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戦争を体験した祖母の話を大事にしたかった話

祖父はもう早くに亡くし、母方の祖母は私が中学生の頃に亡くなっている。
80歳は超えていなかったと思う。

小学生の頃に”戦争の話を聞いてみよう”
というような題材の宿題があった。
近所に住む祖母に話を聞きに行った覚えがある。

戦時中、小学校3年生だった祖母は
「近所に川があるでしょう。あそこを通って隠れながら逃げたんだよ」
というようなことを言っていたのを覚えている。
近所にはとても浅い川が流れていた。きっと今とは様子も違うのだろうけど、
木や物陰に隠れながら安全な場所に避難したという。

祖父か祖母の兄弟かまたその親の兄弟かは忘れたけど、
疎開した先の家族同士で結婚をしたらしい。またその交換とでも言おうか、
祖父と祖母はそんな結婚だった気がする。

他にも色んな話をしてくれたが、小学生だった私は宿題が終わればいいというだけで特に戦争の話に興味もなく、自分から聞いておきながらこの話聞いたことある・・・と思いながら飽き飽きして聞いていたのは覚えている。

きっと祖父母は辛く怖い体験をしていたと思う。
話す時はいつも辛そうな顔だったのも覚えている。
なのに私は覚えていない。安易に話を聞いてしまっていた。
それって、ひどく失礼なことではないだろうか。

これは自分の辛い話をするのを躊躇してしまった時にふと気づけたことで
私はたったこれだけで思い出す事が辛くなるのに
生死が関わる事象をあれだけ話してくれて、辛いことも思い出させてしまっていて
覚えていないと言うのは祖母に対して大変失礼だ。


父方の祖母はまだ健在だが、昔一度だけ戦争の話を聞いた事がある。
祖母は当時中学生か高校生だったはずだが、笑って誤魔化すだけで何も話してはくれなかった。
あまり口数は多くない祖母だが、おじいちゃんは戦争で使う弾を作っていたよ、と言うことだけであとは何も教えてくれなかった。

戦争を体験した人はもちろんどんどん亡くなっていく。
きっと今の時代の学校では、戦争を体験した人の話を聞いてみようなんて宿題、ないというか、できないのではないだろうか。
辛い体験も乗り越えて生きてきた祖母の話を聞けたことは、
間違いなく大変貴重なものではないだろうか。

大人になるにつれて、先人の話が大事であることも
自分が経験したことのない経験をした人の話がいかに面白く勉強になるか、
ただで聞かせてくれるそんな話がいかに貴重かと言うこともわかってきた。
子供の頃の私はそんなこと分からなくて蔑ろにしていた気がする。
様々な経験を惜しみなく私たちに伝えてくれて、
そんな経験も乗り越えて祖父母たちが生きてくれたおかげで現代の私たちがここにいる。
覚えていることも少ないが、この記事を書いていて思い出したこともある。
この話は将来自分の子供ができたときや、姪や甥に伝えてあげよう。
教科書では教えてくれないリアルな話はきっと特別なものがある。

ばーば、たくさんお話聞かせてくれてありがとう。


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