大西 正仁 ~裏社会での社会貢献~

「社会貢献」 と聞いてNPO、NGO、社団法人。
多くの人はそういったことを思い浮かべるのではないでしょうか。



1、勉強がたまらなくつまらなかった小学、中学(校)時代と、駆け出し

学校の勉強に意味を見いだせなかった。
何がしたかったということはなく、その「やりたいことがあるのか・なりたいものがあるのか」という考え自体持っていなかった。
ただ、漠然と生きていた。

表立って仕事ができる年齢になり、かっこいいな、という理由から
美容師の仕事を半年続けたが、何か違う、向いていないなと続かなかった。
そんな中、当時の職場の同僚の女性に「LION」というショットバーに誘われた。飲み屋さんなんて行ったこともなく興味半分、怖さ半分でついていくとそのバーには一風変わったオカマ喋りのマスターがいた。
一見ただの面白いオカマだが、トーク力や気遣いなどの接客に(関しての能力が)凄まじく秀でていた。土曜夜に「ライオンママのワンナイトオンリー」というラジオを放送しているので聴いてみてはいかがだろうか。
初めて訪れたこの店で、オカマの真似をして話していると、「あなた面白いわねぇーーー。うちで働かない?」と誘ってもらった。何故か名前は「ニカウ」。この名前は現在でも彼は第二の名前として使っている。

夜の世界に興味があったし、あわよくば、きれいなお姉さんとお話しできてお酒が飲める「おいしい仕事」だと想像していた。確かにそのような側面はあった。
しかしお店に来てくれるお客さんの中には、何か悩み事を抱えている人、笑顔の下につらい現実を抱えている人が多いことに気が付いた。
働く期間が長くなるにつれて、当初は苦手だった女性との会話も少しずつできるようになり、トークのスキルも上がっていった。
徐々にではあるがお店でも人気が出てきて、
当時の飲み屋界隈で「ニカウ」という名を聞くことも多くなってきた。

2、「ニカウ」自分の天職を見つけて

人気が出てくると「LION」の店長を任せてもらえるようになった。松山でも有名店の店長である。自分に自信が持てるようになり、そうなると自分だけのお店を作りたい、自分が中心のお店をやってみたいという考えが発生してきた。
そして独立。開店当初から、当初付き合っていた彼女が同僚を連れてきてくれ、その同僚の女性たちが、男性を連れてきてくれるという連鎖が発生し、お店は繁盛することになった。その中で信頼も積み上げていった。
この職業で一番うれしいこと。それは初めてご来店いただいたお客さんがまた来店してくれること。楽しんでくれて、悩みが晴れる。そうすると料金が少々高くても「安い」と感じてくれて、新たなお客さんを連れてきてくれる。そこに自分の人生の価値の片鱗を見つけた。

困っている人を助けたい。ほっておけないという気持ちは物心がついてから持っていた。水商売の世界に入って、実際に現場を体験することにより社会貢献の面があることに気づかされた。
社会には非営利団体のNPOやNGOがある。それらは多くの人たちに助けの手をさしのべる素晴らしい活動だが、あくまでも表の社会貢献だ。自分の悩みが何なのかわからない人たち、どのように悩みを解決すればいいのかわからない人たち。もうあきらめている人・・・。先に述べた団体事態知らない人も多い。そういう人がフラッと来店してくれたら、「個」のカウンセラーとして、その人の気持ちを和らげてあげたい。

世の中には正道という、人が普通に通って歩く道があるが、その道から外れた人、見えなくなった人たちが少なからずいる。水商売はそんな人たちを一時的にでも楽にしてあげられる。そして時には正道に導いてあげられる診療所のような仕事なのだ。

3、そして今

だが、水商売18年目を迎えたころ、夜中心の生活やお酒の影響。そして高速道路での単身での大事故を起こした影響からか、うつ病を発症してしまった。人前で話すことができなくなり、いつ起こるかわからない発作との戦いから心が折れ、ついにお店を後輩に譲り、長い間働けず回復を待つだけの通院の日々となってしまった。

2年ほどたって、回復の入り口に立った頃、紹介いただいた某大手広告代理店に就職。出向先の企業で営業マンとして働いた。今まで身に着けてきたトーク力を発揮し、成績は良かった。次に某大手販売メーカーに声をかけてもらい転職。中途採用ながら全国1位の成績をとるほどになった。しかし、自分が求めていたものはそこにはなかった。どこかで無理をしている自分にも気が付いた。
現在は地元の松山に根を張って、ある程度の収入があり、トーク力が生かせるコールセンターで働き、そこでもトップクラスの成績をとり続けている。それでも、自分の天職は水商売という考えは変わってはいない。

現在、うつ病の症状は軽くなっており、毎週金曜日に松山市内の「it's」というショットバーでお手伝いをさせてもらい、少しずつ感覚を取り戻している。ようやくリハビリが始まった。
未成年でも保護者同伴であれば、法律の許す範囲の時間までならば来店OKだそう。年内には自分の店を開きたいという夢も語ってくれた。

自分は自分も含めて楽しめるイベントを企画することが好きだ。今、Facebookで「えひめん」という2500人以上のグループを作り雲煙している。鋭匙目検を中心とする麺を提供するお店を投稿して紹介するグループ。一度見てみてはどうだろうか。
ちなみに現在も精神障碍者2級。病気は完全に治ってはいない。
調子のいい時やうまくいっている時ほど、無理をしていることに気が付かない。そんな毎日を過ごしていては将来突然ツケを払わされることになる。と彼は忠告する。

Q & A

Q、もしもう一回人生やり直せたら何をしますか?
A、お医者さんかもしれない。極力自分が稼ぐような医者よりも、患者さんのことを一番に考える貧乏なお医者さん。

Q、若い頃、今を想像できましたか?
A、できなかった。活発で人を助けることは好きだったけどね。

Q、死ぬ時、理想の瞬間はありますか?
A、死ぬことを想像してない。世界中のみんなが死んでも自分は最後まで生きているんじゃないかって思ってる。もし、死ぬ時には、誰かの頭に残っていて欲しい。こういう人がおったなーって。

Q、しないことはありますか?
A、陰口を言わないこと。
水商売っていうのは、社会の最後の受け皿っていう風に考えているから、自分たちから漏らしてはいけない。

Q、働かなくてよくても、働きますか?
A、もしお金に困らなくても、水商売が法律的にグレーになってしまったとしてもやっていくと思う。

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