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心臓の音と波の音

佐藤由美子は冷蔵庫の音を聞いていた。


時計をふと見ると、


時間は深夜1時を回ったあたり。


時計のカチッカチッという音が聞こえてくる。


椅子の感触が心無しか硬い。


けっこう高い椅子なのだが。。。


苦笑しつつ、胃がキリキリと痛い。


肩も凝っている。


「あーマッサージに行きたい」


由美子は「はー」とため息をつく。


「なんでこんなことになっちゃったんだろう、、、」


「考えても仕方がない。明日も早い。早く寝よう。」


長男の大輔が書いた絵やトロフィーが目に入る。


友達と一緒に満面の笑顔を浮かべる写真も目に入る。


秩父の山に行った時に獲った魚を手に輝くように微笑んでいる。


佐藤由美子は都内の公立中学校の英語の教師だ。


首都圏の私立大学を卒業した後に教師になり、


総合商社に勤める佐藤智則と結婚し、


子供は中3の大輔と小5の真美の2人がいる。


大輔は成績優秀でスポーツも出来るのだが、


なぜか学校に行かなくなってしまった。


理由を聞いても「わからない」の一点張り。


深夜でもオンラインゲームをしていて、


今もゲームをしている声が聞こえてくる。


「クソー」


「ギャハハ」


「ズリーぞ」


楽しそうな声を聞くと逆に由美子はイライラしてくる。


が、「考えても仕方がない。もう寝よう」


あと5時間もしたら、


由美子は朝早く起きて朝食を作り、


職場に車で30分かけて行かなければならないのだ。


実際、考えても悩んでいるだけでほぼ内容は堂々巡りなのだ。


しかし、寝ようとしても寝られない。


旦那である智則(とものり)はブラジルに海外出張中だ。


こんな時、「男はいいよなー」と思う。


智則は慶応の経済学部を卒業後に財閥系総合商社に就職し、


入社以来資源系の部署にいる。


仕事柄海外出張が多く、


接待も多いのでほぼ家にいない。


大手総合商社や大手広告代理店などの文系のエリートが行くような会社は、


非常に激務であり、


人との関係性を重んじる日本では接待も多く、


会社の半分がアル中だと産業医が怒っているほどだ。


しかし、自信満々で楽天的な社員が多く、


社員も医者の言葉を聞いて大笑いしている有り様らしい。


由美子も智則も美男美女で明るい性格であり、


学歴、職業を見ても周りからしたら勝ち組である。


しかし、智則は激務に神経をすり減らしているのか、


家では常に不機嫌だし、


由美子も教師という仕事柄、


非常にストレスが多く、


全てを投げ出したくなるような毎日である。


由美子はつくづく思う。


学校にはなぜか無意味な事務作業や会議が多く、


先生どうしのコミュニケーションも非常に気をつかうものである。


先生どうしの序列もあり、


なかなかの曲者もいるのだ。


もちろん良い人もいるのだが。


そして、生徒もいろいろな家庭の子がいて、


とうてい一人一人には気が回らない。


それはそうだろう。


英語の授業を午前午後と様々なクラスで行い、


放課後は部活と膨大な事務作業があり、


さらには、教師にも様々な家庭の事情があるのだ。


家事に介護に子育てに、


そして我が子の不登校。。。


由美子にしても智則にしても、


「何かが間違っているかもしれない」と思う時もあるが、


走り続けないといけないし、


走り続ける以外の生き方の選択肢を知らない。


マグロは止まると死ぬというが、


由美子も智則もマグロみたいなものである。


ただ、長男の大輔はどうやらマグロとは違うらしい、、、


腹立たしい、、、


良くも悪くも、大輔は止まっても死なないらしいのである。


が、その代わりに由美子が死にそうだ。


自分はこれだけ頑張って走っているのに死にそうだ。


いったいどういうことだ、、、


腹立たしくも情けない、、、


情けなく腹立たしいと言うべきか、、、


ダメだ、もう3時だ。


おかげでここのところすっかり寝不足である。


「今度やはり医者に行こう」


由美子は思わず苦笑する。


自分は睡眠不足で医者に行くし、


夫は仕事とはいえ飲みすぎで病院に行ったほうがよい。


子供はゲーム依存で病院に行ったほうがよい。


が、問題の大輔は病院やカウンセリングには行かないのである。


「俺は病気じゃない」


「俺は医者と話すことはない」


「そもそもお父さんも仕事で海外行っていて昼夜逆転じゃないか」


絶望しつつもこの子はふと面白いことを言うなと感心した。


そして、夫も医者には行かない。


「上司や顧客が飲んでいるのに自分が飲まないわけにはいかないだろ」


「接待は戦場なんだ。全てをさらけ出さないと勝てない戦場なんだ」


我が夫ながら、いっそ戦場で戦士してしまえば良いという気もしてくる、、、


由美子は思うのである。


高学歴のエリートならば接待無しで成果を出す方法とかを考えたほうが生産的だろう、、、


夫はいったい慶応の経済学部で何を学んだのか、、、


やっていることは全く経済的というか効率的ではない、、、


とはいえ、学校や会社のブランドというのはやはり魅力があり、


さらに複雑な気分になる。


由美子にしても矛盾だらけだ。


世界中のどんな人ともコミュニケーションを取りたいと思って英語の勉強したのだが、


皮肉なことに肝心の我が子とのコミュニケーションが成り立たない。。。


全く理解不能である。


ヤバい4時である。


ますます絶望的な気分になる。


そんな中、由美子は仕事をギリギリこなせる絶妙なレベルの浅い眠りにつくことが出来た。


「ふー」由美子はため息をついた。


なんとか今日も乗り切った。


こんな感じの日々を何ヶ月ほど過ごした。


そんな時に珍しく家でのんびりしていた夫の智則が、


ひょんなことを言い出した。


「俺の知り合いが不登校関係の仕事をしているので来週末に家に来ることになった。


由美子も同席してほしい。」


なんでも、その知り合いとやらは夫の友人の後輩でハヤト君というらしく、


この前3人で飲んだそうだ。


えー掃除しなきゃならないじゃないの、とも思ったが、


まーいいかとも思った。

そして、週末ハヤト君という人物はやってきた。


ハヤト君(さん)は高校を中退した後に大検を取って、


早稲田の法学部を出て、


コンサルティング会社で何年かやった後に、


今は不登校の訪問支援をしているそうだ。


ハヤトは玄関を上がるなり話しだした。


「いやー、良い家ですねー。駅からも近いですし。」


「旦那さんも奥様も美男美女でうらやましいですな。」


「(壁の写真を見ながら)いやー大輔くんも真美ちゃんもイケメン、美少女ですねー」


思いのほか軽い、感情がこもらない人だな、、、と由美子は苦笑をする。


が、直後にいきなりとんでもないことを言い出す。


「これならお子さんが不登校でもいいじゃないですかー」


由美子は思った。


「いやいや、いいわけないだろ。。。」


夫にしろハヤトにしろ、いったい大学や会社で何を学んだんだ??


ソファーに座りひとしきり雑談した後、


夫が経緯を説明した。


夫の説明はわかりやすく、


やはり頭は悪くはないのかもしれないと少し見直した。


その間、ハヤトはアイスコーヒーをガブガブ飲み、


ケーキを4口くらいでたいらげた。


ハヤトには遠慮というものがないようだ。


元対人恐怖症だったらしいが信じ難い。


そして、緊張感とかやる気というものを感じない。


良く言えば自然体、


悪く言えば間が抜けている感じだ。


剣術の達人やヤクザの親分はいつも自然体らしいが、


ハヤトはそこまでの域までは行っていないような気がする。


が、かといってド素人でもないようにも感じる。


そしてとりあえず一応、話は聞いているようだ。


ハヤトは聞いてきた。


「佐藤さん、不登校の定義て何だと思いますか??」


由美子は答えた。


「学校に年間30日間以上行かないことではないですか??


病気や怪我などの事情がなくにも関わらず。」


ハヤトは言った。


「すいません、定義ではなく不登校の本質ですかね」


ハヤトは言った。


「不登校の本質の一つは親子でまともな話し合いが出来ないことです。」


「まともなコミュニケーションがなされれば道は開けます。」


「しかし、多くの家庭ではそれが出来ないのです。」


「実は、子供も自分の人生を捨てているわけではありません。」


「意外に自分の人生を捨てている子はほとんどいません。というかめったにいません。」


由美子は言った。


「コミュニケーションはしっかりと取れていると思いますけど」


ハヤトは言った。


「もちろんそうだと思います。」


「でも、お子さんが何を考えているのかわからなく無いですか??」


「お子さんを共感、肯定できれば、状況は改善するわけです。」


「でも、まともな親としてはお子さんに今スグに動いてほしいし、苦しくて仕方ないし、


実際、奥様はとても共感するとかの状況ではないはずです」


智則が口をはさんできた。


「じゃ、どうしたらいいんですか??」


ハヤトは言った。


「まずはお子さんとの会話を紙に書き出すと良いと思いますよ」


由美子と智則はイラッとしつつ口を揃えて言った。


「会話は全くありません」


由美子は珍しく夫婦で一致したなと少しおかしくなった。


ハヤトは言った。


「まー会話が0では無いと思いますのでよろしければ書いてみてください」


「また、価値観を柔軟にすることが大事です。」


「コミュニケーションが成り立たないのはお互いの価値観が違うからです」


「お子さんもゲーム仲間とは会話が弾んでいるわけですからね」


「親子というのはキリスト教徒とイスラム教徒くらいに価値観が違います。」


「歴史問題を論ずる日本人と韓国人と似たような感じで価値観が違います。」


「パレスチナのパレスチナ人とユダヤ人くらいに違うわけですよ。」


たとえ話が下手だとは生徒によく言われますが、、、伝わりますかね、、、」


由美子はつぶやくように言った。


「えー、なんとなくわかるような気がします。」


「もちろん子供の価値観に合わせる必要はないのですが、理解はする必要があります」


「別に自分の宗教を変える必要はないですが相手の理解はしたほうが良いということですね」


「理解した上で否定する分には問題ないわけですよ」


「日本に来たイギリス人が納豆を食べたり、下手な日本語をしゃべると嬉しいじゃないですか。


なので、一緒にゲームをしたりユーチューブを見たりすると良いと思います。」


ハヤトが言った後に、


智則は深々とソファーに腰掛けながら言った。


「価値観を柔軟にして大輔とまともなコミュニケーションができるようになるにはどうしたらいいんですか??」

「手前味噌で誠に申し訳ないですが、


私の音声教材を聞いて宿題をやってください。」


ハヤトはあまり申しなくなさそうに言った。


この男は今までの人生できっと申し訳ないと思ったことはほとんど無いだろう。


由美子も智則も苦笑した。


「やることがたくさんだな、、、他にやると良いことは??」


ハヤトは言った。


「マインドフルネスをやると良いですよ」


智則は言った。


「大学の同期が外資系のトレーダーだがマインドフルネスは流行っているそうだな」


ハヤトは言った。


「そうですね。瞑想は科学的に効果が検証されていて、アメリカでは大人気ですね。」


「マインドフルネスはブルース・リーのように”考えるな、感じろ”というものでアメリカはそういう時代になりつつあるようです」


「メンタルコンディションの向上や不眠の改善、集中力や記憶力の向上に効果があります。」


「なので、適当にアプリをダウンロードしてやってみてください。」


由美子は何よりも「不眠の改善」という言葉に反応した。


早速その場で、


由美子は不眠の専門病院が作ったというマインドフルネスアプリをダウンロードした。


智則は海外のマインドフルネスアプリをダウンロードした。


海外のマインドフルネスアプリは日本だとメルカリくらいの規模になりつつある、


という記事を新聞で読んだので気になっていたのだ。


ハヤトはその後、マインドフルネスのコツとやらを得意げにしゃべったが、


座る時に座布団で段差を作ることと、


息を吸うよりも息を吐くということに意識を集中すると良い、


という他愛のないものだった。


「では、また2週間後に」と言ってハヤトは帰っていった。

由美子はマインドフルネスに意外にすんなりと慣れた。


由美子はマインドフルネスの中で、


心臓を感じる瞑想というのが気に入っている。


しばらく呼吸に集中した後に、


心臓に手を当てて心臓の音を聞くというものだ。


最初はなかなか心臓の鼓動が見つからなかったのだが、


「まさか心臓が止まっているわけではないし」と思い直し、


根気強く取り組むと心臓の音が聞こえてきた。


ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、、、


由美子は涙が出てきた。


自分のことをかえりみずに今まで頑張ってきた。。。


心臓の鼓動になんとも言えない優しさを感じたものである。


呼吸や心臓の鼓動に集中していると、


昔、家族4人で海の近くの旅館に泊まった時のことを思い出した。


夜、波の音がかすかに、


しかししっかりと聞こえてくる。


寄せては返し、


寄せては返し、


とても安らぎを感じた。


しばらく目を閉じていて開けると、


世界が輝いて見えた。


由美子が最近気に入っている本に「スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック」という本がある。


脳外科医が科学的に解説しているので安心できるのだ。


その中にこんな話が出てくる。


ウィスコンシン大学のリチャード・デビッドソンが「共感」について研究していた時、


脳に機械をつけて計測していたのだが、


それを見てチベットの高僧は笑い出したそうだ。


「共感は脳ではなく心臓でしているんですよ」


そして、スタンフォードの脳外科医いわくそれにはどうやら科学的に裏付けがあるらしい。

大輔も昔は私に抱かれて私の心臓の音を聞いていたんだなー。


涙がじんわりと出てきた。

また、アメリカではマインドフルスクールという活動が注目されているそうだ。


そこにはこんなことが書かれていた。


https://greenz.jp/2017/06/30/mindful_schools/


>突然ですが、あなたにとって学校とは、安全で心がつながる場所でしたか?


>毎日の暮らしのなかで、強いストレスを抱えた子どもたち。


>暴力、いじめ、カンニング、テスト不安に不登校…と、それは感情障害という形で教室に現れます。


>生徒たちだけではなく、彼らと向き合う教師たちもまたバーンアウト(燃え尽き症候群)となって教壇に立つ意欲を失ってしまい、


>その結果アメリカでは教員職の高い離職率も問題となっています。


由美子はこれを読みながら涙が出てきた。


最近では泣いてばかりだ。


ハヤトにメールで質問したら、


「泣くのは浄化作用なのでとても良いことかもしれませんよ」


と軽く書かれていた。


思えば、あー、学校は安全で心がつながる場所じゃないかもなー、、、


教師をしていても生徒と心がつながっている気はしないなー、、、


私もいつの間にか普通の先生という役割をこなす機械になってしまっていたのだ、、、


そもそも生徒と心がつながるとか言っている時点で大丈夫か??と言われそうだな、、、


とはいえ、そんなことを言ってられない業務量なのだよワトソン君、、、


いつの間にか由美子は眠りについていた。


2週間はあっという間に来た。


ハヤトが日曜日の昼頃に家に来た。


心臓の瞑想について由美子が話すと、


ハヤトは言った。


「不登校の子供や親御さんは絶対的な安心感を感じることがとても重要です。


心理学では自己受容とか自己肯定感、安全基地とかセキュアベースと言われるものですね。」


由美子もネットで勉強しているのでそのことはなんとなく知っている。


なのでかすかにうなづいた。


「で、心臓はいつも動いてくれて我々を助けてくれています。


いつもどんな時も変わらずに我々を守ってくれているわけです。


我々は心臓のために何かをしてあげなくてもですね。


なかなか我々をジャッジせずに、我々のために見返りを求めずに働いてくれる存在ってないですが、


なんと一番身近にいたわけですね。」


「そして波の音も同じですね。」


「なので、我々は心臓の音や波の音に絶対的な安心感を感じるんですよ」

「まー心臓が止まったら我々は死にますから、


その時には我々はもう何も考えたり頑張ったりする必要は無いわけですがね 笑」


ハヤトと智則はなぜか大笑いであった。

由美子はうんざりして話を変えることにした。


マインドフルスクールというアメリカの活動について話した。


学校は、教師にとっても生徒にとっても安全で心がつながる場所ではないこと。


教室には暴力、いじめ、カンニング、テスト不安に不登校…とたくさん問題があること。


でも認めて改善する勇気はない誰にも無いこと。


教師たちもまた燃え尽き症候群となっていること。、


ハヤトはマインドフルスクールについて知らなかったようで興味深そうに聞いていた。


「そうでしたか。それは素晴らしい話ですね。


今回のお子さんの不登校から学べることを書き出してみてください」


「というのも、心理学には原因論と目的論があります。


原因論はAという悪いとラベルを貼られた事象があれば、


その原因を見つけ出して、それを取り除けば解決するという考え方です。


例えば、お子さんの不登校の原因が◯◯でそれを取り除くみたいな考え方ですね。


逆に目的論というのはAという悪いラベルを貼られた事象には目的があるという考え方です。


例えば、不登校でもうつ病でもそこに何かしらのメッセージが隠されているという考え方です。


何か悪いとされる事の中には意味がある、より良い人生のためのきっかけがあるという考え方ですね。


私は目的論のほうが好きなんですよ」


ハヤトはそう言い残して帰っていった。

それから2ヶ月が経った。


じめっとした湿気を感じる梅雨の頃、


雨の音が聞こえてくる。


そんなある日、大輔が寝起きのボサボサの頭をかきながら「塾に行く」と言ってきた。


学校にはまだ行く気にはならないが、大学には行くのだそうだ。


また、由美子はマインドフルネスを続けていて、


今ではちょっとした空き時間に瞑想で心身を休憩することが出来るようになり、


コンディションよく日々を過ごすことができるようになった。


先生も生徒も道端を歩いている人も誰もがいろいろなものを抱えて生きていることをしみじみと感じる。


楽しさや喜びや苦しみや悲しみを分かちあって生きているという実感がある。


そうなれたのは大輔のおかげかなと思う。


ありがとう大輔。


とはいえ、これからどうなることやら。



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