チョット良くなかったな

 僕はプラモデルを組むとき、説明書を読む習慣があまりありません。だいたいはそれでもうまくいくのですが、たまに途中でうまくいかなくなって、説明書を見たら順序が違ったということがあります。そのとき初めて、説明書で示されている組み立ての順序に深く納得するのです。

 それはさておき、僕は思うのですが、(少なくとも学生のうちは、の話ですが)「チョット良くなかったな」という経験が必要なんだと思います。あるいは、「チョット良くなかったな」を極度に恐れない方がよいということです。

 色々苦い思いをして「こうすると失敗するんだ」という発見は、金は無いけど時間と体力は有り余るという学生のうちに山ほど経験しておくべきだと思っています。これは「こうすれば成功するんだ」という発見と同等に、あるいはそれ以上に重要じゃないでしょうか。うまく事が進んでいるときは往々にして、失敗しているという状況についての意識が無いからです。

 だからたとえば、「興味のある映画だけどレビューの評価良くないから見るのやめようかな」とか、「よくわからないからツアー旅行で申し込んじゃおうかな」とか、けっこうもったいないなと僕は思っちゃいます。無駄に思えるような失敗に、後から意味付けできるかが重要です。そうすると、「無駄」は「遠回り」になります。「遠回り」するとは、もちろん何でもかんでも非効率にやればよいということではなく、またがむしゃらに色んなことに手を出すということでもなく、「意味付けされた無駄」であると僕は考えています。

 「良いもの」を効率よく得ようとするのは、大人になってからでいいんじゃないでしょうか。


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