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2023年振り返り①祖母の死と向き合う編

もう年の暮れですが、noteを立ち上げてみました!
こちらが初めての記事なのですが、今年は「西洋占星術」を習い始めたこともあり、折角なので自分の身の回りで起こったことを記録したいと思います。
……記録したいと思うほどに、今年は波乱万丈な1年でした。
その中でも個人的に印象が強かったことリストアップ…と思ったのですが、書ききれないのでひとまず1件だけ。

・2月 祖母が亡くなる

今年の2月、父方の祖母が95歳で亡くなりました。

私は4歳の頃に母が離婚してから、ずっと父方の名字のままでした。この名字が嫌いだったわけではないのですが、どうも父の家庭へ引きずられてしまった。
名字って自分が思っている以上にアイデンティティを示すし、意識的に離れられない。何だか義務感のように、祖母と会わなくちゃ…って思ってしまう。父の再婚相手と仲良くしたほうがいいのかな?どうして私はうまく振舞えないのだろう??とか、そこまで考えていたのです。
母と色々話し合って、2022年1月に旧姓へ戻りました。その頃29歳、サターンリターンの年でもありました。
名字を変えた途端、すぐにではないのですが意識が薄れてきた感覚が。
今まで、どうしてこんな縛りがあったのだろう、と思うほどに。
父の家の前を通っても、前とは違う視点で、うまくやっているかな?と変に気を遣う必要もなくなりました。
その頃、祖母は認知症になっていて、私の顔を思い出せなくなりました。徘徊もはじまり、父は文字通り血を吐きながら介護をしていましたが、胆嚢炎を何度か再発させ、寝たきりに。
自分の肉親が壊れていく様子を見ているのは、誰だって辛い。肉体的にも精神的にも。
けれども、私は孫として接触している中で、祖母は父のことをどこかで覚えていて「傍にいてほしい」と伝えていました。
祖母にも人に言えない葛藤があったことでしょう。義母として、母親として。その孫である私に対して。
最後に会えたのは去年の12月でした。いつものように「もう遅くなるから帰りなさい」って感じだったんですよね。やっぱり、私は祖母が好きだった。


突然、話が怪しい方向になります。注意。

亡くなる前2週間くらい前から、不思議なことが起き始めます。
祖母は、胆嚢炎で既に3回ほど手術、入退院を繰り返していました。
毎回、命が危ないと分かっていたものの、今回の父からの連絡は嫌な予感がしていました。
そうしたら、連絡を受けた深夜に目が覚めて、ものすごい吐き気に襲われました。母を呼んで背中をさすってもらいながら事情を説明すると「おばあちゃんの魂が来ているのかも」と。数分で楽になったのですが…。
今まで、祖母が入院しても、私の身体はこんなことになりませんでした。
だから、お別れの挨拶に来ていると直ぐに分かったのです。
会いたくても、コロナ禍でICUには入れません。父へビデオ面会も頼んだのですが、それすらできない。一度目の危篤になり、父が駆け付けて動画を撮ってもらいましたが、もう亡くなる前の息。
ただ、動画の中で、数日ぶりに目を見開く祖母。ここから、ほんの数日でしたが信じられないくらい回復しました。本当は、この時が最後のチャンスで、お別れの挨拶をする為に最後の力を振り絞って回復しているのです。
自分でも分かっていました。けれど、私の中にも父への葛藤と、何よりコロナで会えない苦しみ……。
だから、祖母は別の手を使いました。

実は、職場に霊能力の強い人がいます。普段は第三の目を閉じて生活されていますが、私がこのような状況だったので視えてしまいます。
「おばあちゃんが生霊になって飛んできてるよ」
というのも、祖母はまだ死にたくなくて、あと私に会いたいから傍にきているのです。それを、近しいご先祖様が降りてきて説得している。
私が移動すると、ぞろぞろーっとついてくる、らしいのです。それも、ルーツだけでなく、精霊みたいなのも混じってて、何だか水木しげるの世界みたい。歩く霊道と言われてしまいました。
お迎えの時は、本当に降りてこられるようです。そういう特別な時は下に降りる許可がもらえるのか、人間だったころの懐かしさに浸りにくるのかもしれません。正直なところ、私はよく分からないのですが。
完全に溶け込んだ人(ワンネス?表現に困る)は、もう降りてくるとかそういう感じじゃないかも。
数人が私のお付きになってて、自転車を漕いでも重くて進みません。真夜中も決まって丑三つ時(2時半)に目が覚めて寝付けない。
心配した職場の方から連絡があって、あなたも第三の目が開くとしんどいからと、閉じるための呼吸法を教えてもらいました
(こういう時って、色々な意味で危ないですからね。慣れてないと負荷が大きい。書いてても変な人だ…)
それから、お仏壇に手を合わせて「来訪時間は午前9時から午後6時までで、それ以降の時間はトップの方が取りまとめて下さい。人間は寝ないと生きられません」と声に出して伝えてました。割烹着を来たおばちゃんズがいて、まかせとき!って感じでしたが、霊能者は本当に大変なことだと思いました。私は、緊急事態でこんなことになっているだけです。

そんなこともあり、回復してからの2度目の危篤は朝方3時半頃。お父さんが駆け着けたのは4時で、そこで延命処置は終わりました。
その時、私は夢の中にいて祖母が降りてきました。
元気な姿で、穏やかな表情をして立っていました。いつもと違って、シルエットにぼわっと後光が差しています。それから、光景が変わって、今度は私も子どもへと若返り、よく遊びに行った浅草の商店街を楽しく並んで歩きました。
はっと、目が覚めた時、携帯を見れば良かったのですが…二度寝してしまい。朝携帯を見たら、夢を見ていた時間に祖母が亡くなっていました。
これが夢枕というもので、祖母の走馬燈を、一緒に垣間見たのだと思います。夢の中は繋がりやすいということなのでしょう。
ちなみに、その時間帯は腹違いの息子さんも夢を見て「おばあちゃん」と言いながら大泣きしたそうです。
現実では、誰も看取ることは叶いませんでしたが、この不思議な体験を通して、亡くなられた方やご先祖様は近いところにいるのかもしれない、と感じることができました。

祖母は、ここまでの一連の流れを伝えてくれた職場の方にも感謝していて、会いにきたそうです。玄関に立って「お陰様で」と伝えたとのこと。
それで持ち越したのかな、と連絡下さったのですが…玄関に立ったのは亡くなった次の日でした。事情を説明すると「だから、下半身が透けてたんだね」と。
後々聞いたのですが、亡くなる手前、生霊で飛ぶと私が苦しむ為(私のエネルギー部分を撫ぜていたつもりが、本人は吐き気を催してしまった)に、夢として出てくるという手を使ったそうです。私に申し訳ないことをしたと思っていたとも…笑

亡くなった時のチャート

体験したものの、現実世界を生きている身としてはショックは大きくて。しばらく、祖母の家へ手を合わせに行くことができませんでした。
父は、気遣って気軽においでと言うものの、どうしようかなあと思っていたら二度目の夢を見ました。

夢の中の私は、祖母の祭壇へ手を合わせに父の家へ来たところでした。
玄関の扉を開けると、なんと祖母が立っています。
え?お骨になったのに、なんでいるのと思いましたが、いつものようにおもてなししてくれて、お勝手(台所)へ行く祖母。
おかしいなと思って、聞きました。おばあちゃん、私のこと思い出したの?
先述したように、亡くなる前の2年間は認知症が進み、私の事をすっかり忘れてしまっているので時系列的に聞いたのです。
うん、とうなずく。どことなく若返っていました。
お勝手の様子が見慣れたものではなく、全自動食洗器とか設備が便利になっていて、料理しているのかよく分からない素振りをしているのを、何となく見ていました。すると、
「あんたは、最近元気にしているのかい」
「おばあちゃんは、もう大丈夫だから心配しなくていい」
そう言って、スーッといなくなってしまいました。
夢を見ているとは分からないので、混乱しつつ祭壇に手を合わせに行く私。
祭壇の隣で、父が転がっています。死んだように寝ているのを見て、ああ毎朝毎晩、部屋の管理をしているから大変だよね、と起こさないように静かに手を合わせました。

…そこで目が覚めて。おばあちゃんはもう大丈夫かも、成仏するだろうなと思いました。まだ49日経っていなかったのですが、旅立ちは早いかもしれないと。旅立ちといっても、別に遠くへ行ってしまうわけではなく、人間界からはいなくなるけど隣の部屋にいる、みたいな感覚だと思います。肉体が限界だっただけで、私のことも覚えている。
魂となって、どこへでも飛んで行ける。生前、好きだった着物を着て、京都か奈良の紅葉が綺麗な山へ飛んで舞踊をやっているらしいです。
このこともチャネリングで聞かせてもらったのですが、後々決まった戒名に「舞」って漢字がついてて、ゾッとするくらい驚きました…。
(あの世というものは死なないと良く分からないのですが、時系列がこちらとはズレているのでしょうか)
色々と吹っ切れて、何度か祖母の家へ手を合わせにいくことができました。初めて親戚とお会いすることもできて。

最後に、亡くなった時のチャートを読んでみます。
ASC射手座は旅立ちを感じさせ、支配星の木星は3ハウスにあります。
この木星は、私のネイタルの月と合で、私のことを応援してるよ、って言ってるみたいでちょっと泣けてきちゃいました。
インコンジャクトと呼ばれる150度の線が、サウスノードへ伸びています。
こちらは本来ハードアスペクトなのですが、私はこれをあの世へ還っていく、輪廻転生と感じ取りました。殆どの惑星が下側へ沈んでいることもあります。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
最初の記事から、ちょっと重ためになってしまったかもしれませんが、引き続き感じ取ったままに書いていければと思います。
よろしくお願いします!



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