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第1回・鎮座する猫

吾輩は猫好きである。名前はまだ無い。
猫好きだが猫派ではない。犬好きでもある。

どちらかを選べと言われても選べない。
偏ることの出来ない物書きである。

名前は無いが、代わりに私という人物の輪郭がボヤッと見えるような個人的見解を、毎回『1110文字』で書いてみようと、思い付きで始めた。

思い付きで始めたと書くと、まるでその日のうちに行動に移したかのように聞こえるかもしれないが、実際はそんなことはない。

『こんなことをやってみたいなぁ』から始まり、『名前はあえて出さずにやろう』とか『毎回1110文字で書こう』とか、自分の中での細かい設定やルール決めの思考用回路を、しっかりと頭の真ん中に鎮座させポヤ〜っと考えながら、本業を頭の隅っこでテキパキこなしていた。

ようやくこうやって文字に起こし始めるまでに1ヶ月ほどかかっている。

物事や計画や企画は時間をかければ良いわけではないが、ある意味『準備する』という一番楽しい時間をじっくりと堪能しながらも、それと同時に『自分は本当にこれを実行して、その先にも楽しさを感じられるだろうか?』と審査も兼ねていたのだと思う。

追いかけっこだって、逃げている時・追いかけている時が楽しいのであって、そこがピークだ。『捕まったら・捕まえられたら』それは終わりの合図であり、『逃げるのを止めたら・追いかけるのを止めたら』そこには何の面白さも無く、ただ数人が立ち尽くすだけだ。

終わってしまったら『楽しい』ではなく『楽しかった』と確認するだけの過去になる。
そしてもう一度それを経験したくて、同じことを繰り返す。

ただ繰り返しが前回より楽しいとは限らず、比較対象がある分『前回より楽しくなるはず、楽しくあって欲しい』という思いが強まるだけで、そこにあったはずの新しさは亡霊のように消えて無くなる。
何もせずただ立っている遊びには、どう楽しさを見出せるのだろう。

それを楽しみ、その状況に満足出来る視点を持っていれば良いのだが、私はそんなに器用でも無く、またそんな素晴らしい能力も標準装備されていない。

『わぁ〜楽しいなぁ〜』などと思ってもいない嘘をついたり、そんな素振りも出来ない。そういう行動を取れる人物だとしたら、多くの好感を集められるのだろうけど、私はそこまでして人に好かれたいわけでもない。

本当だったら1ヶ月と言わず、もっと準備に時間をかけても良いとさえ思っている。
もっと想像していたいし妄想していたい。

誰からも逃げることなく、自分の作り出した『面白そう』を追いかけていたい。

ただ今回はその先にも『楽しい』が在ると思えたので、その思いが文字に姿を変えている。

まるで猫のようにマイペースに。

しかし、吾輩は猫ではない。

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