこちら↓)
◆イギリス到着
1863年3月7日に、アリックスことアレクサンドラ王女はイギリスに降り立ちました。
そこから3日後、ウィンザー城の聖ジョージ教会でバーティことエドワードと結婚式を挙げます。
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この挙式会場はロンドンから35kmほども離れていた為、若い2人の晴れ姿を見届けたかった民衆やマスコミからは非難轟々でした。
何しろアレクサンドラがイギリスに到着した時は、80,000人もの人がその姿を一目見ようと集まって来たと言うのです。
世界一美しいと謳われた若きプリンセスを迎えるイギリスは、熱烈歓迎ムードでした。
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(イギリスに上陸したアレクサンドラ)
◆ウィンザー城へ
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(アレクサンドラが辿った道のり)
イギリスのグレーブセンドで群衆に大歓迎を受けたアレクサンドラは、王室列車で西に37km程離れたロンドンへ向かいます。
ロンドンでは馬車に乗り換えてパディントン駅へ向かい、そこから再び列車に乗ってヴィクトリア女王が待つウィンザー城へと旅を続けました。
一行はスロウで列車を降り、再び馬車に乗り込みます。
当日は悪天候だった為閉め切った馬車での移動を余儀なくされ、デンマークから来た姫君を一目見ようと沿道に駆けつけた人々はがっかりしたそうです。
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午後6時半、ウィンザー城に到着。
女王陛下はアレクサンドラが来るのを首を長くして待っていました。
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◆結婚式前日〜挙式
1日の中休みを挟んで、3月9日も祝祭が続きます。
多くのゲストが、2人の結婚のお祝いに訪れました。
この時、ロンドン市長からは希少価値が高いゴルコンダダイヤモンドで作られたネックレスとイヤリング(queen Alexandra’s collet necklace )が贈られました。
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ちょっと余談ですが、アレクサンドラは結婚後、このネックレスをベルベットの紐の上に巻いてチョーカーの様にアレンジして使っていました。
アレクサンドラは非常に美的センスに優れており宮中においてファッションアイコン的な存在であった為、このチョーカースタイルも瞬く間に宮廷女性の間で流行するのでした。
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(1881年5月、36歳のアレクサンドラ)
話は戻って、様々なゲストから祝福を受けた後ふたりはホームパークを馬車で走り、イートン校の学生達に見送られました。
夜はホームパークで花火が打ち上げられる中、城では晩餐会が開かれていました。
↓イートン生に歓迎を受ける様子。中央よりやや右寄りに、馬車に乗ったアレクサンドラがいます
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('Eton School & "The Boys Arch",
ⓒNational Portlait Gallery, NPG D33993)
㇄新郎新婦の衣裳
高まるお祝いムードの中、結婚式の日がやって来ました。
新婦アレクサンドラは、ロンドンで織られたシルクのドレスにイングランド製のホニトンレース、純潔を表すオレンジの花や銀梅花をあしらって。
レースにはイングランド・アイルランド・スコットランドを象徴する草花が刺繍されていました。
これはヴィクトリア女王がこだわった「イギリス愛」を象徴するスタイルでした。
新郎エドワードは、ガーターローブの下に英国将軍の正装の制服を着ていました。
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㇄挙式
まず朝10時半頃から、会場である聖ジョージ礼拝堂にゲストが集まり始めました。
11時半までには、法律関係者、聖職者、外交団が席につきました。
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(聖ジョージ礼拝堂)
全てのゲストが着席したのと同じ頃、ウィンザー城からは馬車でのパレードがスタートしました。
まずは王室からのゲストと花嫁の家族、そしてイギリスの王室ファミリー、花婿とその付添人と続きます。
ヴィクトリア女王は、個人的に礼拝堂に向かい、パレードには参加しませんでした。
正午近く、女王は護衛と共に礼拝堂に到着し、祭壇の左側を見下ろす部屋(↓画像参照)に入りました。
黒いシルクのドレスに身を包み、頭には未亡人の帽子をかぶっていました。
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(アレクサンドラとエドワードの結婚式)
…女王の違和感がすごいですね。
自分の後継者である息子の結婚式だというのに、服はシンプルな黒のドレス、しかも人目を憚るようにこっそり礼拝堂に入り、別室に席を設けています。
実は、女王はこの時1861年12月に亡くなった夫アルバートを悼んでいたのです。
アレクサンドラとエドワードの結婚式は1863年3月の事でしたから、もう1年以上前の話なのですが…
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(未亡人の帽子をかぶるヴィクトリア女王)
何しろヴィクトリア女王は、政略結婚が当たり前な当時の王室には珍しい恋愛結婚。
しかも女王の方が身分が高かった為、自ら逆プロポーズして結婚したのです。
(当時身分の低いものから求婚することは不可能でした)
そこまで深く愛した夫がわずか42歳で亡くなった訳で、なかなかすぐに立ち直ることは難しかったのでしょう。
(と言うか、この後何十年も喪服で過ごしました)
彼女は夫の死後、宮廷の人間や子供達にも喪に服すよう命じました。女王の政治干渉を好まなかったイギリス議会もこれを了承していました。
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(亡き父アルバートの胸像とアルバートの娘達)
そんな訳で、この結婚式でゲストの女性が着用できたのは灰色、薄紫色、藤色の服に限定されていたそうです。
ちなみに、この時ヴィクトリア女王と新郎新婦で撮影した写真がこれです。
↓
↓
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( © National Portrait Gallery NPG x36269)
女王陛下、全身真っ黒なのに加えて、カメラ無視で亡き夫アルバートの胸像を見つめています。
アレクサンドラとエドワードはイギリス王室初のウェディングフォトを残したカップルですが、何というか、なかなか衝撃的な写真です。
そんな感じで、一部お通夜ムードなのがやや気になりますが、結婚式そのものはつつがなく行われました。
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まずは新郎が義兄(姉の夫)と父方の叔父を、新婦が自分の父及びケンブリッジ公を付添人として入場します。
新郎新婦が順番に女王に挨拶をし、聖歌隊が歌を歌います。
カンタベリ大主教の下夫婦の誓いを立て、聖書の朗読、お祈りを行いました。
女王は一連の儀式が終わると、再び静かに会場を後にしました。
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㇄宴の後
その後王室メンバー向けにウィンザー城のステートダイニングルーム、外交団や著名人向けに聖ジョージホールで祝宴が催されました。
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(聖ジョージホールの宴会場 )
午後4時、新郎新婦は馬車でパディントン駅に向かい、そこから列車に乗ってワイト島のオズボーンハウスへの新婚旅行へと出発しました。
◇
次回は、晴れてイギリス王太子妃になったアレクサンドラの生活を追っていきます。
プレイボーイで有名なエドワードの浮気癖は直ったのか?子供は? など。
その人柄にも迫ります。彼女の意外な欠点とは?
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(1863年のアレクサンドラとエドワード)
↓続きはこちら↓
参考
Royal central
Wikipedia: 日本語、英語
Unofficial Royalty