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土星期の母を、娘の視点で振り返る③親子二人三脚。家系の因縁とは。

これまでの記事は下記よりどうぞ。

土星期の母を、娘の視点で振り返る①
食堂育ちの母。幼少期から商売人として、お客さんと接してきたことと、遊び歩く父親に対する軽蔑。小学校で受けた酷い虐めなど、幼少期の様子を出生図で振り返る。
土星期の母を、娘の視点で振り返る②
人生で一番楽しかった時期は太陽期だった。スポーツなどの嗜好を出生図で読み解く。母子の絆(ソウルメイト)はノード軸にあらわれる。

※今までの記事の中では比較的重ためな話になるかと思います。ご留意ください。

私には、いくつか幼少期の記憶があります。
水疱瘡に罹った時、体中が熱くてかゆくて、掌にまで発疹ができた時。
静かな畳の部屋で、ぼんやりと木の板の天井を見上げていました。
そうしていると、父と母が食事を運んできます。その時は、チョコクリームコロネでした。
クリームがはみ出さないよう、コロネの中身の部分がチョコスプレーで覆われています。このカリカリ感が好きなのに、どうして中身はネットリのままなんだろう…と毎回嫌になります。全部食べないで残す私を見て、2人は心配していました。
0~7歳は月期、五感すべてからものごとを吸収する、感覚が大事な時期です。今は美味しいと思って食べれるものでも、当時は好き嫌いが激しかったりします。そういえば、靴下や靴を履くことも嫌だったような…。
素足で歩いた時のかたくて冷たい床の感覚。人工の芝生はチクチクする…とか。沢山裸足で歩いて、大地をしっかり踏みしめられる足へと成長していくのですね。

水疱瘡に罹った時の話に戻りますが、母が食堂の手伝いをした後、近場のパン屋さんで買ってきたのだと思います。結婚した後も、家業(食堂)の手伝いをしていました。
父の実家での暮らし…周りからは、専業主婦向いてる、良かったね、と言われたそうですが。
父に対しての不満が、日に日に大きくなりました。

例えば、掃除をして家具を少し動かすと、すぐ元の場所に戻されたとか。父はドライバーやペンとか、そういった小物を、色んな場所に張り付けておきたい癖があって、少しでも場所が違うと直されます。
先程の畳の部屋が母子の居場所でしたが、今思うと何もなかった。広い家なのに、母の居場所がなかったのです。相手の生活の一部に自分が組み込まれて、自由がなくて嫌で仕方がなかったと言っていました。
それに、話が通じなくてつまらない。あれこれ話しても「パオー」という返事しかなかったと言ってました。母からすれば、どうでもいい感じの返事としか思えないし、自分の気持ちは理解してもらえないし…。

母のチャート

母、何気に射手座もステリウム(火星・木星・金星)です。これを見た時、ああ…って思いました、射手座は束縛が嫌いなところがあって、我慢の限界がくると一人旅(一人で外出)をします。そういうことが度々、ありました。
父の会社の福利厚生で、家族は国内線乗り放題でした。幼い頃はよく旅行していましたが逃避行の旅で、そこに父親の姿はありません。母は、旅行で一瞬の解放感を得て、また現実に引き戻されて…を繰り返していました。私も太陽射手座ですから、旅行に関しては割と楽しんでいましたけど 笑

深刻な面では、キッチンドリンカーになり、タバコと酒で気を紛らわす日々でした。時にはヒステリックを起こして、物に当たったりすることも。月の蟹座が暴走したのだと思います。海王星魚座120度が、余計に助長してきます。
私からすると、どこに地雷があるのか分からなくて、ビクビクしていたように思います。

内円が父、外円が母の出生図。父の出生時間は分かりませんが、太陽と金星の度数はほぼ確定。

こうして、2人のダブルチャートを見ますと、父の蟹座・太陽と金星に、母の蟹座・月が合になっており、運命的な出会いだったようですが…。
よく、恋愛は火星と金星だけれど、結婚すると太陽と月になると聞きます。
火星・金星の頃よりも色んな責任が生じてきて、周りからの風当たりも強くなります。姑からのキツい態度。周囲の何気ない一言とか…。

ある時、父が浮気をしていることが発覚しました。
いつもの国内線旅行で、母が旅行している間に会っていたのだとか。
夜中、2人の夫婦喧嘩の声でで目が覚めて、リビングへ行きました。
「もう喧嘩は止めようよ」と止めに入りましたが、離婚は確実でした。

父の浮気については、母の祖父が大変怒って話をつけにきました。
祖父も過去に浮気したことがあります。祖母はあまりのショックで、ウイスキーボトル1本を飲み干した日から…、心と身体の限界が近づいていきました。そのせいかは分かりませんが、祖母はガンになって私が2歳のころに亡くなりました。亡くなるまで、私のことをとても可愛がっていました。お見舞いの桃なのに、全て私に食べさせてくれて…。

そういえば去年、父方の祖母が亡くなったことを記事にしました。変な話ですけれど、危篤になった一時期、白い割烹着のおばちゃんズが、私を励ましに降りてきた感じがあって。イメージで入ってくる感じ。もしかして、母方の祖母の取り巻き?
「私達、死んだ経験あるから。アハハハ~。そんな、心配しなくたって、大丈夫なんよ。魂が抜ける時は苦労するけどなあ。ま、何とかなる、まかしとき!」みたいなオカンっぷりで飲み会してる感じ。人が亡くなる前だというのに、なんてお気楽なんだ…。
魂が還る時って、人が誕生するのと同じくらい特別な瞬間なのかも、とその時思いました。

割烹着おばちゃんズに心温まったところで、深刻な話へ戻します 笑
当時、私は4歳。母は37歳。火星期への切り替わり地点・ノードリターン付近の離婚です。
母は元々、ノード軸に火星90度を持っています。この時期、パートナーシップの寸断が起こったというのも読めるかと思います。

こうやって書くと、あたかも父が諸悪の根源になってますが、喧嘩両成敗でしょうね。父からすれば、母は食堂の手伝いへ行ってしまうし、いつもお酒を飲んで、空気が悪くて。父だって、自分のことを理解してくれなくて寂しかったのではないか。
それと今だから言えますが、家系や土地の良くないものを引いてたと思います。母がお見合いした時、父の財産に目がくらんだところもありましたけど…財産を継ぐということは、その家の因果に絡まれるという一面もあったりするかと思います。主に8ハウス案件ですね。
美味しい上澄みだけ持っていけると思ったら大間違いなのです。代々祟りがあって…とか、あるのですよ。次の代へ供養の方法を引き継いだりしているうちに、その土地へ縛られるようになっていく。
祟りっていうのは色々あると思います。浮気された人の恨みつらみが家系にいったりすることもあります。様々な形を取って。
浮気は駄目、なんてことは分かっているし、子どもは何も悪くないのですが、ホロスコープを見ると……、そういう世の常識みたいなものから遠ざかって、因果が見えてくるもの。どうしようもない何か、運命みたいなものがあります。だから人は占い師の元へ訪れるのですね。

訳アリを引き抜いてしまう母のICリリス。

リリスって、やはり恨みなのでしょうか。
(この後の人生でも、母は色々と引き当ててしまう…)

離婚した後、一度実家に戻って、数か月後にマンションを購入して住みはじめました。仕事をしないと娘を育てられない、と思ってはじめたのが家政婦の仕事でした。家政婦の仕事を続けているうちに、福祉の仕事を進められたことが転機でした。デイサービスで働き始めます。
火星期は35~45歳、身を粉にして働いていました。

私が小学校5年生のころ、小学校の人間関係のストレスから小児喘息を発症しました。母、木星期45~55歳へ突入の前でした。学校に行きたくなくて咳すれば休めると思っているうちに、それは本当の病気になりました。母は仕事を休んで傍にいてくれました。

今、働くようになって、職場を休むということがどれだけ大変なことか…分かるようになりました。休み続ける母、同僚からの嫌味は1つや2つでは足りなかったと思います。悪口、言われてなんぼ。自分のことを擦れっ枯らしという母。
土星期、ビクともしません。

母と子、二人三脚。私は回復し、何とか小学校を卒業しました。本当に、必死でした。

この頃に飼い始めた犬や猫が、私の心の支えになってくれましたね。

続きます。

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