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指原莉乃さんについて(前編)

10年以上好きなアイドルについて
・なぜ好きかを知ってもらいたい
・いかにすごい女性かを伝えたい
の2点の理由から書くことにした。

①推し歴
②尊敬する点
③もっとある好きなところ(ファンにしか伝わらない)

①を書いたら長くなりすぎたので、2012年の文春砲以降は次回。



①推し歴

●2000年前後 幼少期
モー娘。が好きだったけど、周りのブームが過ぎ去るのとともに気持ちも落ち着いていく。


●2008年度 13歳(指原さん16歳)
・最初にAKBを認識したのはSo-netの篠田麻里子様のCM

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なんて可愛い人なんだ!と思い深夜地上波冠番組『AKBINGO』を観始める

・そこに現れたのが指原莉乃さん

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(いい画像がなかったけどこの写真よりもっと前。顔は全然可愛いと思わなかった。)

・研究生からチームBの正規メンバーに上がりたてほやほや
自虐したり周囲を笑わせたりしているしている姿に人として興味を持った。

(ちなみにA, K, Bの3つのチームはそれぞれ1期生, 2期生, 3期生が中心メンバー。
A>K>Bの順に優劣があると認識しているファンが多かった。)

・それから動画サイトを漁って(違法)彼女のことをどんどん知るにつれて好きの気持ちが募っていった。

・『大声ダイヤモンド』で初選抜(右上)

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・上京してAKBに所属していた指原さんを含む5名「地方組」は、当時同じマンションに住んで苦楽を共に過ごしていた。


●2009年 14歳 指原さん17歳

・まだ中学生なのでお金は全然使えなかったけど、定期券内のお茶の水から歩いて秋葉原に行って、劇場を見たりCDや生写真を買ったりしてた。

・『10年桜』『涙サプライズ!』でも選抜

・チームB時代のユニット曲『鏡の中野ジャンヌ・ダルク』は歌詞も衣装もかっこよくて好き。たなみんとはーちゃんというお姉さん2人がいい味を出している。

・第1回選抜総選挙で27位。
アンダーガールズ(選抜落ち)
『飛べないアゲハチョウ』(『言い訳Maybe』の裏)と『君のことが好きだから』(『RIVER』の裏)に参加。

・地上波冠番組『週刊AKB』の企画でバンジージャンプに挑戦するも、一人だけ飛べなくてスタッフから干され始める。

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・当時特に好きだったコンテンツは『AKB48の全力で聞かなきゃダメじゃん!!』(略:全じゃん)
2008年末から2010年半ばまでパーソナリティーを務めたネットラジオ番組。
きたりえ、みゃお、もえのとのコンビネーションが最高だった。内輪ウケでしかないトークが最高に好きだった。

中学入学祝いとして叔母に買ってもらったウォークマンに入れて通学時に聴いてた。

・同じくネット番組『AKB48ネ申テレビ シーズン2』(略:ネ申(ネモウス))(MC:有吉弘行)で9月に富士山登山を実行。
体力なくてヘロヘロなのに、Yahoo知恵袋で得た登山知識を披露し続けているのが個性的で面白いなと思った。


●2010年 15歳 指原さん18歳

・中学校には女性アイドルを好きな子が多くなかった。
けど、部活もタイプも違うから接点がほとんど無かった子がSKE48の松井玲奈ちゃん推しだと知って話すようになった。

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体育祭の練習をサボって秋葉原に行ったのがとても大切な思い出。
当時は妹グループのSKEを敵対視するAKBファンも多かったけど、そんなのどこ吹く風だった。

・AKBメンバーみんなが所属している事務所から、太田プロダクションに移籍。

・Amebaブログ『指原莉乃クオリティー』を始める。
このブログがほんっとうに面白かった。
ネタの見つけ方、間のとり方、文章表現力がピカイチ。指原さんのことをもっともっと好きになった。
プロデューサーの秋元康にもすごく気に入ってもらえてた。(今も)

・第1回選抜総選挙で19位、選抜入り。『ヘビーローテーション』

・次のシングル『Beginner』から選抜に固定する。
Beginnerの選抜入りは選挙でのファンの評価が運営に認められた気がして、1度干された経験があるからこそめちゃくちゃ嬉しかった。
すべての音楽番組を録画して左端を凝視する冬だった。(ダンスポジションが最後列左端だった)

・ヤンマガで4コマ漫画化されて連載が始まる

・チームAへ異動!(あのあっちゃんやたかみなと一緒)
ユニットがもらえたのが何より嬉しかった。

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あきちゃとの『炎上路線』
ピンクの衣装がめちゃ可愛い!

・『週刊AKB』でブログ1日100回更新企画。
さっしーが気ままに書いてるから面白いのに!無理やりなんて可哀相!と思ってた。
ブログは相変わらず面白かったけど、企画自体は寒くてつまらないと思ってた。

・AKBは年末にカレンダーを出すんだけど、指原さんがそのメンバーに入ってたからどうしても欲しくて親に頼んで買ってもらった。
そしたらスペシャルバージョンみたいなのを選んでくれて、クリアファイルとかがたくさんついてきた。
カレンダーとクリアファイルは今でも実家の私の部屋に貼ってある。


●2011年 16歳 指原さん19歳

・高校入学。
アイドル好きな友達は欲しいけど、推しが指原さんであることがバレたくなくて、鈴木愛理さん(℃-ute、Buono!)のトレカをパスケースに入れていた。
席近い子がハロ好きで仲良くなれた。
普通に指原さんの話もしちゃうから夏前の体育祭くらいには周囲にバレてたはず。

・学年にアイドル好きな子はそんなに多くなかった。
むしろアイドル的な存在を欲して高1で1人、高2でもう1人の女の子(クラス違う)に声をかけて友達になってもらった。ヲタク精神あっぱれ。

・『さしこのくせに』という指原さんの冠番組(司会:土田晃之)が始まる。
あるドッキリ回で指原さんの私物鞄が映されるシーンがあった。
元「地方組」で大の仲良しの北原里英さんとおそろいの鞄。
そこになんと私がプレゼントした大きな飾りのついたヘアゴムが付いていたのだ!

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これよりももっと大きくて色も特徴的な臙脂色だった。

現存するか定かでないが、AKB劇場にはプレゼントを預けられる場所があった。
当時ファッションにあまり興味がなくダサかった指原さんに可愛くなってもらいたくて、アクセサリー等を贈ったのだった。

もしかしたら別人の?とも思ったが、そう被る品でもないし、サイズ感も私が買ったものと同じだった。
家で観てびっくりして、学校で叫びながら友人に見せて廊下を駆け回った。
ファンのプレゼントはちゃんと届いている、しかもそれを使ってくれるなんて、すっごく良いアイドルだ!ずっと推していてよかった!!!とめちゃくちゃ嬉しかった。

・ゆうこ、きたりえ、ゆいはんと太田プロ4人で「Not yet」としてユニットデビュー。
『ひらひら』が名曲なので聴いてほしい。
震災の影響で中学の卒業式ができなかったからより響いた。

・第3回選抜総選挙で9位。『フライングゲット』

・『笑っていいとも!』のレギュラーになる。

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最終回の2014年3月31日まで出演。
そこまで目立つわけでもないが、周りの人を立てつつ、自虐での笑いをとる上手な振る舞いだった。
過小評価されているような気がしたが、他の得意な番組では相変わらず才能豊かな姿を見ることができたので心配ではなかった。


疲れたので2012年以降は次回。
いよいよ文春砲を打たれます。

トップの写真は昨年聖地巡礼をした際に訪れた大分県立美術館。

紙管を使った建築で被災地支援を行うことでも有名な坂茂氏の作品


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