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土星期の母を、娘の視点で振り返る①父への軽蔑。

こんにちは。
先日は、ルナリターンの考察について書いたのですが、今月の29日にまた月が回帰してきます。

今回、ASCは双子座20度です。この度数、私の出生図のノード軸(サウスノード)が重なるんです。そして、支配星である水星は蟹座の23度。2ハウスに位置しています。サビアンシンボルを見ますと、蟹座23度は「文芸サークルの会合」なので、アウトプットに適した時期のようです。ちょうど、梅雨のシーズンで、家に籠ってやるといいかも。
現在はというと、日々占いサークルであれこれ書いているのですが、数日前に初めてサークル外の方を占って文章を送る機会がありました。
当たってるかな…と緊張しましたが、喜んでいただけて嬉しかったです。

この様な感じで、何か文章にして表現したり手渡したい。
この感覚がどこからやってくるかといいますと、月回帰時の2ハウス水星が出生図(ネイタル)の火星に合です。そして、5ハウスの水星・冥王星・ヴァーテックス(Vx)が駆り立てているという感じですね。
そして、私のサウスノードに関すること…といいますと、前世の出来事とかになってしまいそうですが、ひとまず現世・地球目線で私を産み育てた「両親」特に母のことについて振り返るのが良いかと思いました。

母は以前から自伝でも書こうかしら、と言っていました。私もホロスコープを見るようになって、娘視点で思うことが…。

母の人生(フォーク歌手みたい?)

私の母は、1960年生まれ。冥王星乙女座世代です。東京・浅草の食堂を営んでいた祖父と祖母の間に生まれます。
祖父は元公務員でしたが、婿養子となってからは祖母と一緒に食堂を経営しました。現在は店じまいしてしまったのですが、戦後、闇市が開かれている時の様子を母づてに聞いたことがあります。

浅草一帯は、爆撃を受けて焼け野原。戦後の闇市から、少しづつ復興していく中での暮らし。当時は家と外との境界線はあってないようなもので、人が歩いている足先数十センチのところに、ゴザ寝している人の頭があったくらいでした。
商売は繁盛したそうで、特に自慢だったのが「煮込み」です。食堂があった通りで、最初に煮込みをはじめたのは祖母だったそうです。商売人として先見の明があったのですね。


母が生まれた頃から、少しづつ…堅実だった祖父が、酒・賭け事をするようになりました。祖父は両親に厳しく躾けられたと聞いていて、浅草の色鮮やかな光景を見て、今まで蓋をしていたものが開いてしまったのでしょう。毎日朝帰りする姿を祖母はこう例えました。

「立てば麻雀、座ればパチンコ。歩く姿は馬券買い」

祖母は、そんな祖父をケアしつつ、母を育てるために毎日頑張って食堂を経営していました。もちろん、祖父だって遊びはしますが日中は働いています。
せっかくなので、食堂での光景について少しお話ししましょう。
(まだ、花やしきが入場料無料だった頃の話ですよ)

真夏の日、ショーウィンドーで冷え切っていないスイカをお客さんに出しました。ぬるいスイカで、お客さんからクレームがきても、文句があるなら食べるな、当時はそんな感じでした。勿論、今の時代ではあり得ないことですが……。
この時代、露天商を見ていましても、実に様々なお店があったようです。有名なのは金魚売りや納豆屋さん。独特の掛け声で、桶を担いでくるのですよね。
ガラスの板を売っているお店もあったとか。いつもガラス板を切っていて、何に使うのかよくわからないけど、当時はそれが"粋"な商売だったのです。

誰もやっていないことをする。そして、楽しんでもらう。

浅草の情景や風情を味わうという意味では、ぬるいスイカにも意味があって、まだそういう風に感じ取れる良い時代だったのでしょう。

さて、母は食堂に生まれた宿命といいますか、私が生まれてもなお、ずうっと食堂の手伝いをしていました。年末年始はオールナイト。時に理不尽なお客さんもいたようですが、それより生理が重くて気持ちが悪い時も、叩き出され働かされたとのことの方が辛かったと言ってました。その傍ら、遊んでいる祖父を見て、恨まないわけがありません。
ある時、祖父と喧嘩をして「あなたを軽蔑している」と言ってしまい、頬を思い切り叩かれたそうです。まるで、巨人の星・星一徹のようです。

祖父の視点にも立ってみると、母は学校の成績が悪く、落ちこぼれているのを心配していました。最初のほうで、祖父は厳しく躾けられたと書きましたが、だからこそ勉強ができない母を心配して、やはり厳しく躾けようとしました。
「勉強しなさい」と母を座らせて教えたようですが、仕舞いにはお手上げです。母はあれこれ教えたとしても、勉強の仕方そのものが分からなかったからです。授業で先生の話を聞いて、ノートを取ることが苦手でもありました。

加えて、小学生の頃は酷い虐めにあってブタ子と罵られ、失語症のように言葉が出なくなっていました。言葉でうまく自分を表現できず、自分の内に閉じこもりたいのに、学校に行かなければならないという状態。そして、食堂に駆り出される。妹さんは成績優秀。こういった精神状態で、落ち着いて勉強はできないように思うのです。

母のチャート。

ここまでで一度、母の出生図を見てみましょう。
父との関係性は、月と土星にあらわれています。土星は星一徹が飛雄の試練として立ちはだかるように、その人にとっての父親・試練をあらわします。

人間には惑星の発達年齢域というものがあります。月期は0~7歳、水星期は8~15歳というように、およそ7年周期で進んでいきます。該当する年齢の時、惑星の影響を強く受けます。
ちなみに、タイトルにある土星期というのは、56歳から70歳でした。

月期から、すぐに土星の監視下に入ります。180度(オポジション)って、キャッチボールで言うなら、一番受け渡しやすい位置じゃないですか。
母親の愛情を欲する時期ですが、食堂の経営が忙しくベビーシッターさんに預けられる日々。母の我儘によって、ベビーシッターさんは何人も変わったそうです。我儘というより、本当は祖母と一緒にいたかったのかもしれません。
そして、躾けの厳しい祖父。箸の持ち方など、毎回かなり細かく注意されたそうです。土星期に入った今でこそ、このアスペクトを活かした働き方ができているのですが、当時は辛いことばかりですよね…。

次に水星期。今度は月とオポジションになるとともに、土星がくっついています。言葉が話せなくなってしまったのはこの時期で、これが水星と土星の合であらわれています。
5度前ルールによると、月は5ハウスなのですが、蟹座という性質から4ハウスも強くあらわれているように思います。蟹座って、殻に覆われている見た目や巣穴に潜る性質からも、臆病で内気なところがあるのです。家に籠りたいのに、そこは安全な場所じゃない。土星は11ハウス、常に集団に晒された状態=食堂の手伝いをしていて、学校生活は辛くて仕方なかったのだと思います。

勉強ができる人に、できない人の気持ちなんて分かるわけ無いじゃない。

続きます。





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