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ショートショート(新社会人)

いつもなら、心を無にして目を瞑り、時折、天井から吊るされているTVの声に耳を傾けるくらいなのだけど、今日はどうしても、とある思いに心が縛られ、全く他の事が手につかなくなってしまった。

まあ手につかないといっても、そもそも床屋というところは、手は散髪ケープの下でモジモジするくらいの事しか出来ないわけなのだけど、僕は今、そのケープの下で誰にも悟られないのをいいことに、右手の人差し指を1本立てて、指揮者の様に降りわましていた。

指揮者だなんて、君は音楽家のつもりかい?

いや、普段はサラリーマンです。今年の春から入社した新社会人なのです。本当は入社式に合わせて髪を整えればよかったのだけど、ものぐさな性格故に、4月に入ってからになってしまったのです。

本当はサラリーマンのノウハウをこれらか学ばなければいけないというのに、今は指揮者に転職して、このさっきから耳に入ってくる音の正体をどうしても突き止めなくていられなくなってしまった僕。

その音事態は、別段変わったものではなかった。床屋で聞こえる音の代名詞と言ってもいい、理容師が動かすハサミのシャカシャカという音だ。

小気味良くて、思わず眠気を誘うその音。だけど、その音が単調な動作音の粋を離れて、何かしらのリズムを奏でていたとしたらどうだろう?僕以外の人だって、そんな状況に置かれたら、気になって仕方がなくなり、ケープの下でこのリズムの曲の正体は何だろうと指を振るいたくなるに違いないのだ。

本当に何だろうこのリズム。この床屋には今日初めて入ったが、こういうリズムを奏でるマニュアルでもあるのだろうか。そんなわけはないだろう。

偶々偶然、ハサミを動かしているだけで、この音が鳴っているのでは絶対にない。明らかに意図的にこのリズムを出しているし、僕の絶対知っている曲だった。その曲事態は、1ループは結構短く、何度も始めから繰り返されていた。

歌謡曲?クラシック?ゲームのBGM?色々なジャンルから詮索してみたが、全く思い浮かばない。あまりメジャーな曲ではなかったような気もする。局所的に有名というか、仲間内だけが知っている曲というか。

仲間内▪▪▪。僕はさっきから、このリズムを奏でている張本人である理容師の顔を目の前にある鏡越しでずっと伺っていた。だけど、相手はマスクをしてる為、顔がよく分からない。

男ということ、髪型がちょっと角刈りなこと、僕がこの店に入った時の「いらっしゃいませ」の声と、目元の雰囲気から僕と同年代かもしれないこと。それらの詮索ポイントは、あるにはあるのだけど、それだけで、この気になって寧ろ癪に障るレベルにまでなってしまいそうなリズムを奏でる張本人の招待を掴むことは出来ないのだった。

もうすぐカットが終わりそうだ。結局、このリズムの正体を掴むことは出来なかった。

あ、もう一度始めからリズムが始まった。毛量からして、これが最後のループだろう。全てが終わったあとに、直接この人に聞けば解決するのだろうけど、そんなこと聞くのもちょっと恥ずかしいし・・・。

「フンフンフッフッフン~♪」

僕はハッとした。何とこの理容師、最後の1ループだけ、特別に鼻歌付きで曲をお届けしてくれたのだ。

そしてその瞬間、僕は全てを思い出した。そして思わず口ずさむ。

「白く輝く山肌に~♪」

「正解!久しぶり!」

その声に、僕はすかさず鏡に映るその男の目を見た。男の目は皺がより、すっかり細めていた。

「普通は3月に切っとくものだろ、相変わらずだなお前は」

僕はそこで全てを悟った。この男の正体は、中学の時の旧友だった。そしてこの曲の正体は、僕らが通っていた中学の校歌だったのだ。

中学卒業後は全く会うことはなかった。そういえば、将来の夢は理容師になることって言っていた気がする。懐かしい、あの頃の夢をちゃんと叶えたようだ。確か高卒で色々苦労していると風の噂で聞いたことがあったっけ。

「久しぶりだね」

僕はそう返すと共に、僕より早く社会人としてデビューしている旧友の姿に、頼もしさと、これからはしっかりしないとなという思いに駈られたのであった。




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