noteの投稿に疲れてしまったあなたに贈る処方箋
渾身の記事が書けた!
数時間後、noteの通知を見てみたら…
あれ、何の反応もない。
タイムラインに流れてくる、
他のnoterさんのたくさんの♡の数。
フォロワーも以前と変わらず。
いや減ってる?
あぁ、なんかもう疲れたわ。
書いてて意味あるんかなぁ。
どんどんモチベーションが下がっていく。
正直にいいましょう。
これ、今の私です。
本腰入れて、noteで「書くこと」と向き合ってきた数ヶ月。
どんな記事が読者に届くだろう、と日々真剣に思い悩みながら投稿しているけれど、思ったような結果に結びつかないことも多い。
昔は、投稿することが楽しいだけだったので、そんなことを考えもしなかった。
今は「書くこと」で誰かに希望と癒しを与えられたら…なんて大そうなことを考えながら投稿している。
だから、読者に届かなければ意味がない。
一人でも届いていたらいいのでは…とは思うけれど、ゆくゆく収益化も視野に入れている私にとっては、スキやフォロワーさんの数が伸び悩んでいるということは、結構な大打撃。
noteの投稿が疲れた。
では、休みましょう。
一時的な解決には、それもいいと思う。
休むことで、書く意欲が復活することもある。
けれど・・・
では、スキを押しまくり、自分からフォローをしまくりましょう。
目に留めてくださる方は増えるかもしれない。
悪いことだとも思えない。
けれど、本質的にこれは解決なのか?
自分の意に反した行動を機械的に行うことで、大事な何かを失っていないか?
では、共同マガジンに入って、たくさん仲間を増やしましょう。
本当に入ってみたいと思うのならいい。
けれど、焦りや恐れからの行動だったら?
繋がれた安心。
見てもらえる安心。
フォロワーが増えた安心。
けれど、それは不足感からの安心。
本質的にやっぱりこれは解決なのか?
(共同マガジンを否定する気持ちは一切ありません。むしろ素敵です)
私は、根本的な解決を望みたい。
だから、独自のやり方で乗り越える。
多分、誰もやっていないと思う。
(やっている!という稀有な方は心友と呼ばせてください)
なぜ疲れてしまうのだろう…
まずは、ここから考えてみる。
私の場合はこうだ。
自分ではいい記事が書けたと思ったのに、反応がよくなかった。
→自分の能力のなさを感じる。
他の方のスキの数が目に入り、自分と比較してその差に圧倒される。
→自分に価値がないように感じてしまう。
数字ばかり気になってしまって、増えたら喜び、減ったら落ち込む。
→数字を気にしすぎて疲れる。数字=価値でもないのに。
そして感情に支配されて、身動きできない状況に陥ってしまう。
今もっている考え方の方程式に気づくことから
上記のような思考回路を続けていたら、この先ずっと、発信するたびに人と比較をしたり数字を気にしたりして、感情に支配された生き方を続けていくことになるだろう。
「7つの習慣」という本の中で、こんなフレーズがある。
つまり、外部の状況がいかなるものであったとしても、どう反応するかは自分の捉え方次第でいかようにも選択可能であるということ。
ネガティブに捉えることも、ポジティブに捉えることも自由。
私の今の考え方の方程式はこうだ。
起こった現象は変えられない。事実だからだ。
けれど、イコールの先は、自分の意志の力によって変えることができる。
自分に才能がない。
自分に価値がない。
そう感じることで自身のパワーが激減する。
けれど、
「変えることができる」
と気づけた時に、自分にパワーが戻ってくる。
外部の状況が主導権を握っていた生き方。
感情に支配されていた生き方。
ではなく、
自分の意志によって、
自分が主導権を握る生き方へ。
自分の考え方の方程式はどうなっているのか、俯瞰的に意識を向けることで、シフトすることができる。
望む考え方にアップデートする
では、新たな方程式に書き換えよう。
偉人や成功者がもっている思考回路は、きっと、今私がもっている思考回路とはまったく違うはずだ。
想像してみた。
書いた記事の反応がよくない。
他の方のスキの数に比べて自分は少ない。
この事実によって、自分の価値を下げること、自分の才能のなさに直結させることはない。事実は事実として受け止める。以上。終わり!
もっと視点の高い人だったら、どう考えるだろう。
想像してみた。
書いた記事の反応がよくない。
他の方のスキの数に比べて自分は少ない。
どんな記事にも価値があって、それぞれの立場で伝えられることがある。
反応がなくても、スキの数が少なくても、自分の価値は変わらない。
これから、まだまだ伸び代がある。成長できる要素がある。
自分の記事で読まれた記事や、他の方の記事で読まれやすい記事を研究してみよう。
前向きに受け止めて、次の行動のエネルギーに転換できるかもしれない。
自分の本当の望みとは?
本当は自分は何を望んでいるのだろう。
反応がたくさんあることが喜びなのか。
数字が増えることが喜びなのか。
人より優れているような気持ちになれることが喜びなのか?
そうではないはず。
本当に必要な人に、文章に乗せられた希望や癒しを届けたい。
それだけだ。
そこに立ち返ることも、翻弄されなくて済むポイントかもしれない。
無意識を有意識化する地道な一歩
無意識的に、感情に支配されてしまっていた私だったが、まず「気づく」ところから始めたい。
有意識化すること。
これは、地道な取り組みだ。
いとも簡単に忘れてしまうものだから。
はっきり言って、自分だけでは難しい。
私は、偉人の名言集や視座の高い本を読んだり、視点の高い人の話を動画や音声配信を聴くことによって、自分の考え方を新たに書き換えていきたいと思っている。
パワーが戻ってきた段階で…
「考え方は自分で選択できるということに気づくこと」
「新たな思考を選択して、もっと自由に自分らしく生きていくと決意すること」
この二つを経た段階で、最初の「疲れたなぁ」という自分のエネルギーから、ずいぶんパワーが戻ってきたことを実感できると思う。
この時点だったら、
「しばらく休もう」
と自分の好きなことをして、
よりエネルギーを高めたり、
「共同マガジンに参加してみたい!」
というアイデアが思いついたのなら
参加してみるのもよし。
「疲れたなぁ」の時点の自分で、不安や恐れから焦って行動しているのと、パワーが戻ってきた段階で前向きに行動しているのとは、まるで違う。
自分が舵を切る。
自分の足で、未来を切り開いていく。
そんなエネルギーで満ち溢れていくだろう。
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