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第7回・右手で左目を押さえながら左足を上げて右に倒れる

原付に乗っていると、たまに頭の中を過ることがある。
「例えば、このままスリップしてしまったら…」といった不安だ。

特に雨の降った日は、運転はより慎重になる。
濡れたマンホールや横断歩道の白線の上なんかは、簡単にタイヤは滑るからだ。

ただ自分でも不思議な感覚なのだが、もし『万が一』が起きてしまったと想定した時、右カーブでスリップしてそのまま転倒した場合と、逆の左カーブの場合を考えると、右カーブの場合は「怪我は絶対にするだろうな」「最悪、もしかすると助からないかも」と考える。

一方、左カーブの場合はというと、どこからそんな自信が生まれてくるのかはわからないが、「なんとか受け身はとれるだろう」「最悪、軽傷くらいはあるかもな」などと想像する自分がいる。
怪我をする気も起きない時だってあるほどだ。

この差は一体なんなのであろう。

別に『運転』に対して、楽観的に考えたり、無責任に捉えているわけではない。
愛車に跨り、エンジンをかけ、アクセルを回すと、その瞬間から緊張感は走るし、常に恐怖も感じている。

違反を起こさないようにとか、転んでしまうかもしれない、事故を起こしてしまうかもしれない、事故に巻き込まれるかもしれない、被害者にも加害者にもならないようにと心がける。

まだ実際には原付で転倒したことは無いので、転んでみたら分からない。
左に倒れたって、命を失っているかもしれない。

これは感覚的な話なので、自分でも説明しようがないのだ。

ただ、右か左かのどちらかに転倒した瞬間、身体が傾き地面に着地するまでの間で、とっさに自分が反応出来るかもしれない自信の差なのだろうか。

想像をした時に、より頭の中でスムーズに受け身をとれているビジョンが見えるのが、左なのだ。
つまり、これは『利き受け身』の話である。

そんな言葉は無いのかもしれないが、『利き手』や『利き足』もあるのだから、『利き受け身』だってあってもよいと思う。

多分だが、『利き手』『利き足』が関連して、自然と「左に倒れたら…」とか思うように出来ているのであろう、人間とは。

他にも『利き目』『利き耳』なんて言葉もある。
あとは『右脳派か?左脳派か?』なんてのも、きっと『利き◯◯』に当てはまるだろう。

左右に分かれているものを思い浮かべれば、何にだって言えるのでは?と考えてみると面白い。

『利き鼻』『利き咀嚼』『利きお尻のほっぺ』。
無意識に使っているから気付きにくいが、皆それぞれに『心地良い』があるのだ。

ちなみに私の『利き手』は右。『利き足』も右。『利き目』は左で、たぶん『利き受け身』は左だから、それらを全部塞いで苦手な方を機能させて転んだ場合はどうなるのであろう。

実に興味深いが、恐ろしい話だ。

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