心は何によってつくられるのだろう
食べたもので身体がつくられるのであれば、心は何でつくられるのだろう。
自分が目にするもの、聴くもの、触れるもの、そのすべてが心を養うものだとしたら、自分は何を受け取ろうとするだろう。
そして、子どもには何を体験させてあげたいだろう。
この前、養老孟司さんの動画を見ていてはっとする言葉に出会った。
「子育てでiPadなどのデジタルツールをあたえるのは有りか?」という質問に対して、
「そういう子ができる、それなりの」と答えておられた。
何が正しい、正しくないかは言及しておられないが、iPadやスマホなどの過度な利用によって、情報操作は得意だが人間として大事なものは失われる危惧を感じさせる言葉だった。
子どもには本物のものに触れさせてあげたい。
心が動くような体験をたくさん。
わたし自身も子どもの目から、初めて味わう未知なるもののきらめきや、驚きや、感動をともに味わうことが今から楽しみで…
子どもの目には、きっと目に見えない素晴らしい何かが映っていて、音から感じ取っていて、触れて味わっていて、それは、大人にはもう失われてしまった「何か」かもしれないけれど、少しでもいっしょに体験できれば。
そんなことをずっと前から、夢見ていた。
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