私のお母さんはきっと関わり方がわからなかった
私の母は友達が多くはないように見える。
同級生、ママ友、もちろん知っているけれど
無駄な付き合いはせず多くはない友達とごく稀に会ってはお茶をするだけのイメージがある。
そんな母の子である私も友達が多くはない。
知り合いは多いけど友達は少ない。
よそでニコニコ笑って誰とでも話すのだけれど、
本音で付き合うような友人は数少ない。
まるで、母親のようだと思った。
私と母は、どこか似ている。
母は誰から愛を教わった?
昔ながらというか、ひどい昭和的思考を持つ父親のいる家庭で育った母は、
【女だから】というだけでぞんざいに扱われて育ったようだった。
どこまで酷く扱われたのかはわからない。聞けない。
でも少なくとも幼少期の母が傷ついていたことは確かで
たっぷりと愛情を感じる事があったのかは定かでは無い。
親に言葉を教えてもらわなければ、
親に礼儀や作法を教えてもらわなければ
子供はそれをどこで知ればいいのだろうか。
愛を感じずに育った子供は?
幼少期の母との思い出はほとんどない。
優しい母だったという思い出もほとんどなく
どちらかといえばクールな印象だった。
きっと母は、子供との関わり方や人とのうまい関わり方がわからなかったのではないか。
大人になるにつれて一人の女性同士として関わる事ができるようになって
そんなことを思うようになってきた。
不器用な性格の母に育てられた、私もまた不器用で
なんだか母の気持ちがわかる気がするのです。
誰だって聖母マリアなんかじゃありません。
自分の子供だからって愛せない人もいるでしょう。愛の大きさや表現の方法は人それぞれでしょう。
母はこの愛情表現がひどく苦手で、例えば自分の心にある愛情にも気づきづらい不感症だったのではとすら思います。
私もそうだからこそ共感できた母の気持ち
寂しくて愛されていないと感じていた幼少期。
母がしてくれたことや思いについて考えると、
愛されなかったなんてことは絶対にないと大人になって気がつくのです。
いつだって母は私のためにしてくれていた。
ただ少し不器用だっただけで、伝え方がわからなくて。
数年前に地元を出てからというものの
何にも興味がないと思っていた母も、娘が元気にしているかは気になるし不自由していないかが心配でしたかない。いつだって地元に帰ってきて欲しいし、
娘がいない生活も自由で楽しいけれど少し寂しい。
そんな母の気持ちが伝わってくる。
子供との関わり方がわからなかった母は、子供にするような接し方がうまくなくて冷たい母親のようだった。だけど私たちのことを見捨てず、大きく道を逸らすこともなく育て上げた母の心には確かに愛情があったはずだ。
まだ子供のいない私にはわからないけれど、愛の大きさや伝え方は違えど
ほとんどの母親には愛が備わっていると思う。
寂しくてひどく泣いた夜もあったけれど
母の気持ちを汲み取れるくらいには大人になった私は
これからわかりやすいくらいの愛を返していこうと思う。
いつもありがとう、ママ。
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